漫画のタイトルは聞き覚えがあったけど、映画化するほど人気があったとは知らずに驚き、劇場の予告で歯がガタガタの黒島結菜を観て衝撃を受けた記憶がある。しかし予告だけでは大してストーリーが分からない。とりあえず敬愛する堤幸彦監督ということで、一応映画を観に行くことにした。ただ、堤監督の演出はドラマでは大人気を博すものの、映画となるとかなり評判が悪い。『ケイゾク』や『SPEC』も結局はドラマが一番よかったよねというとこに落ち着いたし、『サイレン』なんかは実写映画の話をすると途端に口を閉ざすファンもいるくらいである。そして今作『夏目アラタの結婚』も原作付き。しかも全12巻ということで、映画の尺が2時間ではどう考えても足らないだろう。中途半端な形になるのかオリジナル展開になるのか。原作未読の私にとってはとにかく面白ければ何でもいいと思っていたのだが、率直な感想を言うとかなり感動してしまった。映画的な魅力には乏しかったものの、おそらく原作のそもそもの筋が素晴らしいのだろう。サスペンスでスタートした物語が美しいラブストーリーに着地する展開と、数々の謎が真珠の真意に収斂する構造が素晴らしく、先に原作をきちんと読むべきだったなと反省。いやでもそれだと映画に対してはネガティブな印象を抱いていたかもしれない。ジレンマ。ここからはネタバレも込みで感想を述べていく。
夏目アラタという柳楽優弥演じる児童相談所の職員が主人公。世話をしている子どもの1人が殺された父親の頭部を見つけるために、彼の名前を使って父親を殺した死刑囚と文通を始めてしまう。彼の思いを汲んだアラタは死刑囚の品川真珠と面会し、そこで結婚を申し込む。最初は首を見つけるために嫌々真珠とやり取りをしていたアラタだったが、徐々に真珠の魅力に引き込まれていく…という筋書き。品川ピエロの名を冠した小太りの女性だったはずが、真珠はいつの間にか華奢な美少女へと変貌を遂げており、演じる黒島結菜の怪演がこの映画の最大の魅力となっている。ガタガタで汚い歯がしっかりと印象づけられる、面会室の机上からのライト。ガラス越しでも強力なインパクトを放つ真珠には、アラタでなくとも何かを感じるはずだ。そんな満点のビジュアルに反して、ストーリーはかなり駆け足になってしまっている。
漫画版全11巻を2時間に凝縮したのだから仕方がないことではあるが、正直メインストーリーのダイジェスト版かと見紛うほど早足で物語は進んでいく。「こんにちわ」の件で揺さぶりをかけてくる真珠や、彼女のビジュアルの変化、不可解な点などなど、こちらが謎を楽しむ暇もなく次から次へと情報が押し寄せ、年表を見ている気分に。主人公アラタの心情はその場限りのモノローグで済まされ、実写化映画の悪い部分が存分に出ているようにさえ感じた。前半だけだとかなり退屈。ただ、これは自分が鑑賞前に原作の無料で読める部分を読んでしまったのもよくなかったかもしれない。何も知らなければもう少し話に前のめりになれたのかもしれないが、漫画の展開を駆け足でなぞっていくのはかなり苦痛だった。特に丸山礼演じる桃山が真珠に手紙で呼び出されて面会に行くシーン。漫画ではアラタでも弁護士の宮前でもない一般人が彼女の魅力に取り込まれてしまうという恐ろしさを演出しながら、桃山は普通のブラを、アラタは桃山の名前を使ってスポブラを差し入れてしまうという、胃がキリキリするような展開にも繋がっており秀逸だったのだが、映画ではその後桃山の話は一切なく、本当に漫画をなぞっているだけであった。これだけ駆け足なのにシーンの取捨選択に失敗している脚本がかなり辛く、この辺りで私は鑑賞意欲が潰えてしまう。
しかし、丁度真珠が墓の話をした辺りから一気に物語が動く。逆に言うとその直前の裁判→即休廷はかなりキツかった。真珠が暗に掘り返せとアラタに伝えた場所には、本物の品川真珠の遺体が埋められていた。事件の犯人とされている品川真珠は実はその妹であり、彼女の死を隠すために母親が真珠を名乗らせた存在だったのだ。歯の生え具合から年齢が発覚するのを防ぐために歯医者には行かないよう伝え、年齢を誤魔化すためにとにかく量を食べさせられ太らされ、幼少期と逮捕時のIQの極端な違いも年齢差のせいだった。彼女の不可解な部分がこの「年齢詐称」に集約される展開があまりに美しく、それでいてこれによって彼女が犯行当時未成年であることが分かり、裁判はやり直しとなる。もし漫画版で読んでいたら発狂していたかもしれない。すごく丁寧な伏線の張り方だった。そこから真珠とアラタの逃避行が始まるが、彼女は翌朝アラタの前から消え逮捕される。新たに始まった裁判での真珠の言葉にアラタは彼女の真意を悟る。常に周囲からかわいそうだと哀れまれた真珠にとって、自分を哀れむことなく「人殺し」として正面から向き合ってくれたアラタは運命の人だったのだ。真珠の怪しげな言動にブラフなど存在しない。しかし自分を哀れむように見るアラタに失望し、彼女は再び獄中生活の道を選ぶ。真意を知ったアラタは結婚式を挙げるために動き出す。児童相談所の職員だった際にも(劇中で退職する)、思えば子どもたちを救おうとしながら哀れんでいたのだと彼は宮前に話す。自分より悲惨な境遇の子供たちを見て、彼はどこか安心していたのかもしれない。しかしそれは相手からすれば失礼極まりないことで、彼は自分の道を正す意味も込めて、再び真珠と向き合い刑務所の内と外での結婚式を挙げるのだった。
死刑囚の真意を知り、未だ見つかっていない遺体を探すためにと始まった偽装結婚が、美しいラブストーリーで閉じられる結末。その転換に思わず感動し、序盤で感じた苦痛はあっさりと消え失せた。確かに、言いたいことはある。アラタが主人公であるはずなのに、結局真珠の言う通りにしていれば物事が進む展開はかなり酷い。漫画では、アラタの嘘がバレるかもしれないというヒリヒリした緊迫感がもっとあったのだが、映画はテンポが良い分、攻略本を見ながらプレイするRPGのようにスラスラと謎が解かれていく。アラタが能動的に何かをするということもほとんどなく、その上漫画では丁寧に描かれていた彼の児童相談所職員としての心情や背景もオミットされてしまっている。彼がどういう人物なのかがぼんやりとしか分からないままに話が進む前半は非常に退屈だった。それでも全ての種明かしが終わった後には清々しい気持ちになって劇場を出ることができる。ラストシーン、子どもの頃の真珠が雨でずぶ濡れになっている時にヤンキー時代のアラタからハンカチを手渡されるのは映画オリジナルだろうか。漫画では幼少期の真珠に会っているのは弁護士の宮前だったが、漫画でもアラタも会っていたということなのか。この辺りはいずれ原作を読んで確かめたいと思う。
映画では駆け足だった部分も多く手放しには喜べなかったが、原作はきっと相当面白いのだろうなと思わせてくれる作品だった。様々な声色や表情を使い分ける黒島結菜の演技力は凄まじく、だからこそ最終的に純情に落ち着くのが余計に感動を誘う。言いたいこともあるサスペンス映画だったが、観た後に爽やかな気持ちになれる良作だった。