まさかTBSの火10ドラマがこんなにも刺さる日が来るとは…。
この枠には大体ラブコメや明るいお仕事ドラマが入っている印象で、多分メインターゲットは主婦層。少なくとも女性だろう。なので独身男性の自分にはそんなに楽しめないだろうとやや見下してすらいたのに、『対岸の家事 ~これが、私の生きる道!~』はかなり深くまで刺さってしまった。今期はたまたま生活に余裕があって普段そんなに観ない自分がドラマをいくつか観ているのだけれど、その中でも上位にランクインする傑作だと思う。決してハラハラする展開が待っているわけでもない、キュンキュンするようなラブコメでもない。それでもこのドラマに感動したのは、令和を生きる日本人のほとんどが逃れられなくなった「家事」を通して、人と人との結びつき方の話を真正面からしているからである。
一昔前なら夫婦で分担できたかもしれないが、夫婦共働きが一般的になっている昨今では「家事」は誰にとっても身近なものになっている。いや、本来は家事が全員にとって身近なものであったはずなのに、ホモソーシャルが衝立となって、男性の家事への参画を阻んでいた。「イクメン」や「主夫」などと、家事や育児をこなす男性を半ば揶揄しつつ讃えるような風潮も、令和6年の現代では落ち着いてきている。そう、今はよっぽどのことがない限り誰もが家事から逃れられない時代なのだ。だが、家事や育児は見えやすいゆえにドラマになりにくい。炊事、掃除、洗濯、ゴミ出し、そして育児の諸々…それらは多くの人にとって当たり前であり、フィクションと言えどセンセーショナルな出来事に繋がりにくいという側面があると思う。しかしこのドラマはその障壁をものともせず、全10話をかけて、家事を通して現代的なコミュニケーションの在り方を描いていた。
では、このドラマが描いてきたことは一体何だったのか。
それは単純に言えば「私には私の事情があるし、あなたにはあなたの事情がある」ということである。考えてみれば当たり前で、言葉にするまでもないのだが、それを忘れた時、もしくはそれに思い至れなかった時、人は他人に対して強く当たったり怒りを募らせたりしてしまう。第1話で言うなら、主人公で専業主婦の詩穂(多部未華子)は、隣人の礼子(江口のりこ)から「専業主婦である」というだけで疎まれてしまう。夫は仕事ばかりで全く手伝ってもらえず、家事と2人の子どもの育児で疲弊した彼女の叫びは視聴者の共感を呼ぶものだっただろう。実際、立場の違う自分でも、自分の時間が全く取れずストレスばかりが募る礼子の境遇にはかなり感じるものがあった。そんな時、礼子に優しい言葉をかけたのが、彼女が嫉妬し続けた詩穂。専業主婦の詩穂と働きながら子育てをする礼子の生活ルーティンはまるで違う。しかし、互いの「辛さ」に思いを寄せられた時、人は境遇が全く違っても繋がることができる。詩穂の優しさは、結果的に礼子の心を救うことになり、2人は強い友情で結ばれる。
その後、公園のパパ友として登場した中谷(ディーン・フジオカ)は、最初こそ頑固者で他人に自分の考えを強要する空気の読めない典型的な「嫌な男」だったが、そんな彼も育児のあれこれを話せる仲間がいない孤独や、母親からDVを受けた過去など、様々な苦しみを抱えていた。専業主婦に対して「時間ならいくらでもあるでしょう。今日も明日も同じことしかしてないんだから」と平気で言えてしまう無神経さにはエリート官僚ゆえの傲慢さも見えてかなり腹が立ったが、全10話を通して一番変化があったキャラクターは間違いなく彼だろう。相変わらず空気は読めないままだが、家事の苦しみや育児の辛さを理解し、家事初心者の礼子の夫に口を出すまでになる。詩穂に最初に浴びせた心ない言葉も、彼自身が育児や家事の中で感じている焦りや葛藤の表れだった。他人の苦しみを意識できる詩穂がそのことに気付き、支えてくれたからこそ、彼はここまで変わることができたのだろう。
詩穂に脅迫文を送りつけていた白山も、自分で選んだはずのシングルマザーの生活に苦しみ、夫が生活を支えてくれている専業主婦の彼女に嫉妬していた。詩穂にとっては夫のいない育児は分からないが、それでも白山の苦しみは理解できる。詩穂はきっと苦しみの中身よりも、苦しんでいる姿に共感できる人なのだろう。人それぞれに悩みがあって、人それぞれに怒りがあって、人それぞれに喜びがある。その過程は違っても、辿り着く感情の種類はそう多くない。それを分かっているからこそ、彼女は苦しんでいる人に寄り添うことができるのだ。
世の中では「自分の立場になって考える」ことが人とのコミュニケーションにおいて非常に大切だと言われるが、実際それをできている人がどれほどいるだろう。多分私自身も、ほとんどできていない。それでいて、「コイツは人の立場になって物事を考えられないのかよ」と他人に対して思ってしまうことがある。ドラマでは家事や育児の大変さを主にピックアップしていたが、コミュニケーションにおいて相手の立場になることは普遍的な方法論。もし、自分には全く経験のないことに苦しんでいる人がいたとして、その中身までは分かってあげられずとも、その人が苦しんでいて辛いということだけが分かればそれでいいのだろう。まして家族や大切な人、今後も関わっていきたいと思える人との関係なら、きっとそれは何より重要なことである。人の苦しみに寄り添い、自分なりに手を差し伸べる。ドラマにおいて詩穂はそれを何度も体現していた。
そして詩穂の優しさが、他の人々にも伝播していく。家事と育児に悩み仕事を休まざるを得ない礼子の気持ちは、その肩代わりをさせられる後輩には見えにくい。それでも、病気のペットを想いながら働く自分の気持ちが、礼子が家事と育児に奔走ししんどい思いを抱えながらはたらく気持ちと同じだと気付いた時、2人の間には互いを支えようという絆が芽生える。境遇も立場も考え方も違う誰かが、苦しみを共有することで毎週絆を育んでいく姿に自然と涙が流れてしまう。このドラマは何一つ特別なことは言っていない。家事や育児が、技術革新によって形を変えつつも紀元前から人間が取り組んできた普遍的な物事であるのと変わりがないのと同様、ドラマの中の言葉は”当たり前”でしかない。しかし、その”当たり前”は、共働きが当然の現代においても、まだまだ見えづらい状況が続いている。多くの人が、他人の抱える苦しみに「自分と同じだ」と気付けたなら、きっとますます社会は豊かになるだろう。日本のドラマは海外やアジアと比べてレベルが低くオワコンだと言われることさえあるが、『対岸の家事』が描いた普遍的な葛藤は、決して馬鹿にできないものだと私は思う。
ちなみに、今期でこのドラマと比較的似たようなことを扱っている回があった『いつか、ヒーロー』もぜひ観てもらいたい。こちらはトーンが若干暗くどちらかというとサスペンス寄りなのだけれど、親からDVを受けて育ち自分もそうなってしまうのではないかと悩む、『対岸の家事』で言うところの中谷的なキャラクターが登場する。物語自体も重厚なテーマを扱っているので、トーンさえ気にならなければきっとこっちのドラマも楽しめるはず。
また、映画だと『夜明けのすべて』が『対岸の家事』と同様に「違う苦しみを持つ誰かに寄り添う」ということを真剣に描いている。こちらは殺伐としたシーンはなく、むしろこのドラマに近い雰囲気もあるため、未見の方は是非。扱う題材は家事ではなく疾患だが、共通する部分はかなり大きいと思う。
朱野帰子さんの原作は読めていないのだけれど、ドラマにはかなりオリジナル要素が加わっているらしいのでそれも含めてこれから読むのが楽しみ。また、朱野さん自身がnoteにてドラマに関するインタビュー記事やご自身の考えをまとめてくださっていたりもして、かなり親切。
最終回後で上のnoteにまとめられているインタビューにもあるが、実際このドラマはかなりファンタジーだと思う。魔法やモンスターは出てこないが、舞台である現代社会の実情とは程遠い。それでも、一個人がちょっと意識を変えるだけで辿り着けるものだと私は思う。詩穂ほど人に優しくはできなくても、全ての人が誰か一人の苦しみに寄り添うことができるなら、それで充分。なのでこの先、この作品がファンタジーで終わらず、むしろ「予言」のような形で未来に語り継がれることを祈っている。
私は上記に挙げた『夜明けのすべて』で描かれた世界こそ、これから人々が目指していく「正解」の世界だと思っていて。だからこそ、題材は違えど描かれた考え方はそれに近いこの『対岸の家事』にも強く共感し、感動した。とりあえずは初期の中谷のような男にならないように頑張っていきたいと思う。『対岸の家事』めちゃくちゃいいドラマだった。