映画『マッド・フェイト 狂運』評価・ネタバレ感想 年始から今年ベスト級の衝撃作

 

『トワイライト・ウォリアーズ』のソイ・チェン監督の最新作『マッド・フェイト 狂運』。「誰でもいいから殺したい」という衝撃的なキャッチコピーが躍る本作は、占い師が殺人衝動を持つ青年と出会い、2人で運命を変えようともがく物語。作られたのは『トワウォ』よりも前らしく、『トワウォ』の大ヒットがなければ日本での公開は難しかったかもしれないと思うと、本当にヒットしてくれてよかった。とはいえ、自分は香港映画に全然詳しくなく、『トワウォ』を観に行ったのも谷垣アクション監督が入り口になっていたくらいなので、正直ソイ・チェン監督の最新作と聞いてもそこまで期待してはいなかったのである。正月休みで時間もあるし観てみるかくらいの軽い気持ちで席を予約したのだが、これが大正解。本当に観てよかった。年始にいきなり今年ベスト級の代物に出会ってしまった感さえある。

 

自分は『トワウォ』のアクション以外の小さな演出が凄く好きなのだが、おそらく同じ気持ちの人は少なくないはず。フルタマンになって悪人を懲らしめようとするところや、叉焼飯のシーンなど、登場人物達の生活や価値観に根差した演出がとにかく多彩で、彼等が絆を深めるシーンにも強い説得力が生まれていた。アクションに度肝を抜かれると共に、細部に至るまでキャラクターのことを考えられて設計されたような映画だなと、そのきめ細やかさに感動したのを覚えている。そしておそらくこの手つきは、ソイ・チェン監督の得意分野なのだろう。この『マッド・フェイト 狂運』においても、熱血占い師のホイ(ずっとサカナクションの山口一郎に見えていた)とサイコパス青年のシウが絆を深めていく過程は、明らかに常軌を逸しているのにどこか感動させられてしまう。精神疾患持ちの両親から生まれ、自分が狂ってしまうことを防ぐために占いに全てを捧げるホイ。人を殺したいが刑務所に入りたくはないので殺人衝動を必死に抑え込んで生きるシウ。街中で出会えば即座に「関わりたくない人」にカテゴライズされてしまうであろう2人の出会いが、運命を変える大きな戦いに変わっていく様は圧巻だった。

 

まずもって、この主人公2人のキャラクターが素晴らしい。恋人と結婚して普通の人生を送るはずだったのに、自分に普通の暮らしができるのかという恐怖がこみ上げ、勝手に恋人の前から姿を消してしまったホイ。それがきっかけで恋人は自殺し、その家族からもバッシングを受けることに。ホイにとっては恋人を愛するがゆえの行動だったのだが、全てが裏目に出た結果最愛の人を死なせることになってしまったのだ。悲しみの中、自分が狂ってしまわないように彼は占いによって自身を護り、両親のようになるまいと病的なまでに風水や運勢に固執するようになる。狂うことが自分の運命だと感じていながらも、それを変えるために奔走しているという設定が凄く良く、今日死ぬと占いで出た女性を1回埋めることで死の運命を回避しようとするなど、その笑ってしまうほど極端な方法を取ってしまう異常性にやみつきになる。女性を土に埋めようとする冒頭は正直何が何だか分からなかったのだが、少ししてホイが彼女の運命を変えようとしていたのだと気付くと、とんでもなく馬鹿馬鹿しく思えてくるから不思議である。そして彼は偶然出会ったシウが人を殺す運命にあると知り、それを変えるために奔走する。シウの運命を変えることは、何より回避したい「狂う」という自らに課された運命を跳ね除けられる証明になるのだ。彼が人の運命を変えようとするのには、利己的な部分も多分にあるように思えた。

 

栗原類似のシウは殺人衝動を抑えられないサイコパス。事件現場で血を見た瞬間に歓喜を抑えられなくなり、血だまりをペチャペチャと踏み鳴らすシーンがとても印象的だった。過去には鳴き止まない野良猫をナイフで殺して服役したこともあり、その時から一人の刑事に目を付けられてしまう。いつしか彼の殺人衝動は自分を追い回すその刑事に向けられるが、同時に殺人衝動を克服したいとも思っており、運命を変えてくれるというホイの言葉に半信半疑ながら期待している。ホイはどう見てもスピリチュアルに傾倒した怪しい男なのに、シウにとってはそれさえも救いになっているという設定だけで自分はもうだいぶ心を掴まれてしまった。風水で家をどんどん改造し、挙句の果てには独房のような部屋に住んで刑務所に入る運命を先取りしてしまおうというホイ(ホイのこの運命を小規模に先取ることで回避しようとする考え方が結構好き)の行動はどう見ても異常なのだが、それすらもシウにとっては救済なのである。なぜなら、誰もがサイコパスだと見捨てた自分を、彼だけが救おうと頑張ってくれているから。その特別な繋がりがあまりに美しくて、割と早い段階から自分はこの映画を傑作認定してしまっていた。

 

物語の展開も凄まじい。ホイとシウの2人が絆を深めていく過程には、2人が出会うきっかけとなった娼婦殺人事件の犯人との戦いがあり、刑事との因縁があり、シウの家族との確執がある。シウに善行を積ませるために貧しい老人達に無料でスープを配るシーンなんかは、それらが一気に発動するとんでもないシーンだった。ホイに言われるがまま笑顔で人々にスープを配るシウがまず面白いのだが、建物の男子トイレに凶器を隠していた殺人鬼が店に現れ、その後シウを信用していない刑事がつっかかってきて、シウの家族が「あんな奴がやり直せるわけがない」とホイに食ってかかる。並んでるのにほったらかしにされる老人達が気の毒でならないが、あのシーンの情報の密度が濃く緊迫感に満ちた一触即発の空気には痺れた。男子トイレで偶然凶器を発見してしまったシウがナイフについた血に興奮してしまう辺りも含めて、とんでもないシーン。いやシーン単位で言えばとにかく好きな部分がたくさんあるのだけれども。

 

常に映画をスピリチュアルかバイオレンスが支配する異常な作品なのだが、ホイとシウは至って真面目なのが面白い。そして2人が友情を育む過程も決して順調ではなく、シウが凶器を持ち去ったことを知ったホイが彼を自宅まで追いかけると殺人鬼が現れ凶器を奪い去ってしまい、その流れでホイは頭を打ち怪我を負う。シウは絶対に凶器を盗んだ犯人を逃がすまいと車で追いかけるが、その途中で近くに雷が落ち、視界が真っ白になったところで目の前にホイが現れ、彼を轢いてしまう。嘘だろ…と思うような展開が平気で起き、まったく先が読めない。しかもそこからホイの「狂い」が加速してしまうのだ。何とか運命を回避できそうになると、それこそ正に神様の悪戯のように彼等の人生に暗雲が立ち込めてしまうのだ。運命など全然信じていない自分でも、彼等の悲劇的な人生が本当に辛くてたまらない。売り場のカゴを勝手に開けて鳥を全羽逃がすようなコミカルなシーンのある映画で、こんなにも胸が締め付けられるとは。

 

殺人鬼はシウと同じアパートに引っ越してきた娼婦の女性を襲った際に死亡。一方ホイとシウは遺体安置所に忍び込み、遺体の人相を占って良好な運気を持つ者をシウに憑依させる作戦を決行していた。するっと侵入できる遺体安置所でもう笑うのだが、そこにホイが鶏を持ち込んでいるのだから可笑しくてたまらない。しかし彼にとっては至って真面目で鶏が羽ばたかず憑依が完了しないことのほうが問題なのだ。そこに偶然殺人鬼の遺体が運ばれてきてしまい、ホイは間違って殺人鬼がシウに憑依したのだと考え、無理矢理シウから殺人鬼を引き摺り出そうとする。一方誰も憑依などしていないシウはこの馬鹿馬鹿しい局面から必死に逃げ続ける。しかし、事態は更に悪化し、ホイとシウはホイの家のあるビルの屋上に刑事を手錠で繋ぎ、刑事を殺そうとしてしまう。そう、儀式によってホイが殺人鬼に憑依されてしまったのだ。これに関しては実際に殺人鬼が憑依したというよりはホイが狂って解離性同一障害を発症したということだと解釈しているがどうだろう。

 

ここからはもうずっと感動しっぱなしだったので詳細を覚えていないのだが、ラストシーンがとにかく素晴らしかった。ホイが自分の育てた花が再び実を付けていることに気付き、自分が何より回避したかった「狂い」は、シウを救うために自分が選んだ道の先にあったものだと宣言する。そして同時にシウの脳裏には猫に危害を加えた時のことが駆け巡り、それは近づいてきた刑事への殺人衝動を抑えるための「運命への抵抗」だったのだと思い出す(ここは明確にセリフにされていなかったので人によっては解釈が違うかも。自分はこう読み取りました)。そしてそのまま、刑事を殺さず天に向かって叫び続ける。いきなり捕まってボコボコにされた刑事からしたらまったくもって意味不明な状況(急に2人が別々に叫び出す)なのが非常にシュール。しかしこの映画の中ではこの馬鹿馬鹿しいラストが何よりの感動なのだ。絶対に回避しようとしていた運命を、流されるのではなく自ら選び取ったホイ。そして運命に抗い続けることを決めたシウ(あの場で克服したようにも見えたが、ラストで「俺はまだサイコパスのままだ」と言っていたのが凄くよかった。彼にとってそれは運命と戦い続ける宣言にほかならないので)。狂った運命に翻弄された2人の結末に感動していたら、口笛を吹きながらビルの隙間から見える太陽に向かって歩いていくシウのラストカットでもう涙が止まらない。自分の隣に座っていた女性もちゃんと泣いていたので、多分この映画は大感動映画なのだと思う。何もかもがセリフで説明されるわけではないので色々と解釈はできると思うが、多分人によっては刺さりすぎるのではないだろうか。自分はもう刺さって一生抜けない気がする。

 

急展開に次ぐ急展開で飽きることもなく、ホイとシウの2人の異常者の行動からとにかく目が離せない。第三者の目には奇異に映っても、彼等にとっては真剣で深刻なのだ。5Gで脳を操られないように頭にアルミホイルを巻いている人も、行動自体は奇妙だが、誰かに心を乗っ取られてしまう、自分が自分じゃなくなってしまうという恐怖の理由にまで思い至れば共感できないことはない。ホイとシウも現実で言えばアルミホイルを頭に巻くのと同じ…どころかそれ以上のことを平気でやっているわけだが、その裏にある必死さには心を打たれずにいられないだろう。正直『トワウォ』よりも好きな作品になってしまったので、時間を見繕ってソイ・チェン監督やヤウ・ナイホイ脚本の映画を制覇していきたいと思う。