映画『この夏の星を見る』ネタバレ感想 長編初監督作品の恐るべき表現力

自分は昔から辻村深月さんの小説がどうにも苦手で、奥底まで登場人物の感情を丁寧に描いて読者の共感を呼ぶ筆致に感心はすれど、決して好きと言うことはできなかった。今回映画化された原作『この夏の星を見る』も映画に備えて2日間ほどで読み終わったのだが、「うわっ、これは無理だ…」とかなり辛辣な気持ちを抱いてしまう結果に。辻村深月作品は事件ものでなくとも、ボタンの掛け違いのようなミステリー要素が含まれていることが多く、私は登場人物の心情描写に嫌気が差しつつ、ミステリーの答えが知りたくて読み切っているみたいなところがある。しかし、本作はそういったミステリー要素はなく、コロナ禍でスターキャッチコンテストに挑む中学生・高校生達の青春を描いている。要は、かろうじて自分と辻村深月を繋ぎ止めていたミステリー要素がないため、面白く感じないのも当然だったのである。文章は平易なので比較的読みやすいし、彼女の作品が大ヒットを飛ばす理由もよく分かるのだけれど、それでも自分の感性では辻村深月の作品を受け入れることがどうにもできないでいた。

 

原作を読んで意気消沈したため、映画にも全く期待していなかったのだが…これが滅茶苦茶面白い。青春映画やコロナ禍映画の新たな金字塔になるのではないかという予感さえ抱いてしまうほど素晴らしく、話の筋は知っているのに鑑賞中のワクワクが止まらなかった。この映画の製作陣は、あの小説をどう解釈し、どう描写していくのだろう。そんな気持ちをずっと抱くことができ、終いには泣かされる羽目に。監督はこれが長編デビュー作の山元環、脚本は今回が映画初参加の森野マッシュ。正直、このお二人の名前を聞いたことすらなかったのだが、間違いなくこれからとんでもない作品を作り続けていく2人なのではないだろうか。

 

具体的に何が良かったかというと、「言葉で語りすぎない」ことである。スターキャッチコンテストに参加する4チーム、それぞれに複数人の登場人物が所属しているのに、描写や演出や演技で見事に彼等一人一人を描き切っている。辻村深月の作品は、感情をとにかく分解し咀嚼し誰もが共感できる最小公倍数まで描写していくのだが、それらが映画では説明的でなく、些細な描写や声色に表れていて、自然と映画の中に没入できるのだ。亜紗(桜田ひより)と凛久(水沢林太郎)が入部の時に理科室で互いに持っていた雑誌を見せ合い、最後に固い握手を交わすシーン。真宙(黒川想矢)が亜紗に「中学生でもスターキャッチできますか?」と電話を掛けた後、亜紗が廊下を奪取し、真宙がサッカーボールを振り回しながらスキップするシーン。輿(萩原護)が電話越しに円華(中野有紗)がいると分かって姿勢を正すシーン。登場人物の気持ちの動きが、自然な体の動きに表れていて、とにかく気持ちがいい。会話のテンポもよく、それぞれの組の仲の良さが、それぞれ違った形で表現されているのも素晴らしかった。しかもコロナ禍の設定であるため、登場人物はほとんどマスクをしている。口元が見えず、視線や声色だけの演技でこれほど「表現」に重きが置かれているというのも凄い。

 

小説からかなりオミットされた部分も多いが、自分としてはあまり気にならなかった。むしろ要素を削ぎ落したことで、物語の流れがよりスムーズになっていて、リライトを何稿も重ねているらしいがとにかく取捨選択が素晴らしい。でも、この映画の製作陣ならきっと小説を丸々映像化しても、とんでもない傑作を生みだしていたのだろうなあという信頼感さえ生まれている。映画の中で特に良かったのは、やはりスターキャッチコンテストのシーン。綿引先生(岡部たかし)の特徴的な喋り方で星の名前が叫ばれ、生徒達が望遠鏡の向きをグルッと変えて「ロック!」の合図で位置を固定し、少しずつ星にピントが合っていく。各校で次々とカットを割りながらの臨場感に満ちたシーン。文化部なのに運動部の試合を見ているかのような高揚感さえあった。焦りと期待に満ちている、望遠鏡を覗き込んだ生徒の目にフォーカスするカットも上手い。正直あのカット割りの気持ち良さだけでこの映画に満点を付けたいくらいである。

 

コロナウイルスによって青春を奪われた学生達が、一生に一度しかないかけがえのない学生時代を、何もかも制限される中でどう生きていくか、ということが問われるこの作品。最初はスターキャッチコンテストに積極的でなかった面々にとっても、徐々にこのコンテストが自分の居場所になっていく。誰も悪くないけれど、彼等には確実に「青春を奪われている」という実感があって、そんな中で人と協力して望遠鏡を作り、コンテストで競い合うという体験は、紛れもなく彼等の青春となった。視野の狭い望遠鏡で星にピントを合わせるというスターキャッチコンテストそのものが、制限の厳しいコロナ禍で自分たちなりの青春を見つけていく彼等の物語とシンクロしている。原作では望遠鏡の解説や作り方の描写が長々と続いて、ここが本当に知識をひけらかしているようで退屈だったのだが、映画では専門的なことは省き、各校にスターキャッチコンテストを説明するシーンでは、茨城校メンバーが惑星のコスプレをするコメディ的な演出までされている。テーマは何も変わっていないのに、地の文で書かれた描写を細部まで視覚的に表現してくれる本作は、まるで「小説の映画化」のお手本のようだった。