特撮『ナンバーワン戦隊ゴジュウジャー』第1クール目感想 「毎週わちゃわちゃ」の嬉しさ

スーパー戦隊シリーズ ナンバーワン戦隊ゴジュウジャー Blu-ray COLLECTION 1 [Blu-ray]

 

 

『ナンバーワン戦隊ゴジュウジャー』に完全に心酔してしまっている。日曜朝が訪れるのが楽しみで仕方がない。こんな視聴感はなかなかないだろう。よく考えると、というかよく考えなくても「ナンバーワン戦隊」の時点でだいぶ凄いネーミングセンスをしている。これまでの48作品(戦隊は49)でずっと漢字だった部分に堂々と「ナンバーワン」を掲げる無法者っぷり。既存の価値観に収まらないんだぜという気概をひしひしと感じる、まさに「はぐれ者」な番組名。それでも「ゴジュウジャー」の部分は他の戦隊と比べても「まあ、普通だな」と思ってしまうくらいスーパー戦隊の歴史は深い。50周年だからゴジュウジャー、非常に妥当である。なぜなら「5人揃ってゴレンジャー」だし、「9人組のキュウレンジャー(最終的に12人になる)」もいるし、王様戦隊の「キングオージャー」までいるのだから、50周年記念作品は「ゴジュウジャー」に決まっている。そんなバカみたいな言葉遊びを直球で出来るシリーズの懐の深さに改めて感動しつつ、記念作品と言いながら、既存の東映特撮ノウハウをフル活用して更に新たな段階へと推し進めているこの「ナンバーワン戦隊ゴジュウジャー』がとにかく愛おしくて堪らない。今現在12話まで放送されており、ちょうど1クール目が終わったタイミングということもあって、ここで一旦感想を書いておくことにした。と言いつつかなり雑多にあれこれ思ったことを書いてしまったので、読みづらさについては申し訳ない。

 

 

 

 

 

 

 

・脚本

正直、『ゴジュウジャー』という番組のどこに一番感動しているかというと、「脚本」の一言に尽きる。メインライターの井上亜樹子による独特で破天荒なセンスに振り回される、究極のジェットコースター体験。これこそが自分の中での「ゴジュウジャー好き」を支えている最大の要因と言っていい。スーパー戦隊初参戦のはずなのに堂々とメインライターの座を射止め、50年の歴史をかき乱す王者っぷりに恐れ入る。『仮面ライダーガッチャード』の時も、序盤からふざけ倒す割に何故か最後はシャキッと襟を正してしっかりドラマで魅せるタイプの作劇が輝いていたが、その手腕は今作でも見事に発揮されている。

 

世間の彼女への印象は、やはり井上敏樹の娘という肩書が強いだろう。自分は過度に彼女をその枠組みに押し込んでしまうことは、個人を冒涜するようであまり好きではないのだけれど、当の本人の作風があまりに井上敏樹なのでもうさすがに笑うしかない。平成ライダーを支えたどころか屋台骨を作ったと言っても過言ではない父親の遺伝子をしっかりと受け継ぎつつ、エッセンスには父親にはない柔らかなニュアンスが垣間見えたりして、自分にとって『ゴジュウジャー』はかなり面白い視聴体験になっている。これに関しては松浦Pがインタビューで下記のように話していて、かなり納得した。

 

大先生と亜樹子さんが似ているとは思いませんが、ただ、亜樹子さんは幼いころから、ものすごい読書家なんです。それって、同じく読書家である井上敏樹さんの下で育ったことが大きく起因しているとは思うんです。名作文学、近代小説から漫画に至るまで、膨大な本が身近にある環境で育っている、そこがすごいところだと思います。 単なる血縁関係だけで類似点を決めつけるのは、楽なモノの観方であまり好きではありませんが、「環境」での類似点はある気がしていますね。おそらく、井上敏樹さんのホンは読んでなくても、井上敏樹さんが読んだ本はたくさん読んでいるはず。亜樹子さんの人間的深みというのは、そんな常人離れした読書環境にあるでしょうし、そこが「武器」なんだなって感じています。

 

 

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確かに、同じ環境で育った人間ならば、作風も自然と似通っていくのかもしれない。親子共に、いわゆるホビアニキッズアニメの持つ独特な豪快さで強引に話を運びながら、気付いたらしっかりとドラマが構築されている。『ゴジュウジャー』では熱海常夏と吠が戦う第6話や、吠が戦う理由を手に入れる第9話、昭和から令和までを生きた禽次郎が昭和ノーワンとの戦いの中でアイデンティティを見出す第10話、この辺りはとにかく泣かされた。

 

自分は『ゴジュウジャー』はかなり『暴太郎戦隊ドンブラザーズ』に似ていると思っているのだが、それは井上親子が理由というよりは、プロデューサーや監督、スタッフほかの座組がほぼ同じで、番組自体が目指すノリも近いことが関係しているのかなあと考えている。物語の連続性やお話の深度よりも、とにかくキャラクターと明るいノリを重視する作風の一致が、自然と3年前のカオスを想起させてくれるのだろう。『ドンブラザーズ』は歴代トップレベルで好きな作品なので、似た作風の『ゴジュウジャー』は現時点かなり自分の中で好印象になっている。

 

ギャグやくだらなさの物量で勝負する作風もそうだが、何より「毎週なんか30分わちゃわちゃしている」という感覚がずっと根底にあるところがとにかく嬉しい。正直、1回の視聴では全然意味が分からなかったり、ほとんど内容を記憶してなかったりすることもある。細かい笑いを拾っていったせいで物語が全然頭に入ってなかったという回もあるのだ。この感想を書くにあたって改めて観返して、「あ、そういうことだったんだ」と事前の仕掛けや設定面でかなり腑に落ちたりする場面も多々あって、いい意味でも悪い意味でも「初見では理解できない」番組になっているのだと思う。それは逆にストレートなストーリーを期待する視聴層の反感を買うことになってしまうのだけれど、それでも『ゴジュウジャー』が意図して「わちゃわちゃ感」を重視しているというのが、とにかく自分の感性と合っていて嬉しい。もっと言うと、この「わちゃわちゃ」の出し方も作品なりに個性があったりして、自分は平成仮面ライダー2期がやっていたようなコミカル描写が全然受け付けないのだが、『ゴジュウジャー』にはそういう演出はあまりないのでかなり助かっている。

 

これは脚本に限らないが、「30分わちゃわちゃする」という雰囲気をキャスト・スタッフ一同が大切にしている部分こそ、自分が何より『ゴジュウジャー』を楽しめている理由なのだろう。正直物語を理解できていなくても曲解してしまっていたとしても、日曜朝の30分何だか楽しい気持ちになれるというその1点だけで心が突き動かされてしまう。まだ1クール目だが、どうかこのスタイルを最終話まで貫いていってほしい。

 

 

 

 

 

・遠野 吠

スーパー戦隊シリーズにおいてレッドのキャラクターというのは主役なので当然非常に重要なキャラクターなわけだが、今作の遠野吠はかなり自分のツボにハマったキャラクターだった。一匹狼ではぐれ者、バイトを始めても全然続かずクビにされてばかり。愛想もないし自信もない、それでも不器用なりに優しさを持っている。『仮面ライダー555』の乾巧を彷彿とさせるというか、もはやほぼ乾巧だろというキャラ造形。ウルフなのも絶対狙ってる気がする。彼を演じる冬野心央さんも、決して演技が達者というタイプではないのだが、各種インタビューを読むともう精神性がかなり遠野吠とシンクロしていて、早くも「吠を演じられるのは彼しかいない」という唯一無二のオーラが放たれている。

 

自分は結局不器用で自信がないヒーローが大好きなので、彼の人とどう接していいか分からずに社会不適合者となってしまっているキャラクターにはかなり好感が持てた。そしてその性格は、幼い頃にノーワンワールドに連れ去られ、異世界で逃亡生活を強いられていた過去に由来している。ノーワンとの一体化を防ぐために願いを持たず生きていた彼が、「願いを叶えるための戦い」に巻き込まれる奇妙な運命。兄であるクオンの言葉にショックを受けて、一度は指輪を捨てて戦いを放棄してしまうも、ライバルであるファイヤキャンドルの言葉で、自分にとって戦うことが社会と向き合うことであると気付く。

 

ヒーローものは基本的に「人を救う」というテーマが根幹にある。そこに対して「悪は本当に悪なのか?」とアンチテーゼを掲げた作風も今では珍しくない。というか、東映特撮に馴染んだ人間ならむしろ食傷気味でさえあるテーマと言えるだろう。しかし『ナンバーワン戦隊ゴジュウジャー』は、人々の救済をメインには据えていない。ノーワンに取り込まれた人を救い、戦いに巻き込まれた人々を助けるという目的や結果もあるが、それがこの作品、そしてゴジュウジャーメンバーの全てではないのだ。叶えたい願いがあり、そのために指輪を集める。そして戦う力を得たからには、時として周囲の人々を助けることもある。そんな妙な距離感。利己的でありながら他者に手を差し伸べるちぐはぐさと、そんなキャラクターが織り成す奇妙だがなぜか感動できてしまうドラマは、これまでのスーパー戦隊シリーズにはない視聴感をもたらしている気がする。少なくとも自分はそう感じている。

 

そして、そのドラマの中心となるのが遠野吠なのだ。願いも夢もなく、両親は新しい子ども達と前に進んでしまい、信頼していた兄とは敵対する運命の中で、ナンバーワンバトルという奇妙な戦いを通じて、彼が自分の願いを見出していくのがこの番組の核なのかなと思うと、ますますここからのシナリオに期待してしまう。遠野吠、もうだいぶ好きになってきているので願わくばこれからも周囲にどんどん裏切られていってほしい。クオンと久々に再会した時の嬉しそうな顔と、彼の本性を知った時の絶望的な表情の落差が本当に良かったので。

 

 

 

 

・感想が全然まとまらない

感想記事のくせに、『ゴジュウジャー』の好きなところがとにかく多すぎて感想が全然まとまらない。一番は井上脚本で、次が遠野吠というキャラクターなのだけれど、それ以外にも山ほど好きなところがある。元アイドルの陸王のナルシストっぷりは本当に観ていて楽しく、印象的なキャラソンのイントロが流れてきただけでブーケ嬢と同じようなリアクションになってしまう。全く自信を持たない吠とは対照的に、「僕は顔の次に耳が良いんだ」なんてセリフを平気で言える陸王。自信たっぷりの男だが、それを裏付ける努力もきちんとしており、時には人を騙すこともあれど、何だか憎めないキャラクター。角乃が追っている「灰色の目の男」と意味深に示唆されているが、個人的には精神的に明らかに真逆な吠とのコンビをもっと観たいなあという気持ちが強い。

 

あと暴神は「いやさか」がとにかくいい。キャラソンの『テガソード讃歌』で「い~や~さ~か~」と歌われた時にはそんなに気にしなかったのに、最近は口癖がもっぱら「いやさか」になってきていて、「いやさか」が出る度にニヤニヤしてしまう。戦闘中に何かを頼まれて相槌が「いやさか」の怪力男、こういうバケモンみたいなもりもり設定に弱いのでもうかなり好きなのだが、次回第13話でようやく彼の過去がピックアップされるらしく期待が高まる。節々で家族との確執が示唆されていたが、まさか家政婦がレッドレーサーになっているだなんて…。

 

禽次郎はやはり3話ラストでの正体バレが本当に凄い。よくぞここまで変な設定を隠し通したなあと。あの瞬間に、この番組スタッフのサプライズの方向性が自分に合ったことを認識しただけでなく、サプライズの実力が裏打ちされたような気がする。突如現れた新メンバーが変身解除した途端に見たことないおじいちゃんだったなんて悪夢みたいな視聴体験はそう何度もできるものではない。正直事前に発表されていた「パーリーピーポーを目指す高校生」という禽次郎の設定は、自分的にかなり嫌で。そもそもパリピのノリが嫌いなので、どう調理されようともパリピを前面に押し出すキャラがヒーローにいるのはなあ…なんて勝手に苦手意識を持っていたのだが、おじいちゃん設定でもうどうでもよくなってしまった。役者さんも若いのに何故かおじいちゃん演技が板についていて、「パリピになりきれていない」という可愛らしさがかなりマッチしている。4話の家族との別れの回も、10話の昭和バトルの回も自分は落涙してしまったので、禽次郎の回はかなり打率が高い印象。

 

角乃に関してはまだかなり痛々しいイメージがあるのだが、井上亜樹子氏によると「港区女子」のイメージで描かれたキャラクターらしく、劇中では言わないまでも平気でこのモチーフを出してくる辺りに彼女の素のヤバさみたいなものが感じられる。パリピ港区女子がいる戦隊なんて、普通は思いつかないだろうに。彼女はそもそも困っている人を救いたいというヒーローとして真っ当な願いを持っているので、5人の中では一番ヒーローなのだろうなと思っている。元警察の設定は前作にもいたのに平気で出す辺りが『ゴジュウジャー』。個人的には角乃自体の設定よりも、テガソードブラックのバトルスタイルやフォルムに感動している。漆黒の騎士といった出で立ちでケンタウロススタイルにも変化し、ドリルで敵を貫く漢気に満ち溢れたスタイル。それでいてスーツアクターさんの賜物なのか、どこか品性を感じる、荒々しさのない立ち居振る舞い。女性メンバーに「女性っぽくない荒々しさ」をギャップで付与するパターンを正直見飽きているので、モチーフ等に他メンバーと遜色ないものを使いつつ、おしとやかさを表現して男女の垣根を超えた「一人のキャラクター」として描写する手腕がとにかく素晴らしい。

 

 

 

 

と、ゴジュウジャーメンバーについて簡単に書いてきたのだが、やはりユニバース戦士という当番組最大の特徴にも触れていきたい。ほぼ毎回追加戦士が出てくるような豪華さで、個性の強い人々が次々と過去作品のレッドに変身していく。松浦Pは上記に紹介したインタビューで、この番組は「彼等を現在進行形のキャラクターに生まれ変わらせなくてはならない」という語っている。要は、既存の作品ファンを喜ばせるのではなく、新規ファンを取り込むために50年の歴史を大胆に利用しているのだ。過去作品を知っていれば楽しい小ネタもあるし、逆にキャラの扱いに悲しむようなこともあるかもしれない。だが、製作陣が目指しているのはファンウケではなく、ゴジュウジャーという番組を引き立てること。そうした割り切った作風はかなり好きなので、これからも続けていってほしい。熱海常夏は追加戦士で戻ってきてもいいくらい好きだし…。

 

ただ、苦言を呈するなら自分は第12話がかなり苦手だった。この回は第11話に続き坂本監督が担当していて、ゲストで登場した轟の変身するガオレッドに寄せたエフェクトやアクションが展開されていたのだが、自分がこの番組に求めていたのはこれではないなあと。ガオレンジャーは世代ど真ん中で、パワーアニマルの玩具もほぼ家にあったくらい自分にとって深い思い出のある作品だし、ガオメインバスターだけでなくファルコンサモナーまで出してくれるのは本当に嬉しかったのだけれど、やはり自分が観たい『ゴジュウジャー』はこんなまともな過去作リスペクト番組ではないのである。もっと頭のネジを外してほしい。

 

また、第12話は井上氏ではなく『爆上戦隊ブンブンジャー』も書いていた樋口達人脚本だったのもモヤモヤに起因している。第11話はかなり面白く、さすがアイドルアニメを手掛けていただけあって陸王の台詞回しが本当にツボだったのだが、打って変わってシリアスモードのストーリーにシフトした第12話は全然楽しめなかった。ネットで検索すると逆に第12話だけは楽しめたみたいな人も多かったので、やはりこれまでと比べて毛色の違う回だったのかなと思っている。自分的には『ゴジュウジャー』には独自の路線を突き進みずっと無法っぷりを発揮してほしいと思っているので、過去番組リスペクトや落ち着いたエピソードはそこまで嬉しくない。あくまで好みの話なので、第12話に感動した人の気持ちにまで喧嘩を売るつもりはないが。

 

とはいえ、座組によっては真面目に過去作リスペクトもできるということが証明されたエピソードではあると思う。つまり『ゴジュウジャー』は結構何でも屋になってきており、そういう意味ではスーパー戦隊らしい作品と言えるのではないだろうか。ほとんど一人の脚本家に任せた『ゼンカイジャー』~『キングオージャー』辺りはかなり個性的で、「その人にしか出せない味」で視聴者の心を掴んでいた。だからこそ『ブンブンジャー』で多くの脚本家が分担した構成は逆に新鮮に感じられ、バラエティ色豊かな作品が出来ていたと思う。『ゴジュウジャー』もやはり癖の強い井上脚本だけでなく、多くの人々の力を借りて一年間を駆け抜けていくほうが、よりファン層の拡大にはつながっていくのではないかなと。井上脚本が視聴の一番の理由である自分にとってはちょっと何とも言えない話なのだが。

 

玩具を買わないと決めた自分でさえDXテガソードには手を出してしまいそうになるくらい、1クール時点でこの番組に心を奪われているわけだが、このテンションで1年間続いてくれるのだろうという安心感があり、毎週がとにかく楽しみで仕方がない。謎解きや伏線回収が番組のメインでないということは、テイストや雰囲気で勝負しているということでもある。ミステリー要素で視聴者を釘付けにする番組だと、種明かしに「なんだこんなもんか…」とガッカリしてしまうことも多いのだが、『ゴジュウジャー』はそこをメインにしていないために安心して観ることができるのだ。話がどう動くか分からないとか、この物語がどこに行き着くのか分からないとか、そういう大きな流れによる輝きではなく、毎週毎週の楽しさをウリにしているというのがとにかく嬉しい。思えば『暴太郎戦隊ドンブラザーズ』の時もそうだった。1週間が楽しみになる番組という意味では、両者はかなり近く、実際作り手もそれを目指していることが窺える。

 

Xで検索すると「ゴジュウジャー つまらない」とサジェストに出てきて結構驚いたのだが、そりゃあ好き嫌いはあるよなあと。ただ、自分はこの手の作風が大好きなので、ぜひこのテンションで残り9ヶ月突き進んでいってほしい。ゆくゆく出るであろう本当の追加戦士もかなり楽しみにしている。