M・ナイト・シャマラン監督の新作『トラップ』、残念ながら自分はあまり楽しめなかった。シャマランといえば大どんでん返しで終わるツイストの効いた作風が特徴だと思うのだが、今作は往年のやり口から離れ、連続殺人鬼の真理に焦点を当てたクライムサスペンスとなっている。もちろんシャマランをどんでん返し監督だと決めつけてそれ以外の作風を許さないというのは論外だろうが、だとしても今作はあまりに気になる点が多すぎて、話がほとんど入ってこなかった。積み上がっていく小さな違和感こそどんでん返しの布石だと考えて期待していたのだが、映画は結局こじんまりと終わってしまう。やはりシャマランは映画の作りや構造を巧みに用いて観客に期待させる能力が非常に高いのだなと思う。だからこそ、そのラストが予想を超える衝撃でなかった時には、かなりガッカリしてしまう。監督前作の『ノック 終末の訪問者』はディストピア的世界観や次々と起こる悲劇的展開が楽しく、オチは弱いもののなかなかの出来栄えだった。しかし本作は地に足のついた作風でありながら、ツッコミを入れたくなる描写が散見され、映画への集中力が少しづつ削がれていくかなしい鑑賞となってしまった。
とはいえ、あらすじは最高。3万人の観客を収容する歌姫のライブが、実は連続殺人鬼を逮捕するために仕掛けられた罠だった…なんて魅力的なスタートを切れる映画はそう多くは存在しないだろう。この奇抜な設定は実際かなり惹かれたし、映画というコンテンツがお客さんの獲得に勤しむ中で、映画にそう詳しくない人にも「面白そう!」と思ってもらえる足掛かりになっていることは間違いない。調べると、実際にアメリカで1985年にフットボールの試合の無料チケットを指名手配犯に送って101人を捕まえたという出来事があったらしい。荒唐無稽に思える設定だが、現実で前例があるという事実は更にワクワクを掻き立てる。ただシャマランの場合は設定だけが面白いという肩透かしのパターンもあるため、油断はできない。そういう意味では今回私は肩透かしをモロに喰らってしまった。
ジョシュ・ハートネット演じるクーパーは一見愛する娘と歌姫のライブを楽しむいい父親だが、実は既に10人以上を殺害し、リアルタイムで1人を監禁している連続殺人鬼だった。ライブ会場の異様な警察の多さに不信感を抱いた彼は、グッズ売り場の男性からこのライブが自分を捕まえるための罠であることを聞かされる。ここから如何にしてクーパーが警察にバレることなくライブ会場を出るか…という心理サスペンスが展開されるのだが、これがあまりに気になる点が多い。例えばクーパーがライブ中に何度も席を外すこと。もちろん彼は娘の付き添いなのでそれ自体は不自然ではないのだが、ロビーにも食事などを買い求める大量の客がうろうろしており、「え!?ライブはどうしたの?」という疑問が湧いてしまった。日本のワンマンライブ会場ではあまり見ない光景なのだが、アメリカでは普通なのだろうか…。いやでも高いチケット代を払ってるのに何度も出入りするのってどうなんだろう。歌姫の姿を目に焼き付けたいとは思わないのだろうか。お国柄なのかもしれないが、どうにも気になってしまう。何より、ライブを楽しみにしていたはずの娘のライリーさえも、多少ライブを見逃しても特に怒るでもなく曲に沿って踊り出すのである。父親のせいで何度も外に出なくてはならず、何ならおかしくなった父親が「舞台裏に入ろうぜ!」みたいな明らかに変な話を振ってくる。自分にとっての楽しみを父親が妨害してくる構図。絶対に邪魔だろうに全く怒りを見せないライリーが健気だが、やはり不自然に思えてしまった。ライリーから、レディ・レイブンの大ファンであるという印象をあまり受けないのだ。もちろんミーハーの可能性もなくはないが、だとしても大好きなアーティストのライブで、そして後々直接接する夢のような機会に恵まれているにも関わらず、平然としておりかなり肝が座っている。
そして彼女の聞き分けの良さは、クーパーの逃亡劇のご都合主義感を助長させてしまうのである。クーパーはここまで全く警察に捕まらずに10人以上を殺害してきたことから、かなりクレバーで慎重な男であると分かる。実際ライブに来ることが警察にバレたのも、妻が画策したことだったとラストで明かされる。彼自身は大きなミスを犯していないのだ。それなのに、クーパーのライブ会場での動きはかなり荒い。警察を出入口から離すために、わざと具合の悪そうな女性を階段から突き落としたり、警察がたむろするバックヤードで堂々と警察と会話したり。それ、下手したらバレないか…と首を傾げてしまう描写のオンパレードで、彼の行動は行き当たりばったりに見える。もちろん自分を捕まえるためのライブなんて荒唐無稽な現実に直面して動揺するのは分かるのだが、それがどうして警察に気付かれないんだろうかという目線になってしまうのだ。何より、ライブ会場を出ればOKという趣旨のものでもないのだし、警察と話したりすれば変に印象を残すだけだと思うのだが…。
グッズ売り場の店員がライブの真実を話してくれたのも、彼がかなり気の良い男だったおかげである。最後のTシャツを他の客に譲ったというだけであの馴れ馴れしさは何なのか。嫌いなキャラではないが、クーパーはかなり恵まれているなあと思ってしまった。娘が白血病を克服したとスタッフに嘘をつき、彼女をレディ・レイブンに選ばせるのも「目立ちすぎてて大丈夫!?」という気持ちになってしまった。クーパーとしては普通に会場を出れば終わりのため、どうにかレイブンと接触しなければいけないという心理なのだろう。しかし、レイブンと接触したところで助かる保証はない。実際、彼もその後楽屋でレイブンに自分の素性を明かして、ここから俺を出さなければ監禁してる人を殺すと脅しに出る。要はこの映画、「こうなればクーパーの勝ちor負け」というゴールが設定されていないのだ。もちろん捕まれば負けで逃げ切れば勝ちなのだが、その具体策が提示されず、クーパーの大胆な行動だけがひたすらに積み重なっていく。要するに「何をすれば逃げ切れるのか」が明確でないのである。
スタッフのIDを盗んでバックヤードに侵入したり、怪我人を出して周囲を揺動し屋上に出たりはするものの、それが脱出成功に繋がるわけではない。結局のところは阻まれ、八方塞がりであることを示すのみ。しかもどんどん顔が広くなり、彼は不自然に目立っていく。その都度どうにか場を乗り切るわけだが、それも伏線があるわけでなく、土壇場でのラッキーを発動していくケースが多い。段々とクーパーが馬鹿に見えてきてしまうし、そんなクーパーに騙される周囲も愚かに見えてくるという致命的な状況が続き、ライブ会場のシーンはとにかく緊迫感が弱い。むしろ不自然すぎて「これは何か仕掛けがあるんじゃないか…」と勘繰ってしまうくらいである。実際は何もなかったわけだが。
ライブ会場を出てからもストーリーが続くことに驚いた。ここで殺人鬼の家に行くというレイブンの前代未聞の発想も凄く、いつ何が起こるか分からないという意味でこの辺りの緊迫感はとてつもない。彼女がクーパーのスマホを奪いトイレに立てこもり監禁された被害者から監禁場所のヒントを得て即ライブ配信で通報を促す流れは、クーパーのドアを突き破ろうとする音がBGMになっている演出も含めて、かなりワクワクさせられた。いい人を装ってきたクーパーの化けの皮が剥がれるシーンであり、レイブンの勇気が炸裂しつつ歌姫という彼女の特性が活かされた見事なシーンだったと言える。だが、個人的にはこのシーンがピークだったかなという印象。その後は大立ち回りがあるでもなく、意外な展開にも恵まれないままに物語が進んでしまう。オチとしては実は妻に犯行がバレていた…というところなのだろうけれど、どうにも弱い。
また、この映画は連続殺人鬼のクーパーを母親の呪縛から逃れられない2つの人格を持つ多重人格者と位置付けている。殺人をするクーパーとその衝動を抑えようと良き夫・良き父を演じるクーパー。彼がレイブンと共に車で逃げようとガレージのシャッターを開いた時、目の前に監禁したはずの家族が現れ「2つの人生が交わった」とクーパーが言うのもそのことだろう。そんな彼の異常性の元は母親にあるとされ、実際警察の指揮を取る心理分析官にもそういった犯人像が見抜かれていた。レイブンがそれを利用してクーパーを動揺させる場面もあった。クーパーも冒頭などで母親の幻影を見ており、彼の過去や生い立ちが精神に異常をきたすに充分であったことが暗に語られている。その辺りから切り込むとこの映画がまた違って見えてくるのかもしれないし、実際綺麗な笑みで日常に溶け込むクーパーの恐ろしさは計り知れない。何を考えているか分からない異常性もそうだし、ラストの妻との対話のシーンでの影の使い方も見事だった。微妙に光が入る演出は、彼の二面性を表現しているようにも思える。最後、母親の幻影が扉の外から語りかけてくるも、彼女の顔は見えずシルエットのようになっている演出も不気味で素晴らしい。そう思うとシャマラン特有の不穏さは確かにこの映画には存在していたと言える。
だが、物語の行き当たりばったり感と驚きもなく細かいことが気になってしまう展開に熱は冷まされ、クーパーの内面についてあれこれと考える気持ちを失ってしまった。設定倒れというか…。もしかして製作側から突飛な要望を出されて無理矢理付け足した導入なのかな…とか。実際にはクーパーの精神性に特化したクライムサスペンスだと思うので、その地に足ついた部分と、殺人犯を捕まえるための大規模なライブトラップというハッタリの部分のちぐはくさがどうもうまく噛み合っていない印象を受けてしまった。それでもシャマランを嫌いになんて全然ならないですが!
それにしても、レディ・レイブン役の監督の娘、サレカ・シャマランが美しすぎた。本物の大物アーティストだと言われても納得のいく佇まい。実際シンガーソングライターのようだが、アニャ・テイラー=ジョイにも似た大きな瞳はかなり映画映えしており、彼女がメインになるシーンでの説得力は物凄い。そういう意味では発見もあった映画だったと言える。
サレカはレディ・レイブン名義でサントラも出しているのでぜひ。