『理想郷』というタイトルとは裏腹に、すごく悲惨で虚しい映画だった。それでいて作品の示す「理想郷」がどういうものなのかはしっかりと伝わってくる。だからこそ、理想郷に辿り着けなかった者達の想いが余計に虚しく感じられてしまう。苛立ちや苦しみばかりが続き、鉛のように重い空気が漂い続ける映画。私はそんな印象を持ったし、映画を観た多くの人はきっとそう感じているはずだ。
フランス人夫婦のアントワーヌとオルガがスペインの田舎町に移り住むも、風力発電所建設に伴う土地の譲渡問題によって近隣住民と敵対してしまうという物語。夫のアントワーヌ(海外の話なので仕方ないが風貌からは想像できないほど可憐な名前)はかつてこの土地の大自然に心を奪われ希望を宿し、村を再生することを目標に移住を決めた。しかし隣に住む兄弟は50代と40代にも関わらず、村で生涯を終えることに悩み、自由を得ることを願っている。土地を引き渡して金を手にし、新たな生活を夢見る彼等にとって、夫婦は余所者として以上に邪魔な存在。あの手この手で嫌がらせを続けるも、アントワーヌは一歳立ち退こうとしない。彼にとっては自らの心を救ってくれた土地を再生することこそが夢なのだ。そのために、半壊状態の家屋をボランティアで修繕している。アントワーヌと兄弟は土地に対して互いに相反する思いを抱いており、その対立はやがて悲劇を引き起こす。
隣人兄弟の嫌がらせはとにかく卑劣で吐き気さえ催してしまうほど。夫婦の酒を勝手に飲み、椅子に小便をかけ、夜にはカーテン越しに窓の外から寝室を覗く。終いには夫婦の使っている井戸にバッテリーを入れ、水を汚染して彼等の生活基盤である作物をダメにしてしまう。それでも認めようともせず悪びれもしない。こいつを村から追い出すことが人生の全てだというくらいに執拗に嫌がらせをし続ける。この兄弟役の俳優を私は知らなかったのだが、他の映画でどんな役で登場してもきっと嫌気が差してしまうだろう。それほどに説得力のあるクズ兄弟を見事に演じていた。
映画の舞台はスペインで、夫婦はフランス人だが、隣人との断絶というテーマは私達日本人にとっても身近なものである。引っ越した先の隣人に嫌がらせを受け続ければ気にも病むし、やがて攻撃的にもなるだろう。引っ越しは金額の面でも時間の面でも容易くできることではない。ましてアントワーヌのように明確な目標があれば尚更だ。前半はほとんどが隣人トラブルの映画なのだが、邦画とは描き方が明らかに異なる。これがもし邦画なら、隣人トラブルの場面を大袈裟に取り沙汰するだろう。しかしこの映画は嫌がらせを受ける夫婦を大自然の景色に収めながら、行為の悲惨さとアントワーヌの怒りを淡々と語っていく。そして妻のオルガの言葉によって観客はアントワーヌの行動もまた、敵意からくる「攻撃」にほかならないのだと悟るようになる。兄弟とのやり取りを盗撮する彼のやり方は、気持ちこそ分かるが褒められたものではない。そして原点に立ち返ってみると、そもそもアントワーヌの「村を再生したい」という思いは村での生活を厭う村人達に到底理解できるものではなく、それでいてアントワーヌは明確な説明を避け続けた。そこには「どうせこいつらには理解できないだろう」という諦観からくる差別意識があったのかもしれない。
何もない田舎で生涯を終えることへの不満は田舎育ちにしか分からないのだろう。外野から見てどれだけその土地が魅力的であろうと、住むとなれば話は別であり、まして勝手に住み着いたアントワーヌがこの場所を「故郷」などと言い出すのだからお笑い種である。主人公のアントワーヌは崇高な指名を持った人間に見えるが、実際には村人との和解を拒んだ野蛮人なのだ。隣人の嫌がらせがあまりに酷く、数を考えても一方的なイジメに見えるだけにどうしても同情してしまうが、この映画は彼を正義とはしていない。ではこの映画が示す「理想郷」とは何か。それは人の痛みに寄り添える世界である。
兄弟によってアントワーヌが殺されるという衝撃の展開。彼が意識を失ったシーンからすぐに時間が経ち、1人になったオルガが主人公として頭角を表す。夫を大して捜索もしない警察にも冷静に対応し、激昂する娘にも淡々と言葉を紡ぎ、ただ1人遺体を探し続けるオルガの姿は、隣人へ報復を試みたアントワーヌとは対照的であった。そしてアントワーヌの遺したビデオカメラが見つかり、いよいよ兄弟が逮捕されるという直前に、オルガはこれから1人になるであろう兄弟の母に「何かあったらいつでも呼んで」と声を掛けるのだ。暴力や嫌がらせや盗撮ではなく、心と心のやり取りをどこまでも重んじる彼女のやり方は見ていて清々しい。家族や隣人や警察に何かを強要することもせず、冷静に意見を述べて意思を伝える。オルガにとってこの場所がアントワーヌと同じくらい重要な場所だったのかどうかは定かではないが、彼女は移住を受け入れ、夫の死にも時間をかけて毅然とした態度で立ち向かった。彼女はどこまでも正しく在り続けようとしたのだろう。
田舎と都会の格差は日本にも存在している。それは賃金や働き口といった問題だけでなく、田舎での女性蔑視や小さな共同体故の他者との関わり方の違いにも表れる。都会の人間の多くは観光地として自然豊かな土地を楽しむが、定住するとなると話は変わってくる。都会育ちの自分にも、田舎に対して偏見がないと言えば嘘になる。逆に地方に住む人からしても、自分のような都会育ちはお高く止まって見えるのかもしれない。決して遠くないテーマを扱いながら、映画としてのエンタメ性は強く、何より居心地の悪い空気感に圧倒される。観ながら様々なことを考えさせられる素晴らしい映画だった。