映画『星つなぎのエリオ』評価・ネタバレ感想 シンプルかつ予定調和

星つなぎのエリオ

 

ピクサーの最新作『星つなぎのエリオ』は、孤独な少年が宇宙人と心を通わせるハートフルSF。『E.T.』っぽくもあり、『ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー』なところもあり、『未知との遭遇』や『エイリアン』などの有名SF映画のオマージュもたくさん。しかし、それが作品を補強するというよりも、むしろ既視感を味わうようなデジャヴな体験になってしまっていて、完成度自体はそこまで低くないはずなのに、イマイチ期待を超えてこない作りでもあった。悪くはない、しかし、別に絶賛するほどでもない。非常にシンプルな映画だったと思う。

 

監督はマデリン・シャラフィアンとドミー・シー。ドミー・シー監督は『私ときどきレッサーパンダ』なども監督している。しかし問題なのは、実はこの作品で元々監督を務めていたのは、『リメンバー・ミー』の脚本等を務めたエイドリアン・モリーナであったということ。そして彼が降板した理由が、「テスト上映の反応を受け、エリオのクィア描写をことごとく削除するよう要請された」ことにあるということに注意したい。そう、エリオは元々ゲイとして設定されたキャラクターだったのである。

 

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日本語の記事でこの話を見つけることはできなかったが、海外メディアは多くがこのことを報じている。今はPCやスマホの機能で簡単に精度の高い翻訳ができるので、ぜひ一度目を通してみてほしい。

上記の記事に書かれていることを踏まえると、テスト上映後のフィードバックによってエリオのクィア描写は削除される方針となり、モリーナ監督だけでなく、多くのスタッフがそれを聞いて降板したとのこと。映画はエリオのカミングアウトの話にするつもりはなかったということなので、おそらく彼のセクシュアリティの話はメインではなかったのだろう。しかし、ゲイであるモリーナ監督にとっては、自身を反映させたキャラクターが受け入れられなかったことはショックだったはず。表向きは『リメンバー・ミー2』に専念するための降板とされているが、このような話が出てしまい、作品を楽しみにしていた私も非常にショックである。

 

先に書いた通り、私は『星つなぎのエリオ』をそこまで面白いと思えなかった。その理由の一つが、「エリオがとにかく嘘をつく不道徳な人物」だったことである。友達を作れず、両親とは死別し、自分を引き取ってくれた叔母とも上手くいかないエリオは、常に孤独を抱えていた。そして、どこにも居場所がないというやりきれない気持ちの向かった先が、宇宙だったのである。宇宙人が自分をどこか遠くに連れ去ってくれないだろうか…誰もが一度は考えるような荒唐無稽なことを、エリオは無線の勉強をして実践しようと試みる。そして遂に、叔母が空軍であったことも幸いして、宇宙からのメッセージに「自分が地球のリーダーだ」と応え、各惑星のリーダーが集う鮮やかな宇宙空間・コミュニバースへと足を踏み入れることになる。

 

その後コミュニバースを他の宇宙人に案内されるのだが、そこでも彼は自分が地球のリーダーではないこと、子どもであることがバレたらまずいことになると感じ、必死に見栄を張り、頼れるリーダーとしての自分を取り繕っていく。その上、できもしないくせにコミュニバースに入れろと人々を脅す凶悪なグライゴンとの交渉を買って出る。これを子どもの浅知恵と取ることもできるし、確かに嘘をついてしまう子どもというのは微笑ましくもある。ただ、私はこの虚言癖の部分がどうも気に入らず、正直最初はエリオを全然好きになれなかった。背景に、地球に溶け込めなかった過去があるのは分かるが、嘘をつくことはまた別だろう。正直に言った後、グライゴンとの交渉で実力を示すなら分かるが、彼はとにかく嘘に嘘を重ねていく。彼が抱える孤独には素直に共感できたのに、馬鹿みたいに嘘をついていくのが気に入らない。この辺りで私はエリオという人物にかなりイライラしてしまった。

 

だが、監督降板という事実を踏まえると、この描写はもっと違っていたのではないかとも思う。内容がというよりも、彼のセクシュアリティに関する描写の数々が、彼の孤独をより引き立てる形になっていたのではないか、と。必死に嘘をつく虚しさよりも強く、エリオが周りと馴染めない孤独を味わうことができたのではないだろうか、と。もちろんモリーナ監督が第一線にいたバージョンを知ることができない今となっては真相は藪の中なわけだが、クィア描写は間違いなくエリオのパーソナリティを補強することになっていたし、その弊害は彼への感情移入の阻害など、多岐に渡っているのではないだろうか。もちろんエリオに素直に気持ちを近づけることができた観客もいたと思うのだが、私はどうしても序盤のエリオを受け入れることができなかった。正直、本当にうざったい。

 

一方で、グロードンという友だちを見つけてからの映画の快進撃っぷりは素晴らしい。彼とコミュニバースを謳歌するシーンは王道だがとても楽しく、同時にエリオの叔母・オルガがクローンのエリオに違和感を覚える描写などが挟まれて、どんどん物語が展開していく。エリオの笑顔にこちらも自然と安心でき、オルガの心情にも寄り添えるようになっていく。保護者の描写がかなり良いという意味では『リロ&スティッチ』にも通ずるだろう。いや、そもそも内容が『リロ&スティッチ』に似すぎているので実写版が公開されたこのタイミングで劇場公開されたのがちょっと異常だが…。

 

グライゴンがグロードン(クローン)の違和感にすぐに気付くなど、彼のギャップもとても魅力的。家族愛の話を丁寧に描いているのはすごく好感が持てる。支えてくれる人の存在や「あなたはあなたでいい」という肯定。暖かみある優しさが物語の随所に表れていて、少しだが泣きそうになった。最後、グライゴンが本来はタブーのはずなのにスーツを脱ぎ捨ててグロードンを救うシーンも素晴らしい。エリオとオルガだけでなく、グライゴンとグロードンの関係にもスポットが当てられ、家族という在り方の良さに気付かされる。邦画では実写アニメ問わず、毒親ものが人気を博す傾向にあるが、ピクサーはすごくシンプルに家族の良い側面を出してくれていて好印象。毒親ものが悪いというわけではないが、もうドラマやTVアニメ、映画にとにかく毒親が山ほど出てくるので、私は日本の毒親にちょっと飽き飽きしている部分がある。

 

家族愛の描写が綺麗な一方で、展開には物足りなさも感じてしまった。ラストアクションが宇宙デブリの回避というのはどうなのだろう。私はてっきりグライゴンとエリオが戦って決着を着けると思っていたので、コミュニバースに帰還してすぐにグライゴンが父親としての一面を見せ、物語が収束していくのは意外だった。もちろんこの宇宙デブリの回避シーン自体、あと少しで宇宙船が壊れてしまうという緊迫感もあり、これまでに登場したキャラクターが次々と現れて助け舟を出してくれるという熱いシーンでもあり、孤独だったはずのエリオが「人と力を合わせる」という意味で、この映画のテーマのゴールになっているシーンでもある。ただ、「危険地帯を何とか抜けたぜ!」の後にもう一段階展開があると勝手に思ってしまった…というよりここで終わるはずはないだろうみたいなポテンシャルを感じていただけに、非常に惜しい。何というか、「あ、それでいいんだ」みたいな終わり方だった。良く言えばシンプルだが、悪く言えば予定調和で、こちらの期待を突き抜けてくれる感動はなかったように思う。

 

結果的にエリオはコミュニバースの一員と認められたうえで、オルガ達のいる地球へ帰還することを決意する。それは同時に、一時的とはいえグロードンとの別れでもあった。コミュニバースに認められたことも地球へ帰ると自分の意志で決められたことも、エリオにとっては成長である。だが、こんな形で認められていいのかという気持ちはある。彼はコミュニバースのツール(クローン作成や宇宙船)を用いていたわけで、言ってしまえば彼でなくても代替可能な役割だった。その上、グロードンが偶然にも宇宙船を動かして地球に来てしまうというアクシデント込みでのあの結果なのだ。今回事態が丸く収まったのはエリオのおかげというよりも、あらゆる偶然が積み重なった結果みたいなもので、これだけで彼をコミュニバースの一員と認めてしまうのはちょっと無理があったかなあと。そこに対してのエリオの選択はやはり感動を生むのだが、説得力には欠ける印象だった。

 

というわけで、総じてシンプルな映画だなあという感想。あと一つ、何か捻った展開があればきっと号泣していたなあという惜しさ。エイリアンのデザインなどに独創性は感じるが、物語としてはイマイチ振り切れない印象を受けてしまった。そしてその違和感が、監督降板というゴタゴタとも繋がっているのではないか…と邪推してしまう負のループ。もし監督の意向が反映された形で作られていたらどうだったのだろう…と何度も考えてしまう。影響度が分からないために答えは出ないのだが。