予告の感触では平々凡々とした映画という印象で、特に期待していなかった『平場の月』。しかしこれが意外にもダークホースだった。こういうことがあるから映画鑑賞は止められない。市井の人々の感覚とすごく近い、等身大の恋愛ドラマ。劇的な感動をもたらすドラマではなく、ただひっそりとした月明かりのような淡い期待と切ない優しさが映画それ自体を包み込んでいる。青砥達と同世代やそれより上の世代にとってはきっととても身近に感じられるだろうし、20代の自分が観ても、いつか似たような喜びや苦しみを味わうことになるのではないかと、自身の未来とつい照らし合わせてしまうようなストーリー。手を伸ばしたら届いてしまうような距離感にある切なさが克明に映し出されていく。
なんてベタ褒めしているが、大筋自体は邦画によくある難病恋愛映画の域を出ない。愛し合う2人のうちの1人が大病を患い、死を意識せざるを得なくなることで強い感動を生むタイプの作品だ。これらの映画は、ともすれば感動ポルノと受け取られかねず、人によっては強烈な拒絶反応を示すこともある。だが、『平場の月』は2人の関係性や暮らし、生活のディティールの細やかさで、確かな感動を生んでいたと思う。まずは固有名詞の使い方。ニトリ、ユニクロ、ベローチェ。我々にとっても身近な企業や店舗の名前が会話の中で自然と飛び出す。そう聞くとスポンサーの圧力を想起させてしまうかもしれないが、どこまでも自然に紡がれていく言葉は、そんな力を感じさせない。そして暮らしのディティール、パート暮らしの須藤が住んでいるのが郊外の古びたアパートの一室というチョイスも素晴らしかった。難病映画は時にドラマチックや儚さを優先し、敢えて「みすぼらしさ」から逃げることも多い。今年の頭に公開された『366日』では、大学を卒業したばかりの男性と就活中の女性のカップルが、都内で馬鹿みたいに広い部屋に住んでいる上に家具も上等なものが揃っているなど、「見映え」を意識しすぎるあまりリアリティが欠落していてげんなりしたのだが、『平場の月』は生活の苦しさやリアルをしっかりと描き出す。
かといって、現代は独身の50代が生きるのには苦しいよね、なんてネガティブな共感を求めてはこない。孤独を押し付けるのでなく、青砥と須藤の心の距離がゆっくりと近づく様を、ラブストーリーとしてちゃんと楽しむことができる。『リーガル・ハイ』や『半沢直樹』、そして現在はマクドナルドのCMで陽気な男を演じている堺雅人が、髪をセットすることもなく自転車を漕いでいる素朴さが、既に新鮮で心地良い。堺雅人には「動」のイメージがあったが、「静」の演技もこんなに素晴らしいのだと改めて実感できた。50代に入り、体内に腫瘍が見つかるような絶望さえ携えた彼が、病院の売店で中学時代に好きだった女性と再会する。決してドラマチックな再会ではないが、その素朴さはどこまでも愛しく、切ない。
難病映画をたくさん観ていると、邦画が如何に「泣き」に力を入れているかが分かる。泣ける映画が求められてしまう現代では、無理矢理涙腺を握り潰しにくるレベルのお涙頂戴映画が上映されることも珍しくはない。もちろんお金を払わなければ映画は観られないので、自分から観ようと思わない限り、一生無縁でいることもできる。しかし、難病映画を好んで観ている自分からすると、「ああ、また叫びながらダッシュするやつか」とか、「雨の中で大泣きするやつね」とか「はいはい、バラードきました」みたいな気持ちになってしまうのだ。今はそういった嘲笑すらも卒業して、難病映画ビンゴをするくらいの気持ちで難病映画あるあるを楽しめてはいるが、そうしたダメ押しのような演出は健全ではないよね、というくらいの分別はある。
そんな中でこの『平場の月』は、そういったコテコテの演出に頼らず、じんわりと感動を心にもたらしてくれる、正に理想的な難病映画だった。何と言ってもMVPは人工肛門。難病映画では主に「若くして死ぬ儚さ」が強調されるため、50代の須藤ががんにおかされ、人工肛門を付けることになるという「嫌さ」を突き付けてくるリアリティはかなり珍しく、そして恐ろしい。だが、実際に生きていれば、吐血や痛みだけではなく、こういった人に話すことが憚られるような治療をすることだってあり得るのだ。ファンタジーになりがちな難病映画に、散りばめられた固有名詞と人工肛門で現実味が付与されている。
とはいえ、泣ける映画、難病映画なんて括りでこの映画を語りたいとは思っていない。50代の男女が中学時代ぶりに再会し、互いを再び意識し合う心の動きの描き方が本当に素晴らしく、この映画は単純なラブストーリーとして観ても充分に素晴らしい出来なのである。互いに離婚も経験していて、年齢もあって相手のことを考えすぎてしまう。将来に輝かしい希望を持っているわけではないが、それでも互いが隣にいる未来を求めている。人生をリセットしよう、新しく始めよう、次のステージに行こう、そんなキラキラした前向きな気持ちではなく、ただ単に相手を見つめるような関係性がすごく素敵だった。気持ちをぶつけ合うほど若くもないが、相手からLINEが来ると嬉しいし、スマホに通知が来ると即座に確認してしまう青春らしさは残っていて、そしてその青春の象徴が「自転車の2人乗り」なのだ。大人になり過ぎてしまった彼等は、青春をやり直すわけでもなく、酸いも甘いも経験した50代として互いの隣にいたいと願う。そんな彼等のいちゃつき、羽目を外すトリガーとして機能する2人乗りのシーンは正にこの映画のベストシーンだった。
後はとにかく役者さんが素晴らしかった。キャスティング的に一番感動したのは、堺雅人と宇野祥平が同級生という関係性であること。宇野祥平は遂にここまできたのか…と、白石監督ファンとしては感動を禁じ得ない。しかもそこに色黒でピアス付きの大森南朋が肩を並べ、近年の黒沢清監督作品で印象的な活躍を見せる吉岡睦雄と4人で居酒屋でだべっているのだ。堺雅人演じる青砥がメインの物語なのでこの4人が揃うシーンはそんなになく、同級生3人の台詞や行動が青砥の何かを変えるということもないのだけれど、この4人が並んでいるというだけで特別な感慨があって、すごく味わい深いシーンだった。4人で思い出話を語るだけのスピンオフがあってもいいくらいには好き。
土井裕泰監督、前作の『片想い世界』はかなりストーリー面でキツさを感じてしまったし(ネタバレになるのであんまり深く言えないのが残念)、演出面でも色々と思うところがあって残念だったのだが、『平場の月』は文句なしに人に勧められる素晴らしい映画だと思う。また年を取って、青砥達の年齢に近くなってから観ると感じ方も違ってくるのかもしれない。エンディングの星野源「いきどまり」もかなり歌詞がじんわりと来る曲だったので、じっくり聴いて映画に更に浸っていきたい。
