映画『ワン・バトル・アフター・アナザー』評価・ネタバレ感想 愛は勝つし、欲は負ける

 

ポール・トーマス・アンダーソン監督のことをほとんど知らないままこの歳まで生きてこられたことを幸運に思う。映画界隈が何やらPTAPTAと繰り返し呟いているのを見て、急に教育の場で声を上げ出したのかと思ったが、よくよく調べればPTAはポール・トーマス・アンダーソンの略だった。つい1ヶ月前まで私はPTAの代表作を1つも挙げることができなかった程度の人間だったのだが、ここまで話題になっているなら観てみるか、と過去作から『ブギーナイツ』を選び、鑑賞し、感動した。ポルノスターの話なのでかなり下品ではあるのだが、それ以上に映画の中で描かれている人間ドラマが素晴らしかった。一躍スターになった主人公が、ポルノ規制という社会情勢によって転落していき、自分の人生を見つめ直す。主人公だけでなく多くの登場人物の想いが複雑に絡み合い、その時代を生きていない私でさえ、映画で描かれた彼等の激動の人生に共感させられてしまった。気付けば私はこの映画の虜になっており、PTAはなんてすごい監督なんだ、とたった1作観ただけで生涯上位の映画監督に祀り上げることになる。

 

結局それ以外の作品は観られないまま(何せ大多数が2時間半ほどあって長い…)、新作の『ワン・バトル・アフター・アナザー』を鑑賞することに。自分の中での勝手な指標なのだが、150分を超える映画は無意識に「名作を観る」みたいな気持ちで臨んでいて、上映時間が長いというだけで濃密なドラマを期待してしまうところがある。それゆえハードルも高い上に、公開から3週間ほど経ってしまい上映回数も少なくなっているため、1日1回の上映時間に間に合うよう、そして途中で眠ってしまうことのないようにコンディションを調えなければならない。否が応でも期待は高まり、同時にその期待を超えられるのかという不安も大きくなっていく。『ブギーナイツ』しか知らない私が彼の新作を楽しめるのかどうか…。SNSで絶賛の声は目にするが、他人は自分ではない。私がどう思うかはまだ誰にも分からない。

 

だが、杞憂だった。『ワン・バトル・アフター・アナザー』は本当に面白く、素晴らしい映画だったのである。どこがどう面白いかと訊かれると言葉にするのがとても難しいし、PTA曰く政治的な意図を込めた映画というわけではないらしい(もちろん観客が見出すのは自由だが)ので、こういうテーマに共感した、という形で感想を書くのも難しい。なので端的に私がなぜこの映画を面白いと思ったのかを書くと、「2人の男の生き様の対比が素晴らしかった」という月並みなものに留まってしまう。しかしその描き方が極上で、娘を巡る2人の父親の対称性、彼等のドラマが非常に面白かったのだ。

 

2人の男というのは、言わずもがなレオナルド・ディカプリオ演じるボブと、ショーン・ペン演じるロックジョー。フレンチ75という組織に所属していた元革命家で爆弾魔のボブと、執拗にボブの娘のウィラをつけ狙うロックジョーが物語を牽引する。映画はボブが後に妻となる女性、タヤナと出会うところから始まり、共に革命運動を続ける中で彼女と恋仲になり、やがて2人は結婚する。しかし娘のウィラが生まれると、2人の間に亀裂が生じ始めてしまう。娘を溺愛し、革命運動から手を引こうとするボブの前から、革命運動を続けようとするタヤナは姿を消し、ボブとウィラは政府の追手から逃れるために山小屋で社会から離れて暮らすことに。しかし、ロックジョーがウィラの情報を手にしたことで親子の穏やかな暮らしは崩壊し、誘拐されたウィラを救うために、引退したボブは再び戦いへ身を投じることになる。

 

各サイトでのあらすじを読むと「誘拐された娘を救うために父親が立ち上がる…!」という趣旨の内容が書かれているのだが、映画が実際にその場面まで到達するのは上映時間の半分が過ぎたくらいである。これはPTA作品をまったく履修していなかったら面食らっていたかもしれない。だがそこまででも、ボブとタヤナの訣別やロックジョーの歪んだ愛情の発露など、人間ドラマの見どころは山ほど存在している。そしてボブが遂に動き出す時、新たな物語が動き出すのだ。

 

革命家時代は爆弾魔として周りからも慕われてきたボブだったが、山小屋でひっそりと暮らす生活のうちにすっかりクスリと酒に溺れてしまい、だらしないを通り越してみっともない父親の域に突入してしまっていた。自分と娘が政府に見つからないよう細心の注意を払ってはいたものの、さながら動物園で飼われている肉食獣のように、狩人としての実力は衰え、所属していたフレンチ75と連絡を取るパスワードすら忘れてしまう。このパスワードを全然思い出せず電話相手に激昂するシーンが何とも惨めで、人間臭く、とても面白い。仕方なく自分の素性や経歴を長々と話すのだが、結局はそれがフリになってしまい、毎度パスワードを求められ、終いには「死ね!」と声を荒げるように。10年以上が経てば無理もないのだが、スマートさの欠片もない彼の行動はとても可笑しく、その後の逃走劇でもビルとビルの間を越えられず地面に落下し惨めにも捕まるなど、笑ってしまうような間抜けっぷりを見せてくれる。

 

この辺りはコメディチックな演出もあって非常に楽しく観ていたのだが、並行して描かれるロックジョーのウィラへの異常な執着は全く笑えない。元々ロックジョーはタヤナに偏愛を抱いており、彼女を捕まえるべき立場でありながら強姦していた。その後、ボブですら自分の娘だと思っているウィラは、実はロックジョーの子であることが明らかになる。しかし、何やら怪しげな選民思想に満ちた団体への加入を夢に見ているロックジョーは、彼等の「白人以外と交わったことは?」という問いに対して、真っ向から嘘をつく。そもそも体制側の人間が革命家を強姦すること自体あり得ないが、彼にとってはそれ以上に白人以外を愛してしまった事実を隠したかったのだろう。自分の歪んだ欲望を叶えるためなら暴力も嘘も厭わない。どこまでも欲望に正直な恐ろしい男というロックジョーの人間性は序盤から狂気として描かれている。そして彼という影の存在が濃くなることで、パスワードすら思い出せないくらい弛んでしまったものの、娘を守るために命を捧げる覚悟で立ち向かうボブの光がより強くなっていくのだ。

 

終盤、車で砂漠を逃げるウィラを追う暗殺者と、それを追うボブのカーチェイス。この映画の一番の見せ場だと思うのだが、実際かなりの緊迫感があり、ただ車で追っているだけなのにとんでもない迫力に満ちている。PTA達が「丘の川」と呼ぶ、山なりの道が続くそのロケーションがとにかく素晴らしかった。山を越えた先に何が待ち受けているか分からない緊張感が、追われる者と追う者、それぞれの心情を巧みに映し出している。撮り方も非常に凝っており、PTAの映画監督としての力量を強く感じる名シーンだったと思う。

 

結果的にウィラは追ってきた暗殺者を射殺し、ボブと再会する。一方で暗殺者に襲われるも九死に一生を得たロックジョーは、例の団体に騙され始末されてしまう。要は、「愛は勝つ」という言葉に集約される物語なのだが、そこに至るまでのドラマと映像がとにかく凄まじいため、普遍的な家族の物語なのに強く心を打つ作りになっている。娘への愛に生きた男と自分の欲に生きた男、同じ女性を愛したその2人の戦いの結末に、とにかく感動させられた。幸いにも未見のPTA作品が私にはまだまだたくさん残っているので、じっくりと楽しんでいきたい。