映画『近畿地方のある場所について』評価・ネタバレ感想 原作の見事な「翻訳」と、とめどない白石イズム

2025年6月から続いている怒涛のJホラー劇場公開も佳境に入り、遂にホラーファン待望の『近畿地方のある場所について』が公開された。おそらく原作を読んで楽しみにしている人も多いだろう。原作の評判を知って、映画化を機に興味を持った方もいらっしゃるはず。私にとってもこの映画はとても楽しみにしていた1作で、その理由は「白石晃士監督の最新作」だからである。自分がホラー作品を追いかけるきっかけとなった『コワすぎ!』シリーズにハマって早10年以上。私の人生を変えてくれたと言っても過言ではない白石監督の最新作が、ホラーファンを唸らせ、一時は社会現象にまで発展していたようにさえ思う原作の映像化となれば、観ない手はない。個人的には今年の大本命とまで考えていたわけなのだが、実際、かなり面白かった。ほぼ満席の劇場にも関わらず両隣がカバンの中を常にガサゴソと漁って何かを食べていたのが非常に残念。こいつらこそダムから飛び降りればいいのにと思ってしまう。だが、そんな迷惑客の印象を掻き消すほどの圧倒的な面白さ。案の定批評サイトでは賛否両論。しかし、私はここまで大規模な作品を手掛けるようになっても、自身のエッセンスを遠慮なくぶち込む白石監督のことがますます大好きになってしまった。原作からの大胆な改変、そして期待通りの「白石イズム」。もう満面の笑みである。

 

本作の原作は言うまでもなく、背筋氏の大ヒット小説『近畿地方のある場所について』。カクヨムでの連載が「これは本当の出来事なのではないか?」と口コミで話題となり、書籍化を果たして大ベストセラーとなった。今では大概の書店に原作が堆く積まれている。強大なインパクトの真っ赤な表紙が書店の入り口を席巻している光景は、それ自体がもう不気味ですらある。

かく言う私はネットで小説を読むのがどうしても苦手で、原作に手を出したのも白石監督で映画化されると発表された後だった。何なら今年に入っての話である。読んでみての感想としては、「もっと早く読んでおけばよかった…!」に尽きる。地域の伝承や都市伝説、噂話、様々なホラー要素を複合的に描写しつつ、それらが「近畿地方」のワードで一つに集約していく面白さが堪らない。インタビューの文字起こしや掲示板のスレッドなどなど、各エピソード毎に形式まで変えていくほど丁寧なアプローチ。そして極めつけの叙述トリック。単行本で一気に読んでしまうとさすがに「本当の出来事では?」と思うのは難しいのだが、それでもフェイクドキュメンタリーとしてかなり秀逸な作品だったように感じた。

 

そして映画版では、文章で語られた様々な恐怖が、見事に映像に「翻訳」されていた。ただ漫画を映像化しただけのアニメ、小説の展開をなぞっただけの実写映画も多い中で、白石監督は「主人公の本心が最後に判明する」という原作の核の部分を重要視しつつ、小説という二次元の媒体から映像という三次元の媒体へと素晴らしい昇華を果たしている。小説のエピソード一つ一つに真摯に向き合い、どう映像化すべきなのかを考え抜いた結果なのだろう。パンフレットを読むと白石監督自身が「原作の映像化において要素をいたずらにカットするのではなく、アイデアを巡らせてどう変換するかが監督の勝負どころだと思っています。」と発言している。「徹底的な原作通り」ばかりが持て囃される現代、もちろんその多くは漫画の実写化・アニメ化に対してだが、今作は原作も大ベストセラーであるため既読の人々もかなり多いはず。そんな中で原作の精神性を受け継ぎつつ「映像化」にここまでの熱量を注げる日本の映画監督はそういないのではないだろうか。そして実際、本作はかなり白石エッセンスのようなものが濃い作品になっていた。

 

正直、原作のエピソードを映像に起こしただけの前半はかなり退屈だった。「もしかしてハマらないかも…」とさえ危惧していたが、編集長の佐山の隠れ家に向かう辺りで映画のテンション自体が一変する。何と言うか、「ここまでは原作の恐ろしさを土台にしました、ここからは白石晃士劇場をお送りします」みたいな、丁寧なナレーションがついていたかと思うほどにトーンが違う。もちろん前半でも白石監督の過去作を思わせるオリジナルの演出や描写はあるのだが、原作既読の私にとっては、原作にない展開が本格的に始まった時の高揚感が忘れられない。大学生のお祓いをするお坊さんが出た時には「白石監督お馴染みの負け霊能力者だ!」となったし、彼が嘔吐した時には「白石監督、またゲロを!!」と思わず心の中でガッツポーズをしてしまった。知らない人もいるかもしれないが、ゲロは白石監督のお家芸なのである。大概の作品では霊に敗れた人間がゲロを吐いているので、ぜひ確認してみてほしい。特に近作『サユリ』でのゲロ描写は一段レベルアップしていて本当に素晴らしいのである。

 

佐山の居た隠れ家も、監督の『オカルトの森へようこそ』に出てきた場所とおそらく同じ家で、それだけでニヤニヤしてしまった。そして明らかに異常な佐山と、更に異常な四足歩行の妻。この家のシーンは画角や佐山の気の触れ方に強力な白石イズムを感じることができ、映画の中で一番怖かったシーンかもしれない。それまでの映像が「ちょっと異常な現象/人々」くらいに留まっていたのに、佐山の妻はどう見てもおかしく、彼女が叫ぶシーンは鳥肌モノだった。「もう全部ダメなんだよ」の台詞も白石監督作品では割とお馴染みで、この家の不気味さだけで映画のボルテージが一気に上がったような感がある。妻の死に方も惨くていい。

 

佐山が遺した映像から、千紘(菅野美穂)が過去にある宗教団体に入っていたことが判明し、驚く小沢(赤楚英二)。彼女から息子を亡くしたことを聞かされ、彼は車中でその悲しみに寄り添う。そして千紘は「あの石をぶっ壊そうよ!」と小沢に持ちかける。『コワすぎ!』の工藤Dを彷彿とさせる、前半の比較的穏やかなイメージとはかけ離れた千紘の豪快さ。ギアチェンジシーンが妙にかっこよく、そのまま赤い服の女と首の落ちた少年を車で轢くほどの馬鹿っぷりを見せつけてくれる。白石監督は口裂け女さえも車で轢くくらいの監督なのだから、当然怪異と車の相性を知っているのだ。そして千紘達は祠に辿り着くが、そこに目当ての石はない。狂ったようにバールで祠を破壊する千紘。そこに映像にあった「おーい」という声が聞こえ、何かに憑かれたかのように彼女は森の奥深くへと走っていく。必死に追いかける小沢。そして広い池とその中央に立つ異様な樹に辿り着く。突如千紘が「ありがとう」と小沢に礼を言い、何事かと小沢が振り向くと、そこには探していたはずの石が。

 

そう、千紘は殺された自分の息子を取り戻すために「ましらさま」などと呼ばれる怪異に生贄を捧げようとしていたのである。編集長の佐山も生贄にする予定だったが、おそらく抵抗されてできなかったのだろう。しかし小沢は素直に千紘の思う通りに動き、この森まで辿り着いてしまった。千紘の行動は全てこの時のためにあったのである。前半で妙に食事シーンが多いなと引っ掛かっていたのだが、パンフレットに拠ると、千紘は生贄の小沢をわざと肥えさせていたらしい。「野菜も食べなきゃ」などと優しい女性を演じ、その実彼を怪物に捧げようと考えていたわけである。事件にのめり込んでいく彼に敢えて引き止めるような発言をしたのも、意図的なものだった様子。全ての謎が明かされて思い返してみると、前半から千紘という女性の恐ろしさを着実に積み立ててきたことが分かる。

 

千紘が実は小沢を利用していたというトリック自体は原作とそう変わらない。確か原作では明確に彼を生贄にしたとは言っていないが、千紘は失った息子を取り戻すために「ましらさま」の力を借りようと計画し、その結果彼女が身分を偽って連載したのが『近畿地方のある場所について』という体裁になっている。中盤から展開が大きく変化していたのでどうなるかと思ったが、千紘に関しては原作と同様であり、帰結が同じだからこそ展開を大きく捻ってきた白石監督を評価したい。そして最後はこれまた白石監督お馴染みの霊体ミミズ…と思いきや、ちゃんと「ましらさま」の人型要素も入っていてパワーアップしていた。低予算であることを半ば揶揄する意味で使われていた「霊体ミミズ」も、ここまでの潤沢な予算を携えて、大量の目玉を赤楚英二に放つほどに進化している。正直、急にクリーチャーが出てきたのには面食らったが、白石監督ではこういったバカげた怪物の登場はあるあるなので、私は大いに笑わせてもらった。最後、石に引き込まれた後に小沢が一度抵抗して手を伸ばすのもいい。白石監督はああいう切ない死を描くのも上手い。

 

原作を大胆に改変して小沢と千紘が本当に石をぶっ壊す展開だと信じ込んでいたので、なるほど最後は原作のラストに落ち着くのかあと半ば納得感もありつつ、ちょっと残念でもあり。ただ、ラストで冒頭の映像の意味が分かる構成(おそらく千紘は小沢の次の生贄を探しているのではないだろうかと読み取れる)はさすがの一言。可能性はいろいろ示唆しつつも、明らかに化け物の赤ちゃんや、顔の歪んだ千紘など、映像的な恐ろしさには余念がなく、とにかく不気味なラストだった。

 

とはいえ、不満がないわけではない。前半、原作の映像化がひたすら続くだけなのはちょっと辛かったし、エンジンがかかるのが遅い気もしている。そして何より、原作のキモである「読者に地名が分からないように『近畿地方のある場所』という表現にしている(と言いつつ、語り手が実は読者の興味を煽ってその場所に誘導している)」という構成が、映画の中では意味を成していない。編集長の置いていった資料を整理した小沢が「近畿地方に何かありますね」と言うのだが、ダムや団地まで絞れているなら県名を言ったほうが自然なのである。わざわざ「近畿地方」とぼかす必要が全くないのだ。原作と同じにした映画のタイトル自体が、ストーリー性を帯びたことでそもそも破綻しているというかなり歪な構成。完全にフェイクドキュメンタリーだったら千紘が原作通り意図的にそう仕向けたのだろうと推し量れるのだが、この映画はフェイクドキュメンタリーでもありつつ普通の映画でもあるため、そういった見方は難しい。

 

また、構成の面で言うとやはり原作の持ち味と白石監督イズムが若干喧嘩をしてしまっているような印象もあり、うまく融合できていないようにも感じられた。序盤の映像の再現度(過去のバラエティの番組名までも浮かんできそうなほど)は確かにすごいが、そこからラストに怪物を出す映画というのはいささか結びつきが弱く、駆け足で白石監督イズムがゴールを決めているようにも見えてしまった。ここまで弾けるのなら、序盤から白石イズムを出してほしかった…という気持ちがある。まあ、どこに着地するか分からないのが白石監督作品の持ち味なのだけれども。

 

惜しい点もあったものの、自分の大好きな白石監督らしい作品がまた世に生まれてくれて、かなり満足している。改めて、本当に信頼できる監督だなあと。また、連載版や単行本とはまったく別の内容で『文庫版 近畿地方のある場所について』が先日刊行されているので、未読のかたはぜひ読んでみてほしい。

 

単行本と文庫版で内容を大幅に変えるというのもかなり凄いが、実際読み応えが真逆になっていて背筋さんの手腕に感動さえ覚える。「見つけてくださってありがとうございます」の意味さえもガラッと変わっているが、出てくるエピソードはそこまで手を加えられていない。映画自体は単行本を意識した内容だが、更に文庫版と読み比べてみても面白いと思う。