漫画『怪獣8号』感想(15巻まで) 

怪獣8号 1 (ジャンプコミックスDIGITAL)

 

 

確か第1話がジャンプ+に掲載された時に大きな話題になっていて、それに乗っかって読んだらとんでもなく面白く、ジャンプ+という媒体にまだ抵抗のあった自分にとっては本当に大きな衝撃だったことを記憶している。ジャンプ+作品ってこんなに面白いのか…!とかなり感動した。とはいえ漫画を電子で読むことに慣れない古臭い人間なので、単行本は買いつつもビニールすら剥がさない状態で溜まっていくばかり。結局3巻までしか読めていなかったのだが、ちょっと手が空いたので既刊15巻までを一気に読破した。

 

その結果、買い続けていたことをちょっと後悔している。あんまり好きな漫画じゃなかった。3巻の時点でもいくつか違和感はあったものの、話が進むにつれて徐々にそれが巨大怪獣のように肥大化していく。劇的につまらないわけじゃない、でも、別に面白くもない。かなり評判が悪いという話も聞いていたので覚悟していたのだけれど、自分が最初にこの作品に触れた時に抱いた期待とはまるっきり違う方向に話が進んでいっちゃってるなあという印象。というわけでその違和感についてつらつらと述べていきたいと思う。当然最新刊の15巻までの内容に言及しているので、ネタバレが苦手な人はここで一旦立ち止まって15巻まで読んでからまた来てほしい。

 

 

・32歳の主人公という意外性

主人公の日比野カフカは32歳。これは少年漫画の主人公としては結構高齢な部類であると思う。第1話の時点で、幼馴染の亜白ミナが防衛隊の第一線で戦う姿をテレビ越しに観て、「なんでこっち側にいるんだろ俺…」とひとりごちる。要は、夢破れた中年男性であり、ヒーローになれなかった存在なのである。防衛隊に入って怪獣を倒しまくり大活躍をするはずが、怪獣解体業者で細々と働く結果となり、それでも夢を諦めきれないでいる半端者。青年誌にはこの手の主人公が五萬といるが、少年漫画においてはなかなか見ない部類。実際、この作品の紹介やインタビューにおいてもこの部分がクローズアップされていることが多い。

 

実力はないが正義感が強く、目の前の人を放っておけないヒーロー気質の彼が、ひょんなことから怪獣と一体となり、「怪獣8号」となって人助けに奔走し、文字通りヒーローになっていく…。夢破れた主人公に再度チャンスが訪れる展開はまさに夢のようで、負け組中年男性がのし上がっていくストーリーにかなり期待していたのだが、現在15巻では、カフカの「中年男性感」は完全に消失してしまったと言っていい。というか、4巻くらいからもうなかった。

 

artexhibition.jp

 

上にリンクを貼ったインタビューでも語られているが、主人公のカフカには遅咲きとなった松本直也先生自身の姿がかなり投影されているらしい。

それでいて、ジャンプ+の編集長、中路さんはこう語っている。

 

あとこれは私が最初に読んだときに感じたことなのですが、「32歳にしては精神的に若いな」という部分。もともと「32歳はおじさんと呼ばれる年齢だし、社会的にはしっかりしていて、なんらかのプロフェッショナルである」というイメージがありました。でも日比野カフカはテンションが子どもっぽく、自分が思い描いていた32歳とは全然違った。「32歳ってこういうものなのか?」と。その違和感の正体は、松本先生と打ち合わせをするなかで明らかになっていったんですけど、松本先生はそもそも、32歳をおじさんだと捉えていなかったようなんです。むしろまだまだ若くて、夢を諦めなくてもいい年齢である、と。

 

この話は下記のインタビューで読むことができる。

 

spice.eplus.jp

 

 

つまりは編集者自身がカフカに関して「若い」という印象を抱いていたということらしい。確かに、カフカは周りからおっさん扱いこそされるし、容姿もかなりテンプレートなおっさんなのだが、変に達観していないというか、中身に関してはまだまだ子どもだなあと思わせてくれるキャラクターである。「夢破れた男」ではあるが、「中年男性」とは言い切れない。少なくとも、松本先生は「おじさんが頑張って輝く話」としてはいないのだろう。しかし、32歳という年齢は劇中で防衛隊加入年齢の上限として設定されたことも含めて、世間一般的には「おじさん」の域に入ると思う。これは別にアラサー男性に喧嘩を売っているわけではないし、別に「おじさん」という言葉を使わなくてもいい。ただ単純に、「何かを始めるにはちょっと遅い年齢」と一般的にはされる年齢だなという印象があるのだ。

 

しかしこの漫画では加入試験の時こそそういった話があったが、以降は別にカフカをおじさん扱いしていない(むしろ早い段階で彼の正体がバレたため、危険分子や切り札として扱われる)ので、第1話時点で期待していた「中年男性の大逆転」的な面白味は一切なくなってしまった。むしろ今は防衛隊の要として「カフカ待ち」の状況が作られているレベルである。もちろんそれ自体が悪いということではないのだけれど、彼が32歳、夢破れた男性、と序盤で設定された意味がもうほとんどなく、実質出涸らし状態の設定になってしまっているのが何とも据わりが悪い。明確なテーマ性を持った作品ではないのだろうなと、そういう諦観を持ってしまった。というか無力だけど正義感はある主人公が力を手に入れて活躍する話はもうヒロアカじゃん…。

 

 

・キャラクター同士の関係性

関係性というか、これはキャラクター個人の話でもあるのだけれど、とにかく「何か勝手に成長した」「何か勝手に仲良くなった」が多すぎる。レノと伊春が代表格だが、「あ~互いに相手にそんなことを思っていたのね」と、理解はするがそれが全然表現されてないうちに言葉にされていくので軽薄に思えてしまうのだ。ぎこちなさや嫉妬や喜びを表現する描写がなく、戦いの中でいきなり「俺は前から…」が頻発される。「あ、ここから数話はこいつが独白してパワーアップして勝利するわけね」と察せられてしまうため、興奮は弱い。

 

危険を顧みないカフカの姿勢が、レノの決意に繋がっていて、そんなレノを見て伊春が焦りを感じるなどなど。キャラクター同士の関係性の循環構造はできているのに、それがバトルとセリフでパッパッとあっさり描かれてしまう虚しさ。自分の中ではこれは「表現」とカウントできないものなのだけれど、少年ジャンプ+という媒体を考えるとこれくらい分かりやすい上に余計なドラマを挟まないほうがウケるのかもしれない。

 

キャラクターの過去回想シーンも、何だかすごく既視感に満ちている。それも、「全てが」である。『怪獣8号』の特徴として、なぜかオリジナリティを一切出さないということが挙げられる。両親に認められなかったキコルの過去は確かに辛いものだが、そのまま出せば当然「どこかで見た話」になってしまう。どの少年漫画にも1人くらいは「英才教育を受けたエリートだが、テストで満点を取っても親に認めてもらえない」みたいなキャラクターがいるからである。そのため、どの漫画もオリジナリティとしてそこに独自の要素を入れてくる。

 

だが、『怪獣8号』はそれを原液そのままで流し込む。思えばカフカの「夢破れた男」設定も原液、伊春のレノへの嫉妬も原液、キコルの父親である功が実は優しいパパだった設定も原液、すごい…本当にシロップまみれなのだ。セリフでそれを感じさせるでもなく、感情や過去を表現する要素やモチーフを扱うでもなく、とにかくセリフでシロップをそのまま垂れ流す。多分これが『怪獣8号』の手法なのだろう。それは非常に分かりやすいし、実際個々のキャラクターが抱く気持ちは共感できるし、キャラクターがブレているとも別に感じないのだけれど、自分はそういったキャラクターの思いをどんな比喩やモチーフで表すかという部分を楽しみに漫画を読んでいる人間なので、シロップを飲んで美味しいということはできなかった。

 

キャラクター同士がいがみ合っていれば、ある程度衝突をした上で共闘に持ち込むのが王道のはずなのに、『怪獣8号』は戦いや回想の中で割とすんなり衝突やコンプレックスが解決していく。人間ドラマを必要以上にやらないことは確かにノンストレスにも繋がっているが、あまりにストレートな言葉で次々とキャラクターが壁をぶち破っていくので特に感動はない。キャラAによるキャラBへの感情が急に生えてきても全然違和感が起きないのは、ある意味描写を極限まで削ったことの不幸中の幸いでもあると思う。

 

 

・怪獣討伐の世界観

自分はウルトラシリーズゴジラをはじめとする特撮怪獣作品もよく観ているので、「怪獣」とタイトルに付いた作品に対しては無意識に身構えてしまう。中途半端に怪獣を馬鹿にする作品だったら許さないぞ、と勝手ながら思ってしまうのだ。その点『怪獣8号』のスタートは既視感こそあれど、そう悪くなかったと思っている。怪獣解体業者や怪獣討伐隊の設定も、うまく漫画の範疇に収まっているなあ、と。序盤を楽しめたのは結構真面目に怪獣作品をやっていると感じたのが理由なのだろう。

 

「怪獣が人を襲う世界」という点に関してこそマイナスイメージはないが、諸々の設定にはかなり首を傾げてしまった。まず、戦闘服の解放率という謎の数値。『ドラゴンボール』で言うところの戦闘力に値するものなのだが、これが実際どういう根拠なのかよく分かっていない。そもそも誰も100%解放できない戦闘服とは??

 

この解放率の高さが強さのパラメータになっていて、どデカいコマで「〇〇%」と出るところがこの作品の「脳汁ドバドバ展開」なわけなのだが、なんというか、かなり自分も雰囲気で読んでしまっているところがある。戦闘服の力をより引き出せる人材が強いっていうのは、一体どういう設定なのだろう。むしろ戦闘服側に色々とギミックを付けるのでは駄目なのだろうか。ミナは砲撃、宗四郎は近接戦闘と、それぞれバトルスタイルが違うのは確かに面白いのだが、戦闘服の能力を引き出せるかどうかにスタイルが依存していると聞くと、ちょっとよく分からなくなってくる。それなのに宗四郎は近接でしか高い数値を叩き出せないから近接しかできないキャラクターにされている。自分の読み込み不足もあるかもしれないが、とにかくこういった諸々の設定に関して、疑問が尽きない作りになってしまっているのだ。

 

そもそも怪獣による大災害はもうずっと昔から続いているという話なのだが、現代科学のない時代に大怪獣を仕留められるとは思えない。15巻で明暦の大怪獣を討伐する際の過去が明かされたものの、あんな装備で人類がずっと怪獣と戦ってきたというのか…。ちょっとお粗末すぎるのではないだろうか。もちろんここに関してはこれから更に新たな設定が出てくるのかもしれないが。

 

それに怪獣が何なのかというのを真面目に研究している人物が全然出てこないのも怖い。松本先生は『パシフィック・リム』や『シン・ゴジラ』に着想を得たと言っているが、どの作品にも怪獣を研究する科学者の存在がかなり大きなものとなっている。それなのにとにかくバトルに次ぐバトルで物語は展開され、世界観が全然広がっていかない辺りに狂気を感じてしまうのだ。むしろ9号が人間を研究する描写のほうが多いくらいである。もちろん絶対研究者を配置しなければならないなんてことはないのだけれど、そういう細かい粗が気になっちゃう作りだなあという残念さはある。

 

あと、9号が自分自身を怪獣と言っているのもちょっとよく分からない。人間にとって「怪しい獣」だから怪獣のはずなのに、どうして怪獣側のアンタが自分達のことを怪獣なんて呼ぶのか。こういうアンバランスさを許容できるほどの面白さも感じられていないため、どうしても色々と気になってしまうのだ。あと9号で言えば突然8号をライバル認定して強キャラ感を出してきたのも嫌だった。そこは過去とか人間性を上手く対比させていってほしい。多分『怪獣8号』はそういう漫画じゃないのだろうけれども。

 

 

・最後に

総じて言うと、とにかく生き残る(連載で上位を勝ち取る)のに必死でバトル中心に物語を展開する、昭和の少年漫画のような印象を受けた。キャラクターが非常に記号的なので全然面白いとは思えない。既に書いたが、面白いと思える要素の原液をとにかく畳みかける作りなので、逆に日常描写の二次創作なんかは捗るのかもしれない。というか日常を描いたギャグスピンオフ漫画もあるのか…それを本編でやってほしかったけれども。

 

今のところは誰かがピンチに陥ったらまだその場にいないキャラクターがいきなり駆けつけてくれてバトルに突入し独白が始まり一回負けたと思いきや辛くも勝利する…の展開がずっと続いている状態。やってることはほぼ『BLEACH』と変わらないが、『BLEACH』は久保先生のセンスを楽しめていたので、こっちのほうが全然好き。9号の中身が現われたことで多分この展開も一段落するのかなと思っているが、一体どうなるのか。

 

物語自体にはそんなに前向きになれなかったのだが、これくらい原液たっぷりの漫画が令和の現代に電子媒体とはいえ連載していて、アニメ化や映画化や展覧会まで辿り着いたというのはかなり凄いことだなと思っているので、これからも読んでいきたいとは思う。アニメだったらバトル描写もより臨場感に満ちてそうだし観ようと考えていたのに、何かアニメもアニメで評判が悪くて怖い。

 

 

 

 

怪獣8号

怪獣8号

  • 福西勝也
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