映画『雪の花 ともに在りて』ネタバレ感想 松坂桃李の新境地

黒澤明の助監督を務めた経験のある小泉堯史監督の最新作は、実在した町医者・笠原良策の猛威を振るう疱瘡との戦いを描いた物語。時代小説の名手・吉村昭の小説が原作となっている。実際に観てみた感想を率直に言うのなら、小泉監督の新作以外の何物でもないなあ、と。小泉監督らしい芝居がかった台詞回し、アップをほとんど使わない独特な画角、時折挿入される大自然の風景。これまでの監督の作品に触れたことがある方なら、間違いなく映画の世界観に浸ることができるだろう。反面、感動作としての良さはやや薄い。世に観客を泣かせるためのエモーショナルな感動映画が蔓延った昨今では、少々地味な印象さえある。だがそれは小泉監督が独自の路線を突き進んでいることの証左でもあるのだ。

 

冒頭、謎の病に苦しむ村に呼ばれた松坂桃李演じる笠原の、ハキハキとした声が印象的。疱瘡を治す術などないと力強く言い切る姿は、とても主人公とは思えない。意図的なのか周りの村人達は背の低い中年男性ばかりで、姿勢良く立つ彼が画面の中心にいるだけで、芸術的な力が発生しているように思えた。疱瘡に苦しむ人々を救えず、医者として心を痛める笠原だったが、蘭学のことを知り、京都の日野という医師の元で教えを乞ううち、疱瘡の治療に光明を見出す。海外では既に、疱瘡にかかった牛のカサブタを体内に取り込み、予防接種を行う種痘という治療法が広まっていたのだ。予防接種は現代でこそ一般的だが、当時の人々にとっては人を殺す菌を一度体内に取り込むなどあり得ないのだろう。鎖国されていた江戸時代では、海外から種を取り寄せることすらそう簡単ではない。しかし何としても日本で種痘を広めるため、笠原は藩主に嘆願書を渡す。だがそれは一笑に付され、仕方なく江戸へ行くという友人の半井にもう一つの嘆願書を渡すことに。そこで見事幕府の心を掴み、長崎から種が送られてくるのだが…。

 

偏見もある中で未知の治療に挑む笠原の姿を淡々と描く、実に小泉監督らしい作品。四季の訪れを印象的に描くことで、移り変わりを堪能できる命の素晴らしさを描写するが、一方で冬の雪山の過酷さが時に人の命を奪うということも忘れさせない。コロナウイルスの影響で私たちと病気の関わりは以前より更に深くなってしまい、映画にあったような偏見も他人事ではなくなった。「種痘を受けたら牛のツノが生えてくる」なんて妄言でしかないし、映画の中では皮肉として言っているだけなのかもしれない。しかしコロナ禍の現代では「ワクチンを打てば5Gになってしまう」などという意味不明なデマが広がり、大真面目にそれを信じている人々がいる。SNSの普及で医療従事者の生の声を聞くことも増えた昨今、笠原の感じる思いにはやはり共感できる点が多い。

 

人々を救いたいという一心でやっているのに、誰かの悪意によって善意が妨げられてしまうのだ。それを幕府が直々に成敗してくれるという時代劇的の王道展開も盛り込みながら、笠原の種痘が人々に受け入れるまでを、暖かみある演出で描いていく。アップのシーンがほとんどないのに、どの場面でも人物が中央に配置されている安心感。演劇を観ているような独特なセリフの抑揚。15年以上のキャリアを持つ松坂桃李の中でも、これまでになかった新境地なのではないだろうか。正直、自分の中では松坂桃李は「現代的な若者」の象徴みたいなイメージが勝手ながらある。『侍戦隊シンケンジャー』でもクールなレッドを演じていたが、それ以降の作品もハキハキとものを言うタイプではなく、腰が低かったりミステリアスだったりするキャラクターのほうが多いと思う。そんな彼が疫病に堂々と立ち向かう江戸時代の町医者を演じるというのは、なかなか新鮮だった。長身のおかげでちょんまげ姿も様になっている。佇まいでここまで役柄を物にできる役者なのかと感激してしまった。小泉監督の描写に無駄のない人間ドラマのおかげで、彼の演技を十二分に堪能することができた。『虎狼の血』が好きな自分としては役所広司との師弟関係も見ていて微笑ましい。『虎狼の血』のような生臭さは一切なく、きちんと目を見て話す、人情的な間柄。豚小屋から手掛かりを探し当てた刑事の松坂桃李は、牛のカサブタを子供の体内に注入する江戸時代の町医者へと生まれ変わったのである。

 

芳根京子が太鼓を叩いているのも、正直脚本としての良さは全然感じなかったが、彼女がこんなに活き活きと太鼓を叩くなんていうことは金輪際ないかもしれないので貴重だった。演技力のある方なのは知っていたが、「えっへんえっへん」の言い方の深みも含めて、更に演技の幅が広がったように思う。吉岡秀隆の役は自分にはあまり刺さらなかったが、特徴的な声で笠原に言葉を掛ける姿はさすがの演技力。あまり意識できていなかったのだけれど、互いの心情を語り合った俳句も、深くまで突き詰めると更に物語の理解が深まるのかもしれない。

 

松坂桃李芳根京子にはちょっとしたアクションもあり、この2人の色々な演技を観ることができたのはかなり良かった。小泉監督の映画はBGMやカット割による味付けをほとんどしない分、俳優陣の演技力に全てが懸かっているような節があるが、そのプレッシャーをものともしない圧巻の演技だった。今ではあまり見られなくなった独特なテンポ感は、やはり新鮮に映る。ただ物語がオーソドックスなので、もう少しオリジナリティのある味付けが欲しかったのも事実。良くも悪くも先が読めてしまう作りな上に、順当に話が進んでしまうため、あまり心は動かされなかった。「風情がある」という表現がピッタリくる映画と言えるかもしれない。