映画『蛇の道(リメイク版)』感想

 

先に述べておくと、自分は哀川翔主演のオリジナル版『蛇の道』の良さが全く分からなかった。といってもつい先日、今回のリメイク版の前にと初めて観た程度で、そう何度も観てはいないので取りこぼしてしまったものがいくつかあるかもしれないのだけれど。それでも初見の感想としては、「これ一体何の話だったんだろう?」と。黒沢清作品が明確なアンサーを出さないのはよくあることなのだが、『蛇の道』に関しては高橋洋の脚本がかなりトリッキーであるように思えた。尺を短くするために敢えて色々なシーンを切ったという話も見かけたのだが、それにしても説明が足らないような気がしてしまった。香川照之演じる宮下の復讐をサポートする新島は一体何者なのか…という点に主軸が置かれていながら、そこを敢えてぼかしている。新島は数学塾講師でもあるのだが、そこでは「世界を書き換える数式」の話もされていて、2度描かれる(しかも印象がまるで違う)宮下との出会いのシーンでも、その数式が登場する。つまり観念的な物語であることが示唆されており、目的が分からないながらに宮下に協力するこの新島は、ともすれば超常的な存在にさえ見えてくるのだ。『リング』の脚本を書いた高橋洋なら、そういったことをやりかねない。ただ、物語自体に超常的な要素が絡む部分はないのに、そうとも受け取ることができるという作りが、自分には合わなかった。逆に超常的なことは一切関係なく、単なる復讐劇と考えると、数式のシーンの意味があまり分からなくなってくる。あれこれ考えても映画の中に答えはなく、作り手がアンサーを述べている文献やインタビューも見つからなかったため、これに関しては観た者の解釈に委ねられているのだろう。ただ自分としては、その不親切さゆえに面白味を見出せず、考えることを放棄してしまった。

 

そんな前段階だったため、リメイク版も「もしや寝てしまうのではないか…」と不安に苛まれながら鑑賞したのだが、これが大当たり。多くのサイトでは「オリジナルとほとんど変わらない」と書かれていたが、自分のイメージとしてはかなり違った。というか、まるで別物である。舞台がフランスに移ったり主人公が女性に変わったりという点はもちろんなのだが、精神性としても「終わらない復讐」に焦点が当てられていて、かなりテーマも明確になっているように感じた。物語の曖昧さも程よく、自分の好きな黒沢清映画の雰囲気となっていて、オリジナルよりもかなり楽しむことができた。ここからはネタバレ込みで感想を書いていきたい。

 

舞台はフランスになったが、物語のスタート地点はそう変わらない。オリジナルの宮下はフランス人のアルベールとなり、娘を殺された彼の復讐に柴咲コウ演じる新島が手を貸すシーンから始まる。オリジナルはヤクザものOVということもあり、アンダーグラウンドさが際立っていた。そのザラついた質感によって、復讐の泥臭さや彼等の行いが密やかで醜悪なものであることも強調されていたが、パリの風景の中で新島達の復讐劇はどこか高尚なものにも見えてくる。これは自分が日本人であり、フランスの街並みに非日常感を抱いてしまうのもあるだろうし、オリジナルのヤクザではなく「財団」という一見クリーンな組織の闇を暴こうとする物語に置き換わっているのもあるだろう。ストーリーの変化に関して黒沢清映画秘宝やパンフレットのインタビューにて、「フランスにはヤクザは似合わない。高橋洋の初期案はカルト宗教だったが、そういった団体を悪にはしたくない。また、凌辱というものを描くのもあまり好きではない」という旨を語っている。オリジナルでは少女は強姦されていたが、今回は臓器の人身売買の犠牲者となったという設定に変更されていた。とはいえただ単にセリフを変更しただけでなく、財団の倉庫に子供の体の一部が瓶詰めされていたりと、物語の中核を担う要素になってきている。

 

オリジナルとの差異を挙げると結構キリがないのだが、その改変によって「終わらない復讐」という意味合いがかなり強固になっている。一番の変化は主人公の新島だろう。哀川翔から柴咲コウになり、アーノルドや財団の人間達と比べると明らかに小柄になったことで、その異質さはより際立っていた。柴咲コウの冷たい瞳がとにかく印象的で、何もしていないのに恐ろしく見えてくるから不思議である。「何を考えているか分からなくて怖い」のではなく「全てに何かの意図がありそうで怖い」という感じ。実際彼女の行動理念は終盤までよく分からず、観客を次々に翻弄していくのである。そして新島の職業も、数学塾講師から精神科医に変わっていた。ホラー映画では精神科医という立ち位置はありがちなのだが、『蛇の道』ではこのシーンが非常に重要な意味を持っている。病院のパートでしか登場しない患者の吉村(西島秀俊)とのシーン。この吉村の「こういう話し方する人いるよな…」というリアルな質感も凄い。しかしそれだけでなく、新島が吉村に向かって放った「本当に苦しいのは終わらないことでしょう?」というセリフが、この映画の全てなのではないだろうか。その後吉村は終わらない苦しみから逃げるために自殺する。そんな彼の妻に新島は「天国で安らかに眠っている」というような優しい言葉をかけるのである(細かい台詞は忘れてしまった…)。

 

これは逆に言えば、新島が辿り着けない境地なのだ。彼女の復讐は決して終わらない。復讐をしたところで彼女の娘は戻ってこない。黒沢清も今回のリメイクで復讐の悲劇性を描きたいということを語っており、実際その悲哀がかなり強くなっているように思えた。しかしこの映画で描かれるのは「復讐は何も生まない」などという偽善的な理屈ではなく、「復讐に憑りつかれてしまった者の苦しみ」である。復讐の是非を問うような立場ではなく、そうするしかなかった者の生き方をミステリーチックに描いていくのだ。だからこそ彼女の生き様は重苦しい。娘を失うことさえなければ平穏に生きられたはずなのに、奪われたことで復讐しか道がなくなってしまったのである。復讐が終わっても娘が戻ってくるわけではない。「本当に苦しいのは終わらないことでしょう?」という問いは、彼女の精神性そのものを表したセリフだと言える。

 

そう考えると、オリジナルと同じ新島がアーノルド(宮下)に対して最後に言うセリフの意味も明瞭になってくる。「あんたが一番嫌いだ」というセリフが指しているのは、復讐を遂げて全てを終わらせた気になっているアーノルドの心情なのだろう。娘を殺されるという同じ痛みを持っている者同士なのに、アーノルドはどこか新島を信奉し愛情を抱いているかのように寄り添ってくる。彼は辛い時に突然新島の手を握ってきたり、新島の言う通りに動いて翻弄されていくのだ。実際監禁した男達に新島が嘘の犯人の名前を出させた時にも、アーノルドは疑いもせずその流れに従ったのである。復讐としては同じでも、新島とアーノルドの見据えているものはまるで違う。何ならアーノルドは自らの妻を手にかけて復讐を終わらせることで、英雄性までも手に入れようとしていたのかもしれない。冒頭で「あんたのおかげだ」と感謝してくることさえも、新島としてはアウトだったのではないだろうか。精神科医としてのパート、そして青木崇高演じる旦那とのビデオ通話のシーンで、オリジナルよりも新島の心情は深く描かれている。そのために彼女の心模様は観客にも分かりやすく、彼女が最も嫌う人物像がアーノルドであるというのにも共感できるようになっているのだ。オリジナルでは唐突で意味深だったこのセリフの意図が、丁寧に1本の映画で紡がれていると言ってもいい。

 

もちろんオリジナルが全く同じ意図を持っていたかどうかは分からない。何より今回黒沢清監督は「この物語を復讐劇として、悲劇としてもう一度映画化してみたい」という旨のことを語っており、今回の脚本はその意味合いが強調されたとも捉えることができる。ただ、観念的で地に足のつかない物語だったオリジナル版よりも、一見ミステリアスな新島の心の闇に寄り添えるようなこのリメイク版のほうが、私の好きな手つきだった。黒沢清は9月にも新作の公開を控えている。そちらは完全にオリジナルのようなので、より濃度の濃い黒沢清を浴びることができるのであろう。非常に楽しみである。

 

なお、今作に関しては黒沢清柴咲コウのインタビューが各種サイトで読めるため、映画に感激した方はぜひいろいろと読み回ってほしい。

 

www.cinra.net

 

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