映画『ヴィーガンズ・ハム』評価・ネタバレ感想 アホコメディだけどちょっと真面目に考えてしまう

差別意識がとにかく酷すぎる。倫理観が欠落した肉屋の夫婦がヴィーガンを殺しまくってハムにして売る馬鹿馬鹿しいコメディ映画、『ヴィーガンズ・ハム』。日本で観られるようになってからずっと話題になっていたのは知っていたが、特に理由もなく放置していた。いざ観てみると、話題になっていただけあって、結局めちゃくちゃ面白かった。面白かったが…。こういう差別がたっぷり乗っかったコメディ映画を楽しんでいいのだろうか、みたいな気持ちにもさせられる。ヴィーガンの主張は馬鹿にされがちだし、過激派のせいで実際「迷惑者」扱いされている側面もある。肉屋に危害を加える集団という印象もこびりついてかなりの時が経つし、そういった認識を物語の中に溶け込ませ、昇華しているという意味でこの映画は確かに凄い。軽快なノリで人の命を屠っていく映画は自分も大好きだし、この倫理観の欠け方は本当に楽しいと思う。ただ、もしこの映画の標的が「ヴィーガン」から「アジア人」とか「日本人」に置き換わった時、自分は素直に楽しめるだろうか…という真面目すぎる考えが頭を過ってしまった。

 

夫婦で精肉店を営むヴィンセントとソフィー。収入面ではかなり苦労している様子で、夫婦仲も冷え切っている。商品にたいしてのこだわりが強いヴィンセントを呆れた眼差しで見つめるソフィー、この冒頭だけでもう夫婦間の関係性がよく分かる。離婚を検討してしまうレベルでうまくいっていない熟年夫婦。そんな折に店がヴィーガンの集団に襲撃される。ドライブ中にそのうちの一人を見かけたヴィンセントは、怒りのあまりその男を車で轢き殺す。死体をそのまま捨てる勇気がなく、豚肉と一緒に夜な夜な自宅で解体するが、ソフィーが店を開き、人肉とは知らずその肉を客に売ってしまっていた。しかしそのハムが評判になり、ヴィンセントはとっさに「イラン豚」と嘘をつくことに。引き返せなくなった夫婦は、生活のために次々とヴィーガンを殺して「イラン豚」として売るようになっていく。

 

というのがざっくりなあらすじ。この時点でグロい映画なのは間違いないので、観る人を選ぶ作品であるとは思う。殺人を楽しく描く作品自体は自分も嫌いじゃないし、ゾンビ映画も好きなのでグロテスクにも耐性はある。実際、この映画で目を背けたくなるようなシーンはそんなになかった。耳を噛む辺りはちょっと嫌だったけれども。むしろ嫌悪感が大きかったのは「この夫婦が特定の人間を殺していく」という辺り。つまりはタイトルにあるように「ヴィーガン」である。もっと細かく言うのであれば「ヴィーガンの健康的な白人男性」だろうか。最初のイラン豚の特徴と合致し、女性を殺したくないというヴィンセントの希望に沿ったことで、結果的にこのカテゴリーに当てはまる人物を次々と殺していくことになる。

 

正直中盤まではかなり軽快なノリのおかげでゲラゲラ笑いながら観ていたのだけれど、もしこの映画が「アジア人」を殺すような映画だったら同じように笑えていただろうかという気持ちに至った。至ってしまった。もちろんそんな映画だったとしたらここまで絶賛はされていないと思う。むしろ炎上的な意味合いで話題になっていたはずだ。何故ならアジア人は被差別側に位置するのが一般的だからである。映画では白人男性が標的にされているため、一般的になってしまっている差別意識や偏見へのカウンターとも捉えられるかと思ったが、最終的にヴィンセントは黒人女性も殺し、「女性の味も黒人の味も初めて」というような会話が夫婦間でされている。つまりは、この映画は現実で起きている差別問題に警鐘を鳴らすような物語にはなっていない。むしろ、作り手が差別意識を剝き出しにしているか、もしくは差別意識を上手く扱ってコメディに昇華しているかなのである。

 

以前、芸人の吉住がデモを題材にしたネタをTVで披露した時、「デモを揶揄している」と捉えられ、かなり炎上したという出来事があった。国を変えようとデモを行っている人達からすれば、確かにそのネタは気分が良いものではなかっただろう。とはいえ、それはデモ活動者に対する感情を笑いのネタとして落とし込んだという意味では、発想力があると思う。この問題と同じで、「笑いの当事者にされた人間」は、それがお笑い芸人のネタであってもコメディ映画であっても、不愉快なものなのである。『ヴィーガンズ・ハム』はヴィーガンでもない日本人男性の自分としては他人事と捉えて笑うこともできたが、もし自分がヴィーガンだったらどういう気持ちになるかみたいなことを考えると、自分の無自覚な差別意識に背中を刺されるようで心苦しい。自分の属するカテゴリーの人間が意図的に狙われて命を奪われハムにされるというのは、あまりに悍ましい展開である。

 

と、素直に楽しんでいいものかどうか…と迷ってしまうのだが、映画としてのレベルはかなり高いと感じている。ヴィーガンを食ってみたら美味かったなんて出オチみたいなシチュエーションに、倦怠期の夫婦が再生していく家族ドラマが見事に乗っかっているマリアージュ。このコメディドラマとしての構成力が素晴らしいおかげで、逆に人道的な部分が気になってしまうというジレンマ。映画としては非常に楽しいけれど、楽しんでいいのか…?と不安になる絶妙なバランス。

 

ヴィンセントは甲斐性もないし臆病だし頭に血が上ると衝動を抑えられないというかなり不器用な人物だが、それでも妻のソフィーを愛していることが様々な描写から伝わってくる。仕事に対してのこだわりもあるし、それなりにプライドもあるからこそ、同業者夫婦の嫌みったらしい自慢話に心底ムカついている。倦怠期を抜ける術を見つけられずストレスを募らせる彼にとって、ヴィーガンで作ったハムはまさに天恵。偶然の産物ではあるものの、人を殺してハムにし、生活が潤うことによって彼等の人生はより活き活きとしたものになっていく。肉包丁で頭をかち割り、銃でいきなり撃ち殺し、時には水中に沈める。チーターやライオンの狩りの映像と重なるヴィンセントの生々しい殺人描写は、冒頭の臆病な男からは考えられないほどワイルド。90分ない映画なのに、彼の成長を楽しむこともでき、本当にドラマとしての完成度が高い。

 

肉付きの良いヴィーガンを見つけるとすぐ「イラン豚」扱いをする夫婦も最高だし、ベジタリアンのイベントに潜り込んでぽっちゃりとした子どもから目が離せなくなるヴィンセントにはかなり笑った。そこまでいっちゃうのかよという馬鹿馬鹿しさ。妻のソフィーも夜な夜な殺人鬼を紹介する番組を観ているおかげでシリアルキラーに詳しくなり、要所要所で蘊蓄を披露してくれる。殺人を通じて夫婦仲が温まっていく過程は血生臭いが美しく、どこか感動すら覚えてしまうのだ。終盤、警察に勘付かれ怖気づいたヴィンセントがイラン豚から手を引こうとした時には「私は殺してない」と冷たい言葉を浴びせるが、一度手を組んだヴィーガン集団にヴィンセントが殺されそうになるラストでは、自らそのボスを手にかける。狂気じみてはいるものの、2人にとっては紛れもなく愛が育まれていく過程であり、そのドラマとしての素晴らしさがコメディシーンによって際立っている。

 

あと、嫌みったらしい人物の描き方が本当に凄い。自慢ばかりの同業者夫婦もそうだが、娘が連れて来たヴィーガンの彼氏の描かれ方もあまりに酷くて笑ってしまう。肉を食えないまでは仕方ないが、恋人の母親に向かって「牛じゃなくてよかったですね」まで言うのはさすがにヤバすぎる。もちろんこれがヴィーガンの総意ではないし、映画においてヴィーガンを悪として位置づけるための印象操作ではあるのだが、それにしたって悪役を作るのが上手すぎる。悪役作りRTAがあったら監督・脚本のファブリス・エブエはかなり上位にランクインできるんじゃないだろうか。その他セリフもかなりウィットに富んでいて素晴らしかった。ヒトラーや人種差別にまで手を出していて、とにかくいろんな偏見を映画の中に盛り込んでいる。でもそれらの中に歴史的な知性や品性も感じられていて、だからこそこの映画に抵抗を持ってしまったことが悔しいという部分もある。

 

彼氏以外の殺されたヴィーガン達も、キャラクターが濃くてかなり好き。特にプーさんみたいとからかわれたウィニーはお気に入りである。いやでもあれは絶対嫌だったろうなあ。知らないおじさんにあんなにベタベタ触られて、馬鹿にされて…。プーさんというよりピグレットというセリフはかなり面白かったけど、ヴィーガン仲間と意義のある活動ができると駆けつけた彼の心情を思うとちょっと胸が痛んでしまう。あと、この映画を検索すると「なぜバレた」が検索候補に出るのだけれど、これは最初に夫婦が組んで同業者を襲撃したヒッピーみたいなヴィーガン3人組の1人(髪の長い男)がベジタリアンのイベントに紛れていて、娘の彼氏の発言から「肉屋」だとバレたのが原因だと思う。彼等が乗り込んでくる時に花をオーダーするのも皮肉が効いてて結構好きだった。

 

結構調べたのだが監督含め製作陣のインタビューなどが一切出てこないため、この映画がどういう意図で作られたかは分からない。ファブリス・エブエ監督が心底ヴィーガンを嫌いだったのか、それとも差別意識を巧みに作品に放り込むことのできる実力ある人物なのか。映画を観て自分が持ってしまった違和感をどう処理していいのか非常に困っているので、早く彼の次回作や他の作品が日本に来てほしい。少なくともドラマとしてはかなり面白かったので、色々な意味で期待している。

 

 

 

 

ヴィーガンズ・ハム

ヴィーガンズ・ハム

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