映画『炎上』評価・ネタバレ感想 平凡な筋書きと過剰なポップさ

 

長久允監督によるトー横キッズと呼ばれる人々を題材にした、森七菜主演の映画、『炎上』。大ヒットが確約されている名探偵コナン新作と同日に公開のため、私の最寄りの映画館では初日から1日1回上映に追いやられてしまっていた。ポップな予告編、森七菜の顔面が淡いピンクに照らされたポスター、トー横という題材、それらからてっきり若者ウケを狙った作品だと思っていたが、劇場ではどちらかというとご年配の方々が多い印象。限られた上映回数や土曜日の昼間という時間、若者はそもそもコナンへという理由もあるかもしれないが、客層にまず驚き。私の右隣に座っていた年配の男性が座った瞬間から足を広げ、上映中もずっと「つまらないな」「失敗作だ」「なんだこれ」とぶつくさぶつくさうるさい、お前を炎上させてやろうかと思うくらい最低の人間だったのだが、私の映画の感想もその男性に近い。長久監督は実際にトー横キッズと呼ばれる人達にも取材(軽い質問を投げて親密度を積んでいく程度のものだったらしいが)を重ね、そもそも映画を作った動機も、トー横キッズがニュースやSNSで一面的に取り扱われることに違和感を覚えてだったという。そこまでの熱量がありながら、完成した作品にはあまりパワーを感じられなかったのが残念。切り口は社会派ながら、おそらく監督の持ち味であろうポップな味付けが題材とうまく絡み合っていない印象を受けてしまった。

 

冒頭やネットで読めるあらすじで、ある少女が歌舞伎町で火災事件を引き起こすということが示唆されている。もちろんそれは主人公のじゅじゅによるものであり、つまり映画は「彼女がなぜそのような凶行に走ったのか」が描かれるという内容である。要は、映画のゴールが決まっているのだ。カルト宗教にどっぷりで、じゅじゅの吃音を咎める度に「連帯責任だ」と妹も含めてベルトで背中を何度も叩く暴力的な父親。姉妹は何度も神に父親が死ぬよう祈り、その祈りが通じたのかある日父は突然死する。しかし今度は母親が暴力的になり、宗教の会合で歌唱中にじゅじゅは妹を置いて1人こっそり抜け出し、トー横へ辿り着く。そこで出会った面々の自由さに心を打たれ、いつしか彼女にとってトー横が新しい居場所になっていく。ODで施設に入れられるも、そこで出会った足の悪い少女・三ツ葉と親しくなり、施設を抜け出し彼女は再びトー横へ戻る。パパ活で金を稼ぐホスト狂いの三ツ葉に唆され、じゅじゅもパパ活に手を染め、1000万円を貯めて妹を救い出すことを決意する。

 

吃音を咎め、娘を出来損ない扱いし、挙句の果てに鞭で何度も叩くようなクズ父親の描写から映画が始まるおかげで、ある意味安心できる。この映画は絵空事でない現実の厳しさや息苦しさを描くことが冒頭で示され、その分観ているこちらにも緊張感が走る。そしてそれらはパパ活などの性描写や、紙パックに睡眠剤を入れて「青くなるんだ。魔法みたいでしょ」という幼稚な感想、薬物の濫用による自殺などなど、重苦しい描写のオンパレードによってどんどん加速していく。じゅじゅが一瞬でも幸せだと錯覚したトー横は、実際には人間の汚い部分が混ざり合った地獄のような場所だったのである。

 

この映画の構造はかなり単純で、家族から逃げたじゅじゅが、行き着いたトー横に自分の幸せを見出しここで生きていくことを決めたものの、人に騙され悪用され穢され、「炎上」という凶行に走るまでを描いている。要は、上げて落とす、映画である。それほどストーリーラインが単純ならば当然、「如何に上げるか」と「如何に下げるか」に期待するのだが、その上げと下げの描写が自分にはまったくしっくりこなかった。じゅじゅはトー横キッズの自由奔放さに幸せを見出し、自分と同じく障害を持った三ツ葉に親近感を覚えていたが、それらはこれまでの生活になかったものなのかがそもそも疑問。家庭環境が劣悪だったことは描かれたものの、あの年齢なら学校にも行っていたはずで、学校に彼女の居場所がなかったのかどうかは語られない。厳格そうな父親なら中卒や不登校ということは考えられないが、きちんと学校に通っていたのならトー横キッズにすぐに親しみを覚えるのは違和感がある。もちろん描かれなかった部分は想像で補うしかなく、じゅじゅが吃音故に学校生活でも孤立していた可能性はあるのだが、だとしてもそうした違和感を持たせてしまうタイプの映画だったことは否定できない。実際家庭が嫌になってトー横に身を寄せてしまう子もいるのかもしれないが、じゅじゅの場合は「何かしれっとトー横に入っていったな」という印象を持った。

 

何が言いたいかというと、彼女がトー横を自分の居場所に感じる理由があまりに弱いのである。吃音を咎められないのは嬉しかっただろうし、何も押し付けられず暴力が存在しない(ように見える)世界は彼女が何よりも望んでいたものだっただろうが、それは別にトー横でなくても存在する。以前からトー横に憧れを持っていたとか、そういう描写もないまま、じゅじゅが全く知らないKAMIを頼るのは違和感があった。親から虐待を受けているのだから警察や児童相談所に駆け込んでもいいはずだ。子どもだから正当な手順を知らずトー横に頼るしかなかったという好意的な解釈もできるが、自分はそうは思えなかった。

 

そして「上げ」の理由が弱いからこそ「下げ」の威力も弱い。三ツ葉と施設でよだれを垂らし合うような独特な交流の描写は面白かったし、予告編でも印象的だった「ただただチワワを見る時間」もかなり良かった。良かったのだが、じゅじゅと三ツ葉の仲を決定づけるには物足りない。彼女達の根底にあるものをもっと吐き出すような瞬間が見たかったし、それによって分かり合えるようなカタルシスも欲しかった。結局のところ、じゅじゅはこの映画で流されてばかりなのである。家出こそ自分の判断だが、トー横に来てからは人に言われるがままで、俯瞰的な視点を持たず他人を信用するからこそ金を奪われ、その絶望ゆえに歌舞伎町への放火に走る。だが「下げ」の描写も「そりゃそうだろ…」と思うようなものばかりで、ショックではあるが驚きはなかった。KAMIなんてハナから信用できないし、1000万なんて大金をコインロッカーに預けるなんて危なすぎる。それに加え、堕胎やレイプ、ドラッグなど、記号的な胸糞悪さのつるべ打ちで絶望感を演出する描写が個人的に好かず。センシティブな話題を次々放り込んで感情を動かそうとする姿勢がきつかった。もっと描写やセリフで感情を動かしてほしい。

 

そして大人に蹂躙され利用され続けた馬鹿なじゅじゅが最後に報復に至るという筋書きなわけだが、ここもスローモーションや敢えてチープなVFXを多用しているのが気になった。「彼女が歌舞伎町を燃やす」は映画の冒頭から分かっていることであり、時間を費やす必要はない。ポスターにもデカデカと「なぜ、彼女は歌舞伎町に火をつけたのか。」の文字が躍っているが、別に大した理由ではなく、順当な心の動きの先に凶行があっただけなのだ。意外性がまったくないのである。歌舞伎町を燃やすことが父親への逆襲であることもあんなにじっくりと演出で描かなくていいと思ってしまった。単純に、退屈。また、全編を通してラメ付きの光る文字やじゅじゅの心の声で状況や心情を説明するのも個人的には合わなかった。画面サイズをいじったりと面白い演出もたくさんあるのに、どうして感情をくどくど説明してしまうのか。三ツ葉をバイブで殴りつけるじゅじゅの姿が父親に重なるのも、ちょっと監督のドヤ顔が透けて見えてしまって苦手。長久監督の作品は初めて観たのだが、そもそも自分には合わないのかもしれない。

 

しかしセンスが光るセリフはいくつかあった。父親の死後暴力的になった母親をアリに例えるモノローグや、三ツ葉の「ベートーベン流しとけばいいと思ってるんだよ。大人なんてクソだ」みたいなセリフはすごく良かったし、きっと監督の素が出ているような気がする。だからこそポップで一見サブカル的な演出や題材を、もっとブラッシュアップした映画にしてほしかったなあと。新宿歌舞伎町を舞台にしたフィクションは多々あれど、トー横キッズを軸に据えた物語はなかなか新鮮で、観客を呼び込むフックとしてはかなり強いはず。それでいて貧困層の若者による売春や闇バイトなどの社会問題は、現代の日本人が無視できないレベルにまでのさばってしまっており、詳しく知らなくとも是正する必要を感じるもの。だからこそトー横キッズを題材にした作品自体は価値があると思うし、決して監督も雑に作ったわけではないと思うのだが、それでもどこか真剣味を感じられないというか、もっと強く社会性を打ち出したものだったら良かったなとないものねだりをしてしまう。

 

昨年公開された『サブスタンス』が私は好きで、この映画も、社会や周囲に踊らされ堕ちていく女性主人公の様を描くという意味で『炎上』と共通する部分があるのだが、監督のコラリー・ファルジャは当時のインタビューで「ラストにあれくらいやらないとこの映画のテーマは伝わらない」と、映画の結末を衝撃的なものにした理由を述べている。当時は「なるほどなあ」というくらいにしか考えていなかったのだが、この『炎上』を観ると監督の言葉はかなり正しかったなと。エンタメ度を高くし、観客の予想をはるかに裏切る地点まで連れていってくれれば、自然と映画の社会問題への目線も鋭く感じられる。そういう意味で『炎上』はテーマも描写も平凡で、ポップな演出でその平凡さを彩っているように見えるのだが、私にはメッキに思えてしまい、まったく合わなかった。