『silent』『バジーノイズ』などの風間太樹監督最新作。厚い支持層がいる一方で、自分はこの監督の他の過去作などを鑑賞し、スローテンポのストーリーと画面の作りで無理矢理エモーショナルを生み出す作風が結構苦手だなと感じてしまっていた。そのため『モブ子の恋』も全然期待せず観に行ったのだが、やはりあまり面白くはなかった。内気で消極的な主人公が一歩を踏み出し他者と繋がるまでの物語は世の中に山ほどある。しかし本作はその中でも物語の起伏が少なく、何よりテンポが遅い。過剰に演出しなくても充分伝わるのに、間をたっぷり取ってエモーショナルなシーンを強引に挿入してくることに異常な圧力を感じてしまった。
映画を観る前に少しは原作を読んでおこうと、無料で読めた8巻まで履修。主人公の信子と想い人の入江が交際に発展しキスをする辺りまでしか読めなかったが、その後も2人の関係は続き、遠距離恋愛などもしていくらしい。恋敵が現れるわけでもなく、親に反対されるでもなく、ただ単純に2人が考えすぎるあまりに関係性が遅々として進まない話で、正直原作の時点で自分には合わなかった。検索サジェストでは「モブ子の恋 イライラ」とまで出てきていたが、確かに気持ちを言えば済む話を長々とやっているのは人によってはストレスだろうと思う。自分はイライラまではいかなかったものの、2人が自分の心の壁を乗り越えていこうとする姿があまりに冗長で若干苦痛を感じてしまった。共感できないことはないが、2人を見守り続けようとは思えなかったのだ。
この実写映画ではその点は緩和されている。前半で信子の恋愛、後半で信子の就活がメインストーリーとなり、何より2時間かけて1人の人間の成長が描かれる話で時間が決まっているので、少なくとも原作にある「いつ終わるんだこれ…」という退屈さは消えていた。また、漫画ではモノローグで書かれていた信子の心情を演出や台詞、演技など、映画としての表現で伝え切ろうとする姿勢は好感が持てた。台詞で全て説明していないことで、映画の中に余白が生まれ、写実的になっている。ただ、だからこそ「いい映画っぽさ」が浮いてしまっているなという印象。風間監督は本当にこの「いい映像っぽい映像」を撮るのが上手い。しかしそれは「っぽい映像」でしかなく、中身は伴っていないように思える。そう感じたのはこの映画のテーマである「自分の気持ちを表現すること」のゴールが就活に設定されているちぐはぐさが理由だろう。
現代日本で行われている新卒の就活は、「ガクチカ」「潤滑油」「大量のバイトリーダー」などで揶揄されるように、自分の経験をいかに誇張して面接官にアピールできるか、いかに自分を大きく見せて企業に売り込むかが焦点となっている。決して自己を正確に表現することが求められる場ではない。就活経験者ならこの違和感を感じたことがあるはずだ。講義中はずっと眠っているような不真面目な学生がコミュニケーション能力だけで大企業の内定をもらえるという話も、実際に自分は何度も見聞きした。もちろんそれも努力の結果の一つではあるのだろう。だが、やはり就活において重要なのは自分がどんな人間かという真実ではなく、誇張なのである。
しかし、この映画のゴールは「内気な信子が自分の気持ちを表に出す」ことに設定されている。恋愛を前に進めるために感情を伝えることが大切なのは分かるが、就活はこのテーマに適した舞台設定ではない。最後の地方公務員試験の面接で彼女は自分の気持ちや思い、バイト先のスーパーでの経験から感じたことをはっきりと面接官に伝えるが、就活においてはその部分はおそらく重要視されていない。もちろんガクチカ的なエピソードに飽きて、別の視点から採用試験や面接を行う民間企業も多々あるが、少なくとも地方公務員がそうであるとは思えない。それなのに、この映画は彼女がスーパーでの出来事を通して自分を語れるようになったことをハッピーエンドとして描いている。その後しどろもどろになる信子の話を聞いて、面接官は「あなたが頑張ったことはよく伝わりました」と言うのだが、この言い方はどう考えても不合格通知だし、自分だったらあれを言われた時点で泣いてしまう。結局彼女が採用されたかどうかは分からないまま映画が終わるのは確かに好み。この映画のゴールは彼女が採用されることではなく、気持ちを表に出せるという成長なのだから、別に就活がうまくいったかぼかすことに文句はない。だが、どう見ても落ちている面接を「うまく自分のことが言えたから良かった」と落とす辺りが全然理解できず、「本当にこの終わりでいいんですか?」と問いたくなった。
就活とこの映画のテーマの嚙み合わせが悪いというのもあるが、そもそも就活の解像度が低すぎる。まず、地方公務員試験は面接だけではなく筆記も存在するはず。それなのに彼女が筆記試験対策をしているような素振りはほとんどなかった。しっかり読めていないが、模擬面接でC判定をもらった時に筆記についても書いてあったかな…くらいである。もちろん作り手がそれを知りつつ意図的にオミットしたことは考えられるのだが、それも信子の「自分の気持ちを表現する」というゴールにフォーカスしすぎではないかと思ってしまった。「気持ちを伝える」=面接という図式自体が全然成り立っていないのに、その面接が重要視されるという就活自体も違和感たっぷりの描写がなされてしまっている。筆記試験対策で全然入江と遊ぶことができない…というすれ違いだって生むことができただろうし、逆に試験勉強をしたいのに入江に誘われてしまい断われない…という葛藤を演出すればこの映画のテーマにも沿っていた。それなのに映画の視野が狭く、とにかく面接に気持ちが向かっていってしまっていて非常に不自然。
細かいところで言うと、入江が発熱して信子が駆けつける辺りの描写もおかしい。彼女は民間企業の説明会会場に行っており、そこでおそらく資料か何かが入っている封筒を手に取った後、入江の体調不良を知って急いで駆けつける。13時から始まるからもう出なきゃ…と入江の家を出るのだが、先に資料だけもらって時間をたっぷり空けた後に開催される説明会など聞いたことがない。就活中の説明会では何なら各席に資料が置かれていて座った時に手にし、それをパラパラと読んでいるうちに説明会が始まるという流れが多いはず。1度恋人の看病を挟めるほどの余裕を持つ企業説明会にまったく心当たりがなかった。百歩譲って入江の家が実は隣にあったとか、信子が看病前と看病後で受けた説明会は全然別のものだったとか、そういう考え方をすれば辻褄は合うものの、そうやって整合性を考えさせることにリソースを割かなければならない映画かあと残念な気持ちになる。
また、このシーンで更におかしいのが、資料を取った後に信子が1人で佇むことになる場面。実際の就活であんなに就活生が固まることはあり得ない。大概はまったく知らない人同士のため、座れるところにひたすら並んで座り無言でスマホを見続けているだけである。喋っている人間がいればむしろ浮くくらいの空気感だろう。それなのに映画では信子の孤独や人と繋がれないもどかしさを表現するためだけに、ファンタジー就活描写がなされ彼女が一人ぼっちになる。確かに、周りの人達は楽しく談笑しているのに自分だけが孤独という状況はすごく辛いし、自信を失うし、心も荒んでいく。だが、その演出や舞台設定に違和感がついてくると、途端にメタ視点になってしまうのである。この映画が信子の孤独を表現したいというのは理解するが、うまくこちらの気持ちを誘導してはくれなかったなと。
上記のインタビューで風間監督はこう話している。
表面的には『モブ子の恋』というタイトルの通りラブストーリーが主軸ではありますが、その根底にある「自己受容」や「自己理解」というテーマは、物語を練り始めた当初から最も大切にしていた部分でした。脚本の倉光さんとは“恋愛を縦糸、就職活動という社会との関わりを横糸にして、信子の成長をどう織り込んでいくか”ということを常々ディスカッションしていましたね。
正直この時点でズレている気がする。「自己受容」や「自己理解」は就職活動のスタートラインであって、実際に就活で使える武器ではない。宝石店に土から採れたての汚れたダイヤモンドが置かれていたら誰もが違和感を持つはずで、この映画がやっていることはそれに近いのである。就活は今の自分を受け入れ理解した上で、それをどう他人にアピールするかが重要なのであり、ありのままの自分を話すことは意味を成さない。原作を最後まで読めていないのでどれほど忠実なのかは分からないが、やはりテーマを表現する要素として就活は相応しくなかったように思う。
ついでに言うと、模擬面接でC判定をもらった後に夜道を泣きながら走る描写もただエモーショナルなだけで本当にきつかった。確かに信子が精神的に追い詰められてしまっているのは分かるし、自分が信子だったとしても同じ気持ちにはなる。だが、模擬面接の本来の意味は今の自分に足りない部分を他者からの指摘で自覚できる点にある。自分の自己アピールや話し方や振る舞い、それらが他者からどのように思われるかを実際の面接前に確認してもらい、改善していこうというのが模擬面接の役割のはず。それなのに「C」と書かれた用紙をもらうだけというのは意味が分からないし、こういった施策では模擬面接官が丁寧に改善点を伝えてくれたりするもののはず。模試とは違うはずなのに、どうして紙ペラ1枚で結果が出てくるのかも意味が分からない。また、信子も自分が話す内容をほとんど用意しないまま模擬面接に臨んでいたように見え、その点も不自然だった。言うなれば何も作ったことのない人間が「小説家になりたいのでアドバイスをください」とプロ小説家に言うようなもので、そもそも書いたものを持ってこなければアドバイスも何もない。緊張してうまく言えなかっただけという解釈もできるが、それなら信子がしっかりと自分の気持ちや志望動機を言葉にして家で面接練習するシーンを挟むなどの積み重ねが必要であろう。その後のダッシュがエモーショナルに演出されてはいるし、最後に入江が駆けつけてくれるアツい展開も待っているのだが、「それがやりたいんですね」というのが見え見えで、過程がテキトーな出来に感じられてしまった。
また、彼女がどうして地方公務員になりたいのかも明言されないままであり、途中で民間もいくつか受けようとしていたが、その理由も不明。結局民間企業に全然興味がなさそうだったし、どうしてそんなちぐはぐなことをするのか理解できない。多分民間企業を受けようとしていたのは、あの説明会での謎孤独シーンを描きたいだけなのだろうなと邪推してしまった。1つ1つの場面や気持ちは確かに心理描写として成立しているが、その過程に血肉が通っていないため、虚無から出てきた寂しそうなシーン辛そうなシーンばかりを見せられている印象である。構造にまとまりがまるでない。何より、就活を描きたいならもっと信子の努力を描写するべきだったと思う。気持ちを出せないことや結果が出せず落ち込むシーンやスーパーの描写ばかりで、信子自身が何を変えていこうとしているのかが画面にほとんど出ないのが致命的だった。
ということで、自分は就活の描写の杜撰さだけで丸一日この映画を否定できるのだが、それ以外にも気になる点はあった。そもそもだが、モブ子って何?というのもよく分からない。モブキャラという言葉に代表されるように、モブとは群集の中の1人という意味だが、この物語の主人公は別にモブではない。そもそも自分のことをモブと思っているというスタートラインがよく分からなかった。自分は主人公属性ではない、つまり特別な人間じゃないなと感じることはあっても、モブの中の1人とまでは普通思わなくないか、と。そもそも、主人公属性を持っていても大勢の中ではモブになってしまうこともあるわけで、モブかどうかの線引きは決して主体性の有無ではないと思う。クラスメイトから名前と地味さをイジられて「モブ子」と呼ばれてきた…とかならまだ分かるが、そういった背景があるわけでもなく、そもそもモブ子という言葉も店長の言い間違いでしか使われない。というか店長も履歴書あるのにあり得ない聞き間違いをしていてさすがに酷すぎる。その店長がバイトにクーポン券をくれる良いおじさんくらいの塩梅で描写されることも理解できない。信子自身が主体性の無さや引っ込み思案で悩んでいることは分かるし、それゆえに恋愛をなかなか発展していけず苦しみ、それでも好きな人と繋がっていたいという気持ちを大切にして前へ向かっていくという思いには共感できる。だが、それがそもそも「モブ」という言葉とうまくハマっていない。自分をモブっぽいと考えている読者へのリーチとして使われているだけで、物語の中に上手く取り込まれているワードとも思えなかった。これは映画の感想というよりも、原作自体に対しての気持ちだが。
木戸大聖演じる入江が若干原作のキャラと異なっていたり(原作はもっとクールなイメージだが、映画では柔和な印象が強い)、キャラクターの設定をいくつか改変していたりと、原作をそのまんま映像化するわけではなく映画のために色々と工夫しようという気持ちは伝わってきた。だが結局ディティールが足りておらず、一方的にエモーショナルを撒き散らすだけの雰囲気映画になってしまっている印象。もちろん悪い側面だけではない。更衣室から入江を覗くモブ子のシーンの光の差し込み方は、彼女にとって入江の存在が一筋の光となっていることを象徴しているように思えたし、2人の交際が決まった後に信子が薄暗いバックヤードから出てくるのを後ろから追ったシーンは彼女の気持ちを表現する上で非常に印象的だった。分かりやすいがグッとくる演出はやはり見事で、決して全てが悪かったわけではない。しかし信子の脳内イメージで他者にスポットライトが当たるシーンや水中にワープするシーンはさすがに奇妙で過剰。演出としてもありきたりで残念だった。
恋愛に関しては原作を既に読んでいたため内容がある程度頭に入った状態であり、特に展開に驚きはなかったのだが、やはりきちんとした告白シーン、つまり「好きです。付き合ってください」の言葉は欲しかったかなと。気持ちを言葉にして誰かに受け止めてもらうことを描く映画で、そこをぼかしたまま交際に発展するのは結構あり得ないなと思って観てしまった。相手に不快に思われないかなとかこんな私なんて、みたいな消極的な恋愛模様としては特段悪くなかったと思う。
総じて、つまらない以前に描写の不誠実さが際立ってしまった印象のある映画だった。


