映画『火喰鳥を、喰う』評価・ネタバレ感想 申し訳ないが安っぽいファンタジーホラー

第40回 横溝正史ミステリ&ホラー対象を受賞した『火喰鳥を、喰う』が遂に実写化。インパクト抜群のタイトルだが、中身はホラーかミステリーかなかなか判別がつかない重厚な作品で、デビュー作とは思えないほどに原浩先生の手腕が発揮されている。かく言う私も文庫化に際して原作を購入し、この実写映画公開直前までまったく読めていなかったのだが、公開前日に何とか読破し、その面白さに息を呑んだ。墓から戦死した大伯父の名前が削られ、同時に彼の日記が死没地から届けられる…という不思議な符合から始まった物語は、執着を持つものと持たないものの現実改変バトルへと発展していく。

 

この作品がそもそも横溝正史ミステリー大賞と日本ホラー小説大賞が合併して初の大賞受賞作品ということを考えると、ミステリーなのかホラーなのか、現実的な物語なのかそれともファンタジーめいた物語なのか分からない酩酊状態が続く構成も納得がいく。結果的にはかなりファンタジー色が濃厚な作品となっているわけだが、初見では説明役を担う北斗総一郎があまりに胡散臭いせいで主人公の雄司も読者も真相が分からないまま事態に巻き込まれていく。思いの強いほうが勝利し、自らの現実を手に入れることができるという荒唐無稽かつアニメチックな話だが、原先生の重たい文章や語彙で、見事なオリジナリティが発揮されているのが面白い。やっていることは漫画やアニメのようなのだが、文章が放つ雰囲気や空気感はホラー小説のそれであり、このアンバランスさも原作の面白さにかなり寄与していると思われる。

 

そんな原作の映画化、本木克英監督で林民夫脚本とくれば、おそらく映画をよく観る方にはお馴染みだろう。両氏は『空飛ぶタイヤ』などでもタッグを組んでおり、数々の小説の実写化映画を生み出してきている。評価云々は別として、年に数作ペースで作品が公開されていることから鑑みるに、かなり仕事のできる人物なのではないだろうか。とはいえ、私にとっては両氏の作品はどれもあまりピンとこないというか、「ヒットした小説をTVドラマ的な映像として映画化する」ことに特化したお二人というイメージが強い。小説を読まない層に面白い作品が伝わることは良い事だと思うし、文章からイメージを膨らませて映像を作ることの苦労も推し量ることはできるのだが、まったく好みではない。観る度に、安っぽい映画だな…という思いを抱えてしまう。

 

そして本作『火喰鳥を、喰う』もその例に漏れず、かなり酷い作品になってしまっていた。映画にはプロデューサーの意向も反映されていると思うので、一概に監督や脚本が悪いなどと言うつもりはないのだが、結果としてこの映画は自分には合わなかったなあと。原作を読んで得た興奮をほとんど感じることができなかった。もちろんこれは原作を読んでいるために真相を知ってしまっているということもあるのだけれど、それにしても映像化として適していたかどうかはかなり怪しい。普通につまらない、という印象を抱いてしまったし、公開2日目にしてあまり評価が芳しくないのを観ると、同じ思いの方はかなり多そうである。

 

この映画の何が一番嫌かというと、単純に原作の雰囲気がほとんど保たれていないところ。原作未読の方に小説の冒頭だけを紹介したい。

 

お前の死は私の生

まただ。またいつもの夢。

私は自分の身体が夢境の泥沼にあるのを認識している。夢から覚醒しようともがくが、下肢は粘液に囚われて思うようにならない。叫ぼうにも縫い付けられた唇は開かない。海底を這うようにもどかしく歩を進める。

逃れなくてはならない。

 

映画を観た方にはこの冒頭が何を意味しているのかも分かるかと思うが、まだ物語が始まっておらずこの文章の意味も理解できない時点でも、語彙の堅さと文章の重みで独特の読み心地が担保されている。もちろんこの冒頭だけが特殊なわけではなく、全編に渡ってこのような重たい文章が続いており、この文章力がすごく自分の好みだったのである。実際、既に書いたが荒唐無稽なファンタジーがこの文章力によってオリジナリティを保っているという部分が大きいと私は思っている。

 

しかし、映画ではすごく”軽く”なってしまっていた。物語の持つ禍々しさを映像から感じられる部分は非常に少なく、藤村老人の突然の叫びや写真の中の保の表情の変化など、分かりやすい恐怖シーンですら冷笑ものになっており、非常に残念。ホラーとミステリーの境目を反復横跳びするような酩酊感が良かったはずなのに、ホラーなのかギャグなのか分からない映像が連発され、受け身を取るのに難儀してしまった。物語自体も非常に分かりづらく、小説では北斗の説明によって事態が鮮明になっていくものの、その北斗の言葉自体が正しいのかどうかが分からないというのが鍵だったはずだが、映画だとやたら北斗が喋っている(他のキャラの台詞が少ないというのもある)印象が付いてしまい、確かに舘様のちょっと浮いた演技は胡散臭くていいのだけれど、それにしてももう少しセリフ等の分担を出来なかったのだろうかと考えてしまった。水上恒司や山下美月も決して名もない俳優ではないし、むしろ彼等目当てのお客さんもいるだろうに、与えられた役が薄すぎる。主役の雄司に関しては執着を持たないということでその欲望の薄さが特徴なわけだが、それにしたってもう少しキャラを立たせても良かったのではないだろうか。小説は彼視点の物語だが、映画を観る観客は第三者の目線で物語を理解していくのだから。

 

あと、やたら棒立ちが多いのも気になってしまった。キャラクターが全く動かず、カメラも定点からのショットで、セリフの掛け合いが行われていく。メインキャラを演じる俳優さんは決してキャリアのある方々ではないので、表情だけではなかなか画面が良くならないのに、棒立ちで言い合うシーンがあまりに多すぎて辟易してしまった。雄司と夕里子の部屋でのシーンも、なぜか座布団を斜めに配置していて2人が向かい合わない構図になってしまっていたりと、カメラを意識したような画面作りがあり、それに関してもかなりきつい。観客的にはどちらの表情も見られるという意味でベストなのかもしれないが、2人しかいない空間であの座布団配置はおかしいだろ…とどうでもいいことが気になってしまった。

 

言葉をほぼ発せないために娘に通訳してもらっている藤村老人は原作通りなのだが、娘役の役者さんのビジュアルが奇抜でそっちに気がいってしまったし、藤村老人の喋り具合(正確には口のモゴモゴ具合)も喋れない人のそれではなくてげんなり。「ヒクイドリ!」と突然叫び出すシーンも怖がらせるという気概をまったく感じられなかった。与沢記者の人の喋り方もなぜか素人みたいでキツい。彼女に関しては死に際のLINEのエフェクトのような炎も最悪だった。あんな学生が遊びで作ったような映像で死を表現することがあっていいのだろうか。保を含めたパプアニューギニアのシーンも、あの茂みに奥行きを感じられず、すごく安っぽい画作りになってしまっていたなあと。限られた予算の中で作り手が奮闘しているのは分かるのだが。

 

石を体中に乗せられた山下美月に、袈裟のような恰好をした舘様など、キャストを面白がる的な見どころは多い一方で、物語はかなり薄味に思えてしまったし、キャラの行動の動機もイマイチ入ってこなかった。自分は原作を読んでいたために内容を理解できたが、この映画が初見だったらかなり厳しかっただろう。

 

ほとんど原作から改変のない映画ではあったものの、ラストシーンはオリジナル要素が追加されていた。保が生き延びた世界で宇宙の博物館のような場所で働く雄司。彼が宇宙に憧れを抱いた時期があったり、元々は大学で化学の講師をしていたというのもオリジナル設定。そんな彼が新たな世界で北斗の妻になっている夕里子とすれ違い、お互いに振り向いて何かを感じる…というシーンで映画が終わるわけだが、この『君の名は。』もどきはまったく不要だった。映画は執着を持たずにいた雄司が夕里子を失ったことで彼女への想いを剥き出しにして北斗に立ち向かい、それでも負けてしまったという苦い終わり方になっている。つまりそれほど北斗やチャコの執念が強かったという話であるわけだが、映画のラストシーン追加によって、引き裂かれた2人は別の世界でも運命を感じ合う…というような、安いラブロマンスめいた物語に収束されてしまっており、そこが自分としてはかなりの改悪だなと感じてしまった。雄司と夕里子のお互いに向ける愛情というのは映画オリジナルで特段強調されていたわけでもないのに、無理矢理ビターエンドを回避するような終わり方をされてかなりげんなり。

 

ちなみに舘様演じる北斗総一郎は原浩先生の別作品にも登場している様子。確かに彼は原作の時点でミステリアスかつ魅力的な人物だったし、映画でも独特なオーラを持っていた。映画は正直観られたものではない(というか、サスペンスやミステリー系で大賞レベルを受賞した作品が実写化されたパターンで私が気に入っているものがほとんどない…)のだが、原作はかなり良かったので原浩先生の他作品を読むいいきっかけをくれたという意味では感謝したい。