ドラマ『じゃあ、あんたが作ってみろよ』が非常に面白かった。モラハラ気質のハイスペック男性・海老原勝男(竹内涼真)と、男性に尽くすことだけを生き甲斐と信じて生きてきた女性・山岸鮎美(夏帆)の別れから始まるラブコメディ。Tverでも174万以上お気に入り登録をされており、2025秋クールにおいて最も注目されたドラマと言っても過言ではないだろう。かく言う私も第1話を観て、あまりに飄々とライン越えを連発する竹内涼真に大笑いして視聴の継続を決めた。物語は2人の別れから始まり、結婚まで意識していた2人は別々の道を歩むことで、たくさんの新たな出会いに恵まれ、他人の価値観に戸惑いながらも自身の考えを顧み、改めていく。大規模な事件が起こるわけではない火10ドラマらしい素朴さだが、日常の中のあれこれを通して現代的な目線で人と人との関係を描いていく素晴らしいドラマだった。
このドラマのキーワードとなっているのが「価値観のアップデート」。作ってもらったご飯に対して「茶色すぎる」と平気で言えてしまう勝男が、フラれたことを契機に自分の行いを見つめ直し、考え方をアップデートさせていく。爽やかな印象のある竹内涼真が誰がどう見てもアウトなモラハラをすかさず繰り出してくる面白さは、まるで喜劇のようだった。しかし、回を重ねる毎にそういった描写は少なくなっていく。勝男は全10話を通して過去の自分を恥ずかしいと思えるまでに成長していくのだ。実際このドラマには価値観のアップデートを要素にした側面があると思うし、アップデートの重要性を説いているとも感じられる。
しかしこのドラマが殊更に真摯なのは、価値観のアップデートをゴールにしていない点である。Twitter(新X)が多くの人々にとって日常的なツールとなり、見知らぬ誰かの言動を好き勝手に裁くことが容易になってしまった現代の日本。そこでは、価値観のアップデートがされていないと見做された場合、光の速さで粛清される。実名を出している個人ならデジタルタトゥーとして晒され続け、企業ならばイメージが一気に悪化し不買運動等が起こることになる。毎日のように誰かや何かが炎上している世の中なわけだが、価値観のアップデートはその火種としてかなりの力を持っていると思う。
だが、価値観のアップデートは実際にはゴールではない。価値観のアップデートは自分以外の誰かと繋がるための手段なのだ。だからこそ、アップデートできていない人間を爪弾きにし、社会から追い出すことが容易な社会は健全ではないと私は感じている。他者理解のために多様な価値観を認識し、相手の懐に入ることは難しくとも、相手を不快にしない程度には自身を変容させていく。そして他者と健全なコミュニケーションを取ることが本来の価値観のアップデートの目的のはずなのだが、実際にはアップデートが出来ているか否かで線引きをし、「さす九」という言葉に代表されるように差別意識を助長するような動きさえ生まれてしまっているのは非常に嘆かわしいことである。アップデートしなきゃという向上心を持つことは素晴らしいが、それを持たない人間やそこに気付いていない人を糾弾するための道具としてアップデートされた価値観を使ってはならない。それでも、コンプライアンス違反は容易く相手を社会的に抹殺できる手段であるがゆえに、しばしば武器として使われてしまう。
『あんたが』の勝男の素晴らしいところは、他者との関わりによって自身の価値観を前に推し進めつつも、それを誰かに強要しないところである。変わったほうがいい、変わるべきだ、あんたは間違っている。そうやって感情に任せて言葉にするのは非常に簡単だが、彼はスタートラインがどん底で、変わることの難しさや恐ろしさをよく理解しているからこそ、そういった言葉を安易に投げ掛けない。しかしそれでも、相手との対話を諦めることはしない。過去の自分とそっくりな兄・鷹広の言葉に呆れながらも、彼が話そうとしない本心に迫るために、部下達の力を借りて兄が食べたいと言っていたとり天を作り、空港まで届けに行く。鮎美にフラれた際に「勝男さんに言っても分からない」と言われたことがよっぽど悔しかったのだろう。もちろん生来の明るさもあるのかもしれないが、それでも彼の対話を諦めない姿勢は現代人に必要なものだと感じたし、それをセリフとしてではなく、勝男の行動で見せてくれるこのドラマには非常に好感が持てた。
対話の重要性はドラマ内で山のように描かれている。ミナトと鮎美が別れてしまった原因も、対話不足にあると考えられるだろう。結婚願望がまったくないミナトと、勝男には違和感を抱き別れたものの、良き伴侶として生きていくことが幸せだという価値観はまだ残していた鮎美は、お互いの将来のビジョンを話し合っていないせいで齟齬が生まれ、短期間での破局に至ってしまった。最初からもっと対話をしていれば、2人はそもそも付き合うことさえなかったかもしれない。椿(中条あやみ)とその恋人(石崎ひゅーい)の最終回でのやり取りも象徴的だった。お金は払えるほうが払うべきという椿の考え方と、そこに負い目を感じてしまっていた彼氏は一度破局してしまったものの、対話によってよりを戻すことになる。彼等の他者への振る舞いは決して価値観のアップデート云々の問題ではない(そもそも彼氏側のドラマや葛藤はほとんど描かれていない)のだが、このドラマが伝える「対話の重要性」においては勝男・鮎美カップルと対照的な結果となるという意味でも非常に意義のある存在だった。
一方で、このドラマには対話を諦めてしまった者達も登場する。代表的なのが勝男のもう一人の兄・虎吉。彼は両親の古臭い価値観の押し付けに嫌気が差し、ほとんど家族と連絡を取っていなかった。彼が登場する第7話の時点では勝男達の両親はアップデートされていない悪しき親として描かれていたために、そこに違和感を覚えて負の遺産を自分の妻や娘に継承させまいとしていた虎吉の葛藤と人柄の良さが視聴者の心を打つ形となっている。しかし、続く第8話で化石母、そして化石父までもが勝男の家に乗り込んでくる。お節介な母親の襲来は椿に恋人のフリをしてもらうラブコメ要素たっぷりな演出が面白かったが、それ以上に重要なのは勝男が母親との対話を放棄しなかったことである。お節介な母親をどう追い出すかに苦心しながらも、幼少期から母にたくさんのことをしてもらい、そこにしっかりと向き合っていなかった彼は母親に感謝を言葉で伝える。そしてそれが母の価値観のアップデートに繋がっていくのだ。なりたくないと思っていた小言のうるさい姑になりかけていた母は、勝男の言動を見て踏みとどまることができた。そんな母子の言葉を狸寝入りのまま聞いていた化石父も、僅かだが態度を軟化させていく。元々アップデートされていた側だった虎吉が諦めてしまった両親との対話を、遅れてアップデートを果たした勝男が実行していく姿が眩しい。虎吉を批判するつもりはないが、このこともまた価値観のアップデートについての本質的な部分を突いていると言える。
そして終盤で登場した勝男の部下が凄い。周囲の協力で変われたはずの勝男が、若者からの反撃に遭い、再び化石認定されてしまうのだ。飲みに誘う、おにぎりを手渡すなどの勝男の良心から出た行動が、ひたすらに彼の反感を買い、遂には謹慎処分にまで発展してしまう。私達視聴者は勝男の魅力を知っているがゆえに残念に思うが、部下からすれば無理難題や面倒な仕事を押し付けてくる上司が自分にしつこく付き纏っている状態であり、彼の言い分も分からないではない。しかし、この軋轢自体がコミュニケーション不足によって起こった事故なのである。そこに気付いた勝男はどうにか彼とコミュニケーションを取ろうとするが、全てが裏目に出てしまう。最初から断絶され、悪化の一途を辿る関係にどう切り込んでいけばいいのか。このドラマはその問いに対し、間接的に人を動かすことをアンサーとして提示する。勝男は確かに変わった。しかしそれは部下である彼の心を動かす変化ではなかった。だが、別の部下である南川は彼の変化に心を打たれ、愛情すらも感じているような演出がなされている。勝男を信頼している南川が動いたからこそ、部下と勝男は協力することが叶った。人間である以上、全ての人と仲良くなることは難しいかもしれない。しかし、自分が仲良くしている人物の誰かが、うまく関係を構築できない誰かとの仲を取り持ってくれることがある。対話は時として煙たがられてしまうものの、人と向き合おうとする姿勢それ自体は悪いことではないとこのドラマは優しく教えてくれるのだ。
そして何より、対話の放棄という意味では勝男に自分の意思を伝えることを拒んだ鮎美が代表者だろう。モラハラ気質の勝男には分かってもらえないと何も説明しないまま別れた彼女もまた、吉井夫婦との出会いやミナトとの交際を経て、対話の重要性を理解していく。男性に尽くすことが全てだと思っていた彼女にとって、自由意思を尊重してくれる吉井達との出会いは衝撃的で、最初は受け入れることができなかった。しかし、自分の気持ちを押し込めて過ごす人生に意味を見出せなくなってしまった彼女は、自分の夢に向かい、自分の言葉で社会と関わっていく力を身に着ける。詐欺から発展した夢えはあるものの、自分の店を出したいという彼女のアンサーは、本心を出さないコミュニケーションを続けてきた彼女にとって素晴らしいゴールだと感じた。鮎美の控えめな性格はこれまで勝男を含めて周囲の誰一人傷つけることはなかったが、知らず知らずに心が死んでいってしまったのだろう。そんな彼女が本心を出すという形の「対話」を通して自身の生き方を見つめ直すドラマが、アップデートを続けていく勝男と並行して描かれている。そのことからも、このドラマが単に価値観のアップデートを促すだけでなく、対話やコミュニケーションを重要視する物語であることが分かる。
結果的に2人は再度交際するものの、別れることとなる。2人を微笑ましく思っていた視聴者にとっては辛いかもしれないが、これもまた対話の結果なのだ。最初から自分の気持ちをしっかり話していれば、そもそも2人は付き合うことなどなかったかもしれない。しかしその場合、鮎美は男性に気に入られるために自分に嘘をつき続け、勝男は自身の時代遅れな側面に気付くこともなかっただろう。2人は長い交際の果てに一度別れ、互いに価値観を改めた上で対話を重ねたからこそ、新たな一歩を踏み出すことができたのだと思う。
勝男のやらかしに笑いながらも、視聴しながら勝男と同じことをしていないかと自分の行いをついつい顧みてしまうような2ヶ月間だった。勝男達だけでなく、鷹広や虎吉などの出番が短いゲストキャラにも共感でき、心模様の複雑さに思い至ることができるほど作り込まれているのが本当に凄い。アップデートできていない人間を糾弾し、置いてけぼりにして勝手に社会が進んでいく中で、勝男のような他者とのコミュニケーションを必死に図ろうと間違え続ける人間は「希望」なのではないだろうか。とにかく竹内涼真の勝男が素晴らしかったので、願わくばスペシャルドラマなどでまた彼に会いたいのだが、どうだろう。
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