『デジモンアドベンチャーtri. 第6章』感想

デジモンアドベンチャー tri. 第6章「ぼくらの未来」

 

遂に全6章を完走することができた。嬉しい。素直に嬉しい。あまり自分の好みの作風ではなかったためにかなり時間はかかってしまったものの、駆け抜けた今は開放感すら感じられる。

1度は完走したはずなのに内容はほとんど憶えておらず、今回デジモンを無印から改めて鑑賞し、tri.についても5章に渡って感想を書いてきた。向き合えば向き合うほど粗が顕著になってしまって、純粋に楽しむことが難しくなってしまう…そんな苦しみに直面しつつも、第6章まで進み、各種インタビューに目を通すことで、この作品のやりたかったことはよく理解できた。ただ、それでもやはり抱えるテーマの大きさに実力がついてこなかった印象である。インタビュー等を読んでいっても、そう間違ったことは言っていない。デジモンアドベンチャーの続編として作り手が提供したかったものには、むしろ共感さえ覚える。では、何故こんなにも自分はtri.に苦手意識を持ってしまったのか。それは単純に、「面白くないから」なのだろう。実際、これは自分の勘が鈍いのもあるのかもしれないが、第6章を観るまで、この作品が一体どういう方向に進みたいのか全く分からず、すごく苦しい思いをした。

 

焦らすのも良くないと思うので、tri.シリーズにおけるテーマ、進むべき方向性について語っていきたい。

 

これまでのシリーズではハッピーエンドでなんとかなりましたが、今作では太一たちがどうしようもならないものを受け入れる姿を描きたかった。

 

ムック本『デジモンアドベンチャーtri. メモリアルブック』にて元永慶太郎監督はこう仰っている。そしてこの一言に、tri.の作品のテーマが詰まっているような気がしている。第6章の台詞にもあったが、彼等はもう「選ばれし子ども達」ではない。成長し、自分自身で未来を選んでいく存在になったのだ。善と悪の境目がはっきりしている戦いとは違い、「何と戦っているのか分からない」状況で、自分なりに未来を選び取らなくてはならない。そして自分達の選択を受け入れ、前に進んでいかなければならない。だからこそ映画のトーンは重くなっていくし、無印にあったコメディ感は薄れていく。彼らはもう子どもではいられないのだ。

 

倫理的には間違った答えかもしれないが、最善手として自分の意志で間違いを受け入れるという結末。誰かの言われるがままに行動するのではなく、招かれる結果を引き受けた上で重要な決断を下す。これは無印での冒険にはなかったものであり、そういう意味ではtri.は見事な精神的続編と言ってもいいのかもしれない。作り手の目指す方向性が作品からしっかりと伝わってくるのはよかったし、全6章という変則的な在り方にも関わらず、最後までテーマを貫いた点は素直に評価したいところ。

 

だが、やはり感じてしまうのは「面白くなさ」だ。世界を守るために敢えて歪な選択を受け入れる彼等のほろ苦いラストは、私自身かなり大好物なのだが…。それに至る感情の動線がうまく引けておらず、結果的には「どうしてそっちを選ぶ?」と疑問を感じてしまった。そもそも陽性の物語である無印の続編に敢えてネガティブな結論を導かせるのなら、それ相応の演出と納得感がほしかったところ。第1章で戦うことに恐怖を覚えた太一を描いておきながら第2章~第4章までその葛藤をほとんど放っておき、第5章で急に彼が立ち直る。そして太一がいなくなったことで、今度は他のメンバーがその遺志を受け継ぐことになる。キャラクターから生気が一切感じられないような気持ちの移り変わりには全く面白味を感じられなかった。

 

デジモンアドベンチャー』は選ばれし子ども達とパートナーデジモンの絆で商売をしてきた作品と言っても過言ではない。作品の最大の武器であるこの絆、それを芽心とメイクーモンという新キャラにスポットを当てて、絆を断ち切り永遠の別れを子ども達がもたらすという悲劇的な結末でtri.は完結する。要は原作と真逆のことをやっているのだが、それ自体は「等身大の高校生」としての成長を太一達を通して描くという意味で間違ってはいないと思う。むしろ選ばれし子ども達という括りから彼等を外すことで新たな成長を促す作劇は非常に好み。だが、無印にとっての禁じ手をラストに持ってくるのなら、もっとそれに向けて準備をしてほしかったなと。各種インタビューを読むと結末はあらかじめ決まっていたようなので、ラストに向けての御膳立てが非常に稚拙な印象を受けてしまった。

 

太一がメイクーモンを殺すという判断に向けて動き出すならば、メイク―モンを殺して芽心と離れ離れにするということへの悲壮感をより一層強調できるようにしなければならない。それには当然芽心とメイクーモンの絆や彼女たちが楽しそうにしているシーンが必要になってくるが、素直にストレスが溜まるミミとの文化祭の件でそのノルマをクリアしたかのように描いているのがキツい。パートナーデジモンとの別れの哀しさを強調するべき流れなのに、リブートや脈絡のない究極進化のせいでテーマがどんどん霞んでいっていく。デジモンカイザーやインペリアルドラモンを投入してファンへの目配せをするくせに、肝心な物語自体はどうも輪郭を掴めない。「この作品は何がしたいんだろう」という疑問が第2章まで続き、リブート問題に直面する第3章~第4章はテンポについていけず、終盤へと向かっていく第5章には唐突な印象を受けてしまう。だからこそ本来テーマに真摯に向き合ったはずの第6章があっさりと終わってしまうのだ。

 

そもそも子ども番組である無印自体が、悪いデジモン達をパートナーとの絆で撃破していくという王道の面白味を積み重ねていく作風だった。おそらくは、そもそも根底の設定が全て事前にできていたわけではないだろう。玩具展開や視聴者の反応を見て、各エピソードの楽しさを積み上げていきながら、大きな流れが構成されていく。1話完結の面白さもあり、様々な脚本家を呼んだバラエティ豊かな作風が特徴的な作品である。tri.はその精神性に関してはしっかりと受け継ぐべきだったのではないだろうか。一応のカタルシスというか、悪いデジモンがいてそれを太一達が倒すという一定の心地良さに関しては担保した上で、本題の「未来を選び取る」へと物語を徐々に移行していくべきだったのだと思う。謎の黒いゲンナイが現われて、デジモンカイザーまで敵となり、02組の安否も不明なまま、感動ポルノのようなリブート編が始まる。展開が読めないというのは面白さに繋がることもあるが、tri.に関してはノイズが多いまま話が進んでしまっていた。1章分の90分で展開される物語に魅力を感じられなかったし、無印の1エピソードでこの何十倍もの面白さを持つ回だってある。それは偏に「分かりやすさ」からくるものだろう。そこをおざなりにしてしまったという意味で、全6章構成という長丁場なのにも関わらず、観客を置いてけぼりにしてしまっていると言える。物語が「太一達が自ら決断をする」という方向性に全然進んでいないのだ。

 

第1章は問題提起だからまだいいとしても、第2章のほのぼの感は明らかに浮いてしまっているし、第3章では子ども達が決断し切れないまま突然ヘラクルカブテリモンが他のデジモン達を裂け目へと押しやる。第4章でパートナーとの再会を喜ぶ彼等の姿は決断とは程遠いし、だからこそ第5章の太一が唐突に見えてしまう。何より、歪な決断をする流れに持っていきたいのなら、それ以外の可能性を全て潰すべきなのだ。「世界を救うにはメイクーモンを葬るしかない」と観客に思わせなくてはならないのに、ホメオスタシスイグドラシルの台詞、光子郎の謎解説でしかそれらを語らず、太一達が能動的に状況を動かすことがほとんどない。むしろメイクーモンは危険な存在で倒すほかないという手札は第1章で切った上で、別の可能性を子ども達が模索するような展開のほうが良かっただろう。「メイクーモン殺すしかなさそうだし、そうすっか!」という短絡的な流れは、子ども達が自ら決断をするというより、大きな力によってそう決断させられているように見えてしまった。

 

何より、メイクーモンを殺すことによってもたらされるのが芽心の悲しみだけなのが酷い。要は「メイクーモンを失う」というこの結末の大切な部分に対して、観客は「好きにしろよ」と思えてしまうくらいに芽心への好感度が低い。なぜならあまりに魅力に乏しいためである。ウジウジしているシーンが多く、自分から何かをしようとすることが少ないこの女子高生を好きになってほしいというほうが無理である。新キャラではあるが太一達を翻弄するほどの良さは備えておらず、むしろ必死になって太一達が芽心のメンタルを支えなくてはならないという展開が続いていた。もちろん芽心自体の精神力はそこまで弱くないし、決して悪いキャラではない。しかし既存の8人と並び立てるほどには成長していないように思えてしまい、物語の中心である彼女に対してヘイトが溜まってしまうという一面はあるだろう。デジモンシリーズはデジモンとの人生に恋い焦がれた及川の悲哀さえ美しく描くほどのシリーズであったはずなのに、中途半端なお涙頂戴展開のつるべ打ちのせいで、全6章もかけて育てたキャラクターを魅力的に仕上げられなかった…その皺寄せが最終章で一気にきた形である。芽心が他の8人を勇気づけるとか、メイクーモンが素直に戦いに参加するとか、そういう熱い展開がもっとあっても良かったと思う。ないものねだりをしても仕方ないが、構成に明らかにミスがある上に、面白いとも思えない無駄な部分がどんどん放り込まれてしまったことで、作品の軸がどうしても見えづらい作りだったのが惜しい。あとは単純に自分と合わないシリーズだったのだろうなと思う。

 

第6章の感想と言いながら、全体的な総括になってしまったが…。

細かいことを言うと、どうしてヒカリの絶望がテイルモンにあのような進化を促したのかも分からないし、それがメイクーモンと結びついてしまう理由も不明で、合体していたのにメイクーモンだけが助からないというのもまるで理解できない。というか、オルディネモンを倒さなければというあの状況で、メイクーモンを殺すことへの葛藤は描かれるのにテイルモンはほぼ無視されているのはなんなんだろう。そういう細やかなノイズがとにかく全章に渡って発生していて、テーマや作り手の意図が全然汲み取れなかった。演出があまりにエヴァすぎるが、それは別に悪くなかったと思う。

 

決断できなかった男である西島が未来を担う存在である太一達に決断を託すシーンも意味は分かるが、そもそも西島がインパクトを残せるキャラクターとしてほとんど機能していないために全く感動できない。決断を下す太一達との対比として停滞した大人が出てくるのは分かるが、もう少し直球でセリフにしてもよかったのではないだろうか。姫川とのラブロマンスシーンの気持ち悪さのインパクトのほうが上回ってしまっていた。

それでも太一のゴーグルを装着するヤマトや、太一を許せなくなるからこそ一緒に戦うというヒカリの言葉など、グッと来るシーンがないわけではない。しかし、どうせならその他のメンバーの決断にも比重を置いてほしかったなあ、と。結局太一だけが勝手に決断して、それ以外のメンバーが追従するという形に見えてしまったのが残念。枠組みは悪くなかっただけに、「決断」へと8人が向かっていく過程を丁寧に描いていれば素晴らしい作品になっていたはずだ。というか、「決断」という重要なテーマがあるのにどうして究極進化ノルマが機械的に終わってしまったのか。やれることはもっとあっただろう。

 

再会、決意、告白、喪失、共生と熟語で来て最終章が「ぼくらの未来」と熟語縛りから外れただけでなく、大人気作『ぼくらのウォーゲーム!』にあやかったようなタイトルなのも気に入らない。そんな小手先の目配せをする余裕があるなら、シナリオの精度を高めてほしかった。ただ、元永監督に関しては無印を何度も観返し、究極体のアクションシーンについても既存の部分から発想を膨らませていったことを話しており、そういった点は好感が持てる。決して画力で圧倒されるような作品ではなかったが、デジモン達が無印から更に洗練されたタッチで戦う姿は悪くなかった。インタビューを読んでいて露骨に嫌だなと感じてしまったのは脚本の柿原優子さんの様々な発言で。キャラクター同士の楽しい話を観たいという意見が出るだろうと、第2章をほのぼのテイストにしたらしいが、そういった要素がかなり浮いてしまっているなあ、と。その質感も無印時代のテイストとはかなり乖離があって、この人はデジモンアドベンチャーの続編には向いていなかったんじゃないかなと素直に思ってしまった。あと今放送されている『ドラゴンボールDAIMA』に関しても柿原脚本のテイストにかなりイライラしてしまっているので、自分はこの人の作品と相性が悪いのだと思う。光子郎がtri.シリーズで周りのメンバーと価値観がズレてしまっているのもこの人の描き方が大きいようだった。

 

デジモンアドベンチャー』の続編という重い看板を背負った割に、作風があまりに違いすぎるため受け入れることが難しかったというのが私の感想である。あの頃の熱量を演出した上で彼等をあの頃と違う決断に導いていくのならまだ分かるが、のっけから全然違うテイストのものを見せられてはさすがに混乱してしまう。公式がデジモンだと言うのならこれもデジモンなのだろうが、自分の中では無印とは完全に別物として捉えてしまった。

だが、その後も虎視眈々と復活を狙うデジモンシリーズは、事あるごとに無印の人気に胡坐をかいていく。リブート作品の『デジモンアドベンチャー:』やtri.も含めた続編である『LAST EVOLUTION 絆』、そして諸々公開されたPV映像など。まるで呪縛のように無印の輝きがシリーズには付きまとっている。いつかその呪縛から解放されることを望みたいが…。ひとまずはデジモンシリーズに変革をもたらそうとした意欲作『アプモン』を楽しんでいきたい。ほぼ初見で何も知らない状況なので楽しみである。