日韓合作によるホラー映画『オクス駅お化け』の凄いところはなんと言っても実在する駅を使用したことだろう。ホラー映画のタイトルに実際の駅の名前が入り、なんとロケも本当にオクス駅で行っているという。日本ではまず許されないだろうし、他の国でもそう簡単には許可が降りないだろう。心霊スポットならまだしも、人々が普段使うような場所をホラー映画に出すのはなかなかハードルが高いはずだ。しかしこの映画の製作にあたってはあっさりと許可されたようで、実際に人々が利用しているオクス駅だけでなく、使われなくなった地下の跡地まで舞台となっている。韓国への渡航歴もない私にオクス駅はピンとこないのだが、もし日本で「渋谷駅ホラー」みたいなタイトルの映画が出たらそれはヒットするだろうなあとも思う。映画を観客に「観たい!」と思わせるにはあらすじのインパクトも重要だが、観客との距離の近さも大切。多くの人々が利用する地下鉄の駅ならば、親近感を抱く人も多いだろう。その親近感はきっと、足を運ぶきっかけになるはずだ。
だが、私がこの映画を観に行ったのは脚本が高橋洋であること、そして脚本協力に白石晃士が名を連ねていることが理由である。一世を風靡した『リング』の脚本家と、現在Jホラーの第一線で活躍し続ける白石監督のコラボと聞いて、食指が動かないわけがない。そしていざ鑑賞し、映画においてのJホラーの濃度に驚く。監督は韓国人で舞台も韓国、キャストも皆韓国人だが、やっていることは紛れもないJホラー。というよりも、『リング』のリブートのような作品。正直に言うと、個人的にはあまり楽しめなかった。なぜなら映画版の『リング』を意識させるどころか、そのあらすじをなぞるような展開が続き、既視感に囚われてしまったからである。背景にあるものは違うし、怪異の種類も異なるが、映画が放つものは既に体に染み付いているものでしかなかった。ゆえに恐怖を感じることは愚か、展開にワクワクするということもなく、『リング』っぽいなという感想だけが残った。
今回サブスクに来ているのを知って久々に観たのだが、その印象は変わらないどころかむしろより強くなっている。決して面白くないわけではない。怪異の正体も悍ましい。しかし、Jホラーの向こう側に行くことはできておらず、平々凡々な作品になってしまっているように思う。オクス駅となった土地には昔あったものが井戸だと聞けば、誰もが『リング』を想像するだろう。そしてその井戸を掘り起こして井戸に埋められた者達が放つ呪いを解こうとする筋書きも、『リング』と全く同じ。更に、遺体の発見だけでは呪いは解けず、誰かに呪いを移すことでしか自分を救うことはできないというラストまで同じ。『リング』の脚本家本人が書いているのだからパクリではないのだが、似通っているというレベルではないほどに展開が符合していく。もちろん、それが悪いわけではない。ただ、ホラー映画の金字塔とほぼ同じ展開ならば、誰しもが自分と同じように飽きを感じてしまうのではないかなあとは思った。
もちろん『リング』の公開からは20年以上が経過しているため、当時生まれていない層でこの『オクス駅お化け』に興味を持った人も多いはず。そういう人の目にはこのこっそりリブート作品が新鮮に映ったかもしれないが、多少なりともJホラーを嗜んでいる人だと、楽しむのは難しいかもしれない。何よりガッカリなのは、『リング』における「TVから貞子が出てくるシーン」のようなインパクトある演出が見られなかったことである。爛れた顔の子供達は確かに怖いが、ホラー演出としてはタメのターンが少なく、いわゆるジャンプスケアが多い印象。びっくりする驚きはあるかもしれないが、恐怖はそこまででもない。劇中で最も悍ましい点である、「孤児達を臓器売買の商品にしていた」という点も、セリフや井戸に子供達を閉じ込めるシーン程度しかなく、視覚的な恐怖には乏しい。この部分は日本で戦後実際に起きた寿産院事件をモチーフにしているようで、その事件もテキストで読むとあまりの恐ろしさに震えるのだが、映像だとどうにもチープに見えてしまった。いやここは私の想像力が単に貧相だったということでもあるのだが。ただ確かに、事件の被害者の子ども達と主人公のナヨンが仲良くするようなシーンがないため、殺された子ども達の悲哀はあまり強調されない。映画への興味を絶やさないためのミステリー成分、つまりは「この子ども達は何?」という疑問を掻き立てるための存在にすぎないのだ。確かに明かされた事実自体は重苦しく、それが隠蔽されていたことを考えると余計に陰鬱だが、強い感情を乗せられるほどに怒りや悲しみが込み上げてきたかというと、そうでもない。
よく言えば古典的、悪く言えば二番煎じになってしまった印象を受ける『オクス駅お化け』。高橋洋の初稿から少々改変が加えられているというが、脚本協力にクレジットされている白石監督らしいパンチの効いた描写は特になかったのが残念。ホラー的な見どころは、冒頭の男性が首をホームドアに掻っ切られた辺りがピークだったかもしれない。とはいえ、この映画の独特な部分はラストにある。呪いを喰らったナヨンが助かるために次の犠牲者に選んだのは自分を散々虐げてきた女編集長であった。ラストには彼女がナヨンの記事を自分の名前で発表するなど、好き勝手やりたい放題。挙げ句の果てには自主退職を命じられ、ナヨンの怒りが遂に爆発。女編集長の嫌味っぷりは序盤からひたすらに描写されてきたので、ナヨンが彼女を選ぶことに違和感はない。むしろ彼女が適任である。ホラー映画で「倒したと思った怪異が実はまだ続いていた」パターンは定番だが、その後に嫌な上司に呪いをぶつける映画はそうないのではないだろうか。ホラーとは相容れないはずの、スカッとする面白さで映画は幕を閉じる。
だが、ここで問題なのが呪いの移動方法である。この映画の呪いは子ども達によって手に爪痕を残されることで発動し、放置すると自殺のようにして死んでしまうというもの。そしてその呪いを解くためには、呪いの正体を知る他の誰かに、爪痕を付けた子どもの数字を言わせなければならなかった。なかなかに厳格なルールである。ここまでルールを徹底したのなら、「相手に如何にして数字を言わせるか」が肝になってくる。そう、なってくるはずだったのだ…。ナヨンは自分の退職届を人質に取り、「この数字を素直に声に出してくれたら退職届をあげます」と、まさかの直球勝負を仕掛ける。確かに何も間違っていないが、明らかに怪しい。映画のラストに何故こんな疑わしい直球勝負を仕掛けてしまうのか。そこは工夫してうまく編集長に数字を言わせるべきではないのか。ここまでずっと嫌味だが世渡り上手というようなキャラだった編集長ですら、このやり取りで間抜けに見えてしまう。ちょっとしたゲームを仕掛けるとか、編集長がカラクリに気づくとか。もう少し心理戦を盛り込んで盛大なラストにしてくれてもよかったのではないだろうか。何ならもう1人呪いを解いた男はナイフで相手を脅してまで数字を言わせていたのに、退職届の一手でやってやった感を出されても…とゲンナリ。むしろここで心理戦が繰り広げられたら自分はかなりこの映画を評価していたかもしれない。
冒頭の「正体不明の女性が奇妙な行動をしている」場面は、映画の元ネタかつ原作となった漫画版からの連想らしい。そこに高橋洋脚本らしい『リング』的な味付けと、寿産院事件をモチーフにした真相、そして主人公と女編集長の軋轢がうまく結合している…と言えば確かにそうなのだが、やはりインパクトは弱い。B級Jホラーのような破綻や急展開はなく、むしろ導線はかなり丁寧に引かれているのだが、その丁寧さが逆に仇になった印象。要は優等生なホラー映画なのだと思う。
なお、こちらの高橋洋のインタビューで脚本について色々語られているので、興味を持った人はぜひ読んでほしい。
また、自分と同じようにこの映画にパンチが足らなかったと思う方は、脚本協力に名を連ねる白石監督の作品がオススメ。