引越し先で出会った狂気に満ちた少女によって家族が狂わされるサイコスリラー的な映画だと思うのだが、どうにも自分には合わなかった。作品のテンポが冗長に感じられてしまったのもあるし、シーン単位でも驚かせてくれるものが少なかった気がしている。『ミスミソウ』で有名な内藤瑛亮監督の新作。自分は『ミスミソウ』は原作しか読んでいないのだけれど、『毒娘』もスプラッターかつ人間の悪意の恐ろしさを描いているのだろうと期待していたので、意外とゆっくり物語が展開していくことに面食らってしまった。ホラー展開よりも家族ドラマを描きたかったのだろうなということがすごく伝わってくる。ただ、予算の都合などもあるのだろうが、「ちーちゃんがヤバい」の見せ方が期待を全然超えてこなかったのでそこがすごく残念。新たなホラーアイコンになるくらい無茶苦茶やってくれることを期待していたのだが、「人を平気で傷つける異常者」レベルに落ち着いてしまっていた。
とはいえ、まずは佐津川愛美主演作が無事に公開されたことを喜びたい。2022年3月に公開予定となっていた初主演の『蜜月』が榊英雄監督の性加害問題によって公開中止となった時には、大して彼女のことを知らなくとも同情してしまったわけだが、今回無事に新たな初主演作品が世に出たわけである。とはいえホラー映画という特性上、ポスターには重要キャラクターであるちーちゃんと萌花しかいないのだけれども。それでも彼女が演じる萩乃が主人公であることに変わりはない。自分を見下す夫に対してただ従うだけだった彼女が、だんだんと自分の意思を表出するようになる。映画は萩乃の成長と夫の娘である萌花の心情の変化を行ったり来たりしながら進んでいく。
まずは萩乃について。
服のデザインを仕事にしていた彼女が一体どういう経緯で夫と結婚することになったのかは全く語られないが、義理の娘となった萌花との付き合い方について悩んでいる様子がよく分かる。公式サイトのあらすじでは「夢に見た幸せな家庭」などと書いてあるのだけれど、こちらからすればどう見てもギスギスしていることが伝わってくるのだ。そのくせ、夫に対しても要求を飲むばかりで強く出られない。デザインの仕事が舞い込んできても、夫に隠れて買い物終わりに公園で少しずつ進めていく。萌花がちーちゃんの狂気に導かれてしまうのに対して、萩乃は夫に気持ちをぶつけられるよう成長する真っ当な主人公だと思う。しかしこんな健気な女性が一体どうしてあんな夫と付き合って結婚してしまったのかがまったく分からない。夫のいい面が1つくらいあれば別なのだけれど…。強いて言えばご近所さんとのホームパーティで見せた人当たりの良さだろうか。結婚した後に態度が変わってしまったということなのかもしれない。実際この夫のせいで前妻(前妻のことを「前の」と言うのもなかなかパンチがある)がアルコール依存症に陥り事故で亡くなってしまったことが示唆されている。だが、その夫に対し萩乃が強く出られないターンが続く前半はかなり苦痛だった。ちーちゃんが豪快に暴れて家を荒らしても決して消えることのない退屈。夫へのヘイトは溜まっていくのに、夫に矛先が向くことがない。この焦らすような展開に苛立ちが募ってしまった。その後、萩乃は仕事を依頼してくれた女性の言葉に勇気をもらい、遂に夫に対して反抗するようになっていく。正直ここにも、「ちーちゃん関係なしに成長していくのはどうなんだ…」と思ってしまった。彼女が選んだ「子どもを産まない」という選択肢はとても良かったし、ようやく夫に牙を剥いてくれたのは嬉しかったのだが。新たな家で家族と共に新たな生活を営んでいこうとしていた彼女の心情の変化が、家族と関係ない人間によって決定づけられたように見えてしまったのが残念。
次に萌花。
実の母親との死別という壮絶な過去を持った引きこもりの少女。若さゆえなのか、彼女が明らかにおかしいちーちゃんに惹かれていく過程はすごく丁寧だったと思う。共感できる部分は少ないが、ちーちゃんと絆を育んでいくシーンには、全てを壊した父親を憎む気持ちやその父親に従ってばかりの萩乃を憐れむ思いが重なっていて美しい。家庭環境が不安定だからこそ、常軌を逸したちーちゃんに惹かれてしまうというのは僅かに分かる気もする。味方がいないという孤独感を募らせた彼女は、ちーちゃんの狂気の中に自分の居場所を見出してしまうのだ。最初は共にケーキを食べコーラを飲むだけだったが、プチ家出まで決行して水色のジャージを赤く染めたり、虫の死骸を仲良く煮詰めるたりするなど、彼女の行動はどんどんエスカレートしていく。その途中で、自分を助けようとしてくれた友だちをちーちゃんが襲うなんてことがあったにも関わらず、である。そしてこの襲撃シーンが自分にとっては白眉だった。水鉄砲でハチミツか何かをかけ、コーラのペットボトルに仕込んだ大量のスズメバチに攻撃させる。虫を使うという辺りに気持ち悪さが滲み出ており、陰湿だが効果的な攻撃で、その後に彼女の顔が腫れ上がったことも含めて最悪で素晴らしかった。
そんな彼女はちーちゃんと話すうちに段々と自身の本心に気づく。本当に憎んでいるのは萩乃ではなく父親なのだと。ちーちゃんもそんな萌花に共感したのか、2人は自宅に侵入し帰宅した父と萌花を襲撃。ちーちゃんがハサミで何度も父親を刺し、虫の死骸を煮詰めたエキスを注射し、最後は萌花が父親を刺し殺す。これにより、萌花の復讐は遂げられたわけである。そのままちーちゃんとの戦いに移り、彼女を階段から突き落とすものの、次の瞬間彼女はどこかに消えてしまっていた。萌花とちーちゃんの関係は歪な友情であったものの、最終的には萌花がその異常性に気付き彼女を倒すという流れ。そこに気づけたことの背景には萩乃との交流があったのだろうが、決定打には欠けるような気がする。ちーちゃんと関わり堕ちていく姿が、どこか救済されるようでもあって美しかっただけに、急激な方向転換にげんなりしてしまった。
そして今作のアイコンであるちーちゃん。映画では過去はほとんど語られなかったが、押見修造が漫画で描いているらしい。副読本としてちーちゃんへの理解が深まるのではないだろうか。
怪異ではなくあくまで狂った少女であるため、突然消えたりということはできないが、真っ赤な服と長い髪でしれっと画面に映っているのはなかなかインパクトがある。ちーちゃんの両親も手を焼いているようでどこか他人事なのが凄い。謝りに来たのに堂々とトイレを借りる神経の図太さ。反省していないんだろうなという以前に、この両親おかしいだろという気持ちが湧き上がる。
ちーちゃんが萌花に対して何を思い接触したのかは語られなかった。同情だったのか、新しい玩具を手に入れた子どものような気持ちだったのか、好奇心だったのか。常人の理解を超えたところに彼女の心はあるのだろうが、それにしては行動にインパクトがないよなあと思ってしまった。あの服装と髪型で人の家に侵入し器物破損を繰り返し、時に暴力を振るう。人殺しも平気で行う。実際にいたら異常者なのだけれど、映画として観るとどうにもインパクトが弱い。多分元々育ちのいい女の子があのケーキの食べ方をしたら怖いのだが、そもそも異常な人間がやりそうなことなのであまり面白味を感じなかった。「異常者」という肩書きが独り歩きしてしまっている感じ。ギャップが生まれずそもそも異常行動ばかりなので、どうしても魅力的に見えないのである。何かああなった背景を感じさせてくれる描写があれば別だったかもしれないが、それを描くのも野暮なのかなあとは思う。個人的には映画のアイコンとして機能するはずのこのキャラクターに対し、派手さに欠けるなという印象を持ってしまった。その部分で映画に対しても大きくマイナスイメージがついてしまったのである。
あとはリアリティ。萩乃、頼むからすぐに警察を呼んでほしい。最初のちーちゃん侵入で警察を呼ばなかったことも恐ろしいが、夜に夫に「明日警察行ってくる」と伝えて止められ、そのまま過ごしてしまうのも酷い。どう考えても警察に行くべきであり、何なら夫がどうして警察に行かせないのかも意味が分からない。萩乃も汚されたカーペットなどを昼の間に片付けてしまうし。普通に考えたらこんなの即警察案件なのに、ここでも夫への相談を優先する(の割にすぐ連絡などをした様子はない)萩乃に嫌気が差してしまった。いざ呼んだ警察もなんだかなあという対応で困る。すぐに逮捕ではないのだろうか。冒頭でちーちゃんにやられたらしい学生2人の件は把握しているのか。そういう部分でかなりモヤモヤしてしまった。細かい点が気になると、更に粗を探すようになってしまう。洗濯物を畳む萩乃がテレビで白黒映画を字幕で観ているのだが、普通こういう場合は吹き替えじゃないかと思う。いちいち目をやらなければいけない字幕をなぜ敢えて選ぶのか。あと、そういうクラシック映画っぽいものが好きなキャラクターにも見えない。浮いたシーンがあまりに多く、前半は映画への没入感がどんどん削がれていくような辛さがあった。
照明のわざとらしさもかなりキツい。日中の自宅のシーンはかなり明るく、どうしても違和感が残ってしまう。他にもせっかく印象的に出した虫エキスが、最後に夫に注射されるシーン。正直ハサミでほぼ致命傷だったのだから、注射はいらなかったのではないだろうか。嬉々として虫を煮詰める気持ち悪さにグッときただけに、あの扱いはかなり残念。
一番の悪は父親だったという流れに最終的には落ち着くわけだが、それも観ているこちらからすれば自明である。そもそも萌花の怒りの矛先が一旦萩乃に向けられたことのほうが疑問ではないだろうか。
良かったシーンはやはり萌花とちーちゃんが絆を育んでいくシーンで、あの場面はやはり2人とも本当に仲良くなれると考え、仲良くなろうとしていたのだと思う。だからこそ、彼女達の断絶や、2人を分つ決定的なものをもっと見せてほしかったなあ、と。その要因の一つが萩乃なのだろうけれども、それをあまり映画の中で感じることができなかった。
ちーちゃんというキャラクターに対してもあまり恐怖を抱けず。あれくらいなら、ズカズカ家に入ってトイレ借りようとしてくる父親のほうが怖かったかもしれない。父親は犯罪まではやらなかったが。
総じて、少々残念な印象を抱いてしまったが、押見修造の漫画を読めばまた違った角度から物語を楽しめる可能性もある。映画を楽しめた人も違和感を抱いた人も、副読本として読んでみてはどうだろうか。