映画『見える子ちゃん』評価・ネタバレ感想 ホラーでドラマでミステリーな傑作

2025年6月はなぜか矢継ぎ早にホラー映画が公開されるとんでもない1ヶ月なのだが、その先陣を切った『ほん呪』シリーズで有名な中村義洋監督の『見える子ちゃん』はとんでもない傑作だった。監督のことは信頼しているし、予告で観た霊の描写も、さすがホラー第一人者なだけあってかなりホラービデオ風。ただ、話としてはまあホラーコメディの域を出ないんだろうなと、とりあえず確認くらいの気持ちで観に行ったらこれがもうとんでもない。勝手に見くびっていてすみませんでしたと謝りたくなるくらい、怖く、切なく、面白い。以前原作がアニメ化した時に視聴して、このコメディ感は自分にはあまり合わないなと途中で切ってしまったのだが、映画を観た今は原作にまで手を出そうとしている。そんな私が何よりこの映画において感動したのが、映画自体の「ポップさ」である。

 

基本的に邦画は舐められている。海外の映画と比べると圧倒的にクオリティが低いと言われがちで、それは予算的な規模が理由でもあり、日本の映画業界自体が世界に向けたものを作ろうという意識よりも、一般層にウケる大衆娯楽作に傾いてしまうような流れが見えているというのもある。実際毎年日本における興行収入の上位を占めるのは毎年恒例のアニメ映画や、少年ジャンプの看板漫画の映画化、余命僅かなか弱い女性を描いた「泣ける」作品などが大半で、社会的なメッセージを強く打ち出した作品がスマッシュヒットを叩き出すことはなかなか難しい現状がある。もちろん大衆娯楽ばかりに傾いている現状は私もあまり良いとは思っていないが、それでも趣味嗜好の話をするなら、こういった「ポップな大衆娯楽作」は私にとって大好物なのだ。近年では『ゴジラ -1.0』も「邦画的」「セリフが説明的すぎる」と揶揄されていたが、私はそういった部分は邦画が持つガラパゴス的な良さだと考えているので、この『ゴジマイ』もかなり好きな部類に入る。まあ何が言いたいかというと、この「ポップさ」は嫌われがちだが、一方で「ポップさ」を狙って出せるということも強みであると思っていて、この『見える子ちゃん』は「ポップさ」と「ホラー」と「ドラマ」が見事に噛み合っていた。

 

私自身『ほんとにあった呪いのビデオ』シリーズをそこまで観てはいないため、その観点から語れることはほとんどないのだけれど、中村監督がホラー業界において今や第一人者であるという事実は認めざるを得ない。一般の邦画では『残穢』などが有名だが、私は彼の作品の中だと『予告犯』や『白ゆき姫殺人事件』、『ゴールデンスランバー』などが好み。ただ、これらはどれもサスペンス色が濃い作品で、実際私が中村監督に抱くイメージも、サスペンスやホラー的な、人の恐怖、猜疑心を煽るのが上手い方という印象だった。

 

しかしこの『見える子ちゃん』では、その手腕が「青春ドラマ」を成立させている。ほとんど女子高生しか出てこない作品で、幽霊が見えるようになってしまったことを気にして必死に幽霊から目を背けようとする主人公が、親友を救うために幽霊に立ち向かう。原作ものとはいえ、この地に足のついた設定だけでもう充分に勝ち筋は見えているかのようで。そこに中村監督お馴染みのホラー演出がたっぷりと乗っかっている。前半は文化祭の出し物を決める話し合いがメインという、かなりの思いきりの良さ。「文化祭の出し物でダンスをやりたいけどダンス希望のクラスが多数のため抽選をしなければならず、クラス委員がくじ引きをすることになる」なんて素朴な話をこんなに真面目にしているのが凄い。あまりに日常すぎる。しかしそんな日常の中にぽつぽつと幽霊が登場し、観客の緊張は途切れない。自身の高校生活を思い出すような一幕に次々と幽霊が現われ、それらから必死に目を背けようとするみこ(原菜乃華)の姿が愛おしくなる。幽霊から逃げ、目を背け、振り切ろうとするのに精一杯な彼女が、親友でクラス委員のハナ(久間田琳加)が身内の葬儀で憑りつかれてしまったことに気付き、どうにか除霊を試みていく。クラスメイトから借りた塩を投げつける庶民性も面白く、高校の教室の風景なんかは正に「邦画でよく見るポップさ」に満ち溢れている。

 

正直「大したことが起きていない」前半だったが、ちょっとした言葉のやり取りや、放課後の買い食い、そして何よりハナの明るさなどでもう充分にこの映画を好きになってしまっていた。ハナのとびっきりの天使性があるからこそ、彼女を守ろうとするみこの気持ちにも共感できる。やけに特徴的な男子生徒・昭生(山下幸輝)の顔の良さにも驚くが、そういったある種漫画的な味付けのされたキャラクターでさえ、邦画によくある誇張が一切されていない。表情やセリフ回しからキャラクターの関係性や性格が読み取れるようになっていて、説明的すぎないのにスッと物語が頭に入ってくる感覚が凄い。ポップな邦画はどうしてもエフェクトを多用してキャラクターの感情をこれでもかと説明したがるが、『見える子ちゃん』はそんなインスタントな手を使うことなく物語を紡いでいく。日常系の深夜アニメを観ているかのような気楽さで、時折ゾッとするような恐怖演出を楽しめるのがこの映画の前半なのだ。

 

しかし後半、ハナが命の危機に侵されてから物語のトーンは一変する。個人的には『ジョジョの奇妙な冒険 第4部』にも匹敵する変わり具合。当初は各エピソードが数話で完結し高校生の日常ものの中に不思議な戦いが織り込まれているというスタイルだった(といっても凶悪犯と戦ったりはしてたけど)のに、連続殺人鬼の登場によって一気に空気が変わり、主人公の仗助達が「町を守るヒーロー」へと変わっていくあの瞬間が私は大好きなのだが、この『見える子ちゃん』でユリアにみこが助けを求めるシーンもその趣があった。何というか、明らかに「除霊パート」に突入したワクワク感に満ちていたのだ。とはいえ、この映画にJホラーには最早必需品の「霊能者」は出てこない。最初は昭生がその役割を担うのかと思っていたが、彼の映画の中での役割はそこではなく、結果的にみこはユリアと共にハナに憑りついた霊と戦うことになる。ここで超有能霊能者が出てきてもそれはそれで面白かったが、出さないところも逆に独自性があっていい。霊の正体を突き止めるパートも良かったし、どうしてあの凶悪な霊を倒せたのかということにもちゃんと理屈がついていて、この辺りはミステリーものとしての楽しみ方もできて大満足。

 

遠野善役を演じた京本大我のおどおどした姿もすごく良かった。男性グループに疎いので「確かSixTONESの人…」くらいの認識だったのだが、あの頼りなさそうな印象が、逆に本人は絶対そういう人じゃないんだろうなという演技をしていて面白かった。『夜明けのすべて』などで松村北斗が出る度にもう感動してしまうのに、同じグループにこんな良いメンバーがまだいるのかと思うと恐れ入る。善が母親のトラウマを乗り越えていく神社のシーンはあまりに完璧だった。

 

何より「霊を無視する」ところからスタートしたこの映画。霊と目を合わせると「見えている」と気付かれ襲われることを知った彼女は必死に霊を無視しようとする。そんなことができないくらいに霊が大量に出てきているわけだが、結果的にハナを助けるために彼女は霊と向き合うことになる。そしてハナを呪う善の母親を祓うため、善を神社に連れ出して鳥居をくぐるように迫る。ユリアの協力で何とか日没までに善の母を引き剝がすことに成功するものの、彼女の言葉は未だに善を縛り付けていた。そんな時にみこが木の上を指さして「鳩」と言い、善が「それは違うよ。シジュウカラだ」と、そこからシジュウカラの巣立ちの話が始まる。必死に話し続ける母親を無視して、正に鳥のように巣立っていくというラストはあまりに美しく文学性すら感じられた。

 

そして映画の最大のサプライズである「実は幽霊でした」オチ。父親についてはみこと話すシーンで「あ、これ父親も幽霊だな」と自分は気付いたため、最後にユリアと話すシーンで種明かしされ「やっぱりなあ」と。というかこのシーンの風景もすごく良かった。車のトランクに座り込んでパピコを食べながら霊が見える同士で話し合うシーンが無条件に泣けてしまう。そこに父親とのドラマが乗っかって、「あ~いい終わり方だな」と完全に油断していたので、最後の昭生も霊だったオチにやられてしまった。思えば確かにこいつだけやけに漫画チックだったのだけれど、父親だけでなく何なら昭生だけでなくそもそも女子校でしたというオチまで用意しているだなんて、中村監督のサプライズ精神は計り知れない。霊を出すことだけに限らず、そもそも観客を驚かせようという意識がすごく強い人なんだなあと感じる。そして驚かせるだけに留まらず、過去シーンを振り返る形で、学校に未練を残す昭生の虚しさも伝わってくるようになっていて。何より、彼は霊だったけれど、周りと馴染めなかったユリアにとっては彼が心の支えだったのではないかと考えるとさらに泣ける。逆に昭生にとっても自分のことが見えるユリアは大切な存在だったのだろう。何ならこの2人の除霊コメディでスピンオフを作ってほしいくらいである。

 

久間田琳加の天真爛漫っぷりにも心を打たれたが、山下幸輝の堂々とした演技もかなり良かった。2人とも全然知らない役者さんだったけれど、これからどんどん活躍してほしい。なえなのは聞いたことがあったけれど名前は知らなかったので、あ、この人がなえなのなんだと学んだ。厳密には俳優ではないのかもしれないが、そんなことは感じないくらいに役にハマっていたと思う。

 

Jホラーブームが巻き起こった20数年前、そこからしばらくホラー映画は徹頭徹尾トーンを暗くしていくことに腐心していた。恐怖と笑いは根源こそ「驚き」という意味で同じでも、同時に成立させようという試みに挑んだ作品は少なく、むしろ「笑われにいく」くらいの気概で変なホラーが量産されていた時期さえあると個人的には思っている。2010年代にはホラービデオで様々な潮流が生まれ、『コワすぎ!』シリーズをはじめとした、笑えてかつドラマがしっかりとしているJホラーも徐々に増えてきたが、この映画はその一つの完成形と言えるような気がしている。笑えて、怖くて、泣ける。ジャンルに左右されない面白さ。青春のキラキラした部分も、ホラーの鳥肌が立つような恐怖も、ミステリーの驚きに繋がるような設定も、いろいろなものが盛り込まれている傑作。もう来週には話題作の『ドールハウス』が公開されてしまうのでこの映画が話題になる時間はそれほど長くないのかもしれないが、とにかく面白く素晴らしい映画だった。絶賛したい。