ほとんど事前に情報を入れず、映画館のタイムスケジュール的にちょうどいいからくらいの理由で『君の忘れ方』を観たら、とんでもなく面白くて見事に落涙。作道雄監督の長編初監督作品だとは知っていたが、そもそも名前も聞いたことのない方だったのでほぼノーマーク。そして見事なパンチを喰らってしまった。主演の人はどこかで見たことあるけどどこだったっけなあと、そんなレベルだったはずなのに。今や坂東龍汰の真に迫る演技の虜になっている。車の中で母親に訴えかけるシーンが本当に好き。一言で言えばかなり静かな映画なのだけれど、訴えてくるメッセージ性はとにかく強く、重い。
エンタメエンタメしてる映画も好きだが、やっぱりテーマがあると映画自体が引き締まった感がある。『君の忘れ方』が語るのは、愛する人を失った喪失感とどう向き合っていくのかということ。坂東龍汰演じる森下昴は、交通事故により結婚間近の恋人・柏原美紀を失う。事故の描写自体はないままに、昴が結婚式用にトリミングした彼女の写真がそのまま遺影になってしまう演出の静かだが確かな物悲しさ。ここだけで作家性が炸裂していて、するりと映画の世界に引き込まれてしまう。肝心の喪失のシーンを派手に描くのではなく、あくまで心情描写に留めるという意志の強さが表れている気がする。
美紀を失ってすぐの昴の淡々とした日々。特に何かを言うわけでもなく、買ってきた弁当を食べて、仕事をこなす。彼女と過ごした時間にはあり得なかった、独りの時間をしっかりと描写していく。この時点ではまだ2人のことはほとんど語られていないにも関わらず、演出や佇まいから「空白」が存在していることが分かる。そして、電車の中でふと彼女の気配を感じる昴。インタビューしたカウンセラーにも仕事中なのにブチギレてしまうほどに気持ちをコントロールできなかった彼が、同じく大切な人を失った人達が集まるグリーフケア会の取材をすることで少しずつ変わっていく。
グリーフケアの会を主催する牛丸役の津田寛治はさすがの貫禄で、大切な人を失った時に側にいてほしい人ランキングベスト3には入るんじゃないかというくらいの物腰の柔らかさ。こんなに優しさが似合う人はいない。もちろん様々な作品に出演しているので悪役の強烈な演技も知っているけど、今回は喋り方に神性が滲み出ている感すらある。だが、それよりも凄まじい演技を見せつけるのが岡田義徳。彼の演じる池内は、亡くなった妻が「見える」という独特なキャラクター。行きつけの居酒屋でも2人分の料理を注文し、妻と談笑しながら飲み食いしている。それ故にグリーフケアの面々からは煙たがられているものの、電車の中で美紀の存在を感じ取った経験のある昴は彼の話を聞くことに。この池内というのが、やたら気の良いおじさんなのも絶妙なポイント。妻が見えるとさえ言い出さなければ、あのタイプの男性はどの街にも1人はいると思う。
また、昴が実家に帰った時にも衝撃が走る。家の中を見知らぬ男女が出入りしており、更に部屋の片付けまでしているのだ。20年前にひったくりに殺されてしまった父親のことを未だに引きずっている母親を疎ましく思い、ほとんど実家に戻っていなかった昴。そんなうちに母親が何故か若い男女と友人になっている…この2人はカップルで、彼氏の牧田のキャラ造形もすごく良かった。久々に実家に帰ってあの見た目の人間が家にいたら、俺は即家を出ると思う。一目でわかる、近づきたくないタイプ。でもそういうキャラクターが出てくることこそが、この映画のキャラの多種多様さを物語っているのだ。
正直序盤はあまりハマっていなかったというか、いろいろな人物が出てくるものの、肝心の話が見えてこないなあという印象だった。何せオープニングで美紀が亡くなっているのだから、その後の展開はどうしても緩やかになってしまう。よくある、喪失者同士が心を通わせ合って奮い立つ筋書きなのかなとかなり期待値を下げていたのだが、この映画は中盤からどんどん面白くなっていく。
まずは昴と池内の喧嘩。池内の言葉によって、昴も段々美紀を見るようになり、カレーを彼女の分も用意するなど、明らかに「おかしく」なってしまっていた。川の反対岸に立つ彼女へと走り出しそうになるくらいに、前が見えなくなってしまっていたのである。このシーンも、ややホラー色もあってかなり好きな場面だった。そんな昴を止めたのは池内だったが、池内の妻と違い美紀が喋らないことに昴は違和感を持ち始め、グリーフケアの面々との草野球の最中、2人は口論に至る。「奥さんどこにいるんですか!」と池内の妻がいるという場所にボールを投げ続ける昴。口論は掴み合いに発展し、池内はそのまま球場を出ていってしまう。薄暗くなりつつある空模様の下、彼が田んぼばかりが続く田舎道をひたすら歩く後ろ姿を捉えたカットが印象的。現実を突きつけられた背中があまりに寂しすぎる。
昴と牛丸が牛丸家に戻ると、そこには電気も点けずに放心状態の池内が。俺はおかしいのかと泣きながら問う姿にこちらも号泣してしまった。喪失感を埋めるために彼は自分の心を洗脳するようにして、妻の幻影を見続けていたのだ。大切な人を失うという現実は、ここまで人を変えてしまう。側から見れば不審者だが、それでも彼にとっては彼女の幻影が必要だった。だが、昴はその在り方を否定する。否定しながらも、自分にも美紀の姿が見えるようになったことで、苦しみ続けていく。橋の真ん中で美紀を見て頭を抱えながら叫び狂うシーン。俯瞰のショットと静けさがより彼の苦しみを引き立てる構図になっていた。BGMや川のせせらぎなど、この映画は音にも気を配っていることがよく分かる。
では、喪失感と向き合うために人はどうするべきなのか。「前を向いて生きていくしかないよね」という綺麗事だけではなく、この映画はその問いに明確な答えを投じる。もちろんそれが正解ではないかもしれないし、人それぞれとも言えるだろう。だが、はっきりとした答えを主人公の心情を通して描いてくれる親切さと勇敢さが、とにかく嬉しい。この映画が示した答えは、「忘れないために思い出す」であった。故人にその後の人生を左右されることの虚しさ、そして時間が経過するにつれて忘れていく悲しさを描き、その両方を回避するために、「時々思い出す」というアンサーを提示する。最初に昴がインタビューしたカウンセラーの言葉が、映画を通してのメッセージになっている熱い構成だ。
そして、このメッセージを何より体現しているのが昴の母親の物語。通り魔に夫を殺された彼女は、20年以上も虚しい復讐に時を費やしてきた。彼が若いカップルと仲良くしていたのは、その彼氏の牧田を犯人だと思ったため。彼女を説得する昴の言葉から、母親は何度も同じことを繰り返していたのだと分かる。牧田に尾行がバレて直接問い詰めるも、犯行を否定されてしまう母。そして牧田が持病で倒れた際、彼の応急処置を行なったフリをして彼を病院へと運ぶ。昴は彼女の嘘に気付き、「俺の声と父さんの声! 母さんには今どっちが聞こえてるの!!」と叫ぶ。喪失感に支配された母親の呪いは解かれ、彼女の改めての応急処置により、牧田は一命を取り留める。この出来事を経て、母親は部屋に貼られた牧田の写真を全て捨て、夫の喪失を乗り越えることができた。喪失は悲しいが、それに人生を左右されてはならないのだ。なぜなら、人生はその後も続くのだから。
終盤、昴が家に戻り、作り置きのカレーを捨てるシーンがすごく良かったと思う。そりゃ冷蔵庫とはいえ何日か放置していたカレーなら当然捨てるのだけれど、「美紀からレシピを教えてもらったカレーを捨てる」という描写が、彼が美紀の喪失に対しアンサーを出したことの証左になっていると感じた。自分は親しい人物の喪失を経験したことはないけれど、この人がいなくなったら嫌だなと思える人は幸か不幸か存在する。そんな時に、この映画が教えてくれたメッセージを、それこそ「思い出して」いきたいなと思える素晴らしい作品だった。
今でも普通に泣ける作品だが、きっとこれから自分が成長するにつれて観返すことも増え、その度に涙を流してしまう気がする。映画を観終わった後に主演俳優の坂東龍汰の名前を検索して「あ〜ライオンの隠れ家の人か」と気づいた。途中までしか観なかったが、あんなに複雑な役を見事に演じていてすごいなあと思った記憶がある。そしてこの『君の忘れ方』は彼の新たな代表作になるのではないだろうか。作道雄監督の次回作にも期待したい。心の隙間にスッと溶け込むような本当に幸せな映画体験だった。ここまで自分の感想を書いて初めて他の方の感想を読み、「暗いだけ」みたいなのを目撃して「は!?????」と一鑑賞者にも関わらず怒りを持ってしまうくらいには大好きな映画になっている。