まず、タイトルに偽りがある。通称「無印」と呼ばれるこのアニメ『デジモンアドベンチャー』は、どう考えてもアドベンチャーなどではない。冒険なんて生易しい言い方は相応しくないのだ。そう、この物語は言うなれば「デジモンサバイバル」なのである。
『デジモンアドベンチャー』の世代ど真ん中の自分(と言ってもリアタイはしていないが…)は幼い頃からもう何度この作品を観たか分からない。それぐらい自分にとって大切な作品になっているし、何度観ても楽しめるし泣いてしまう。観た後はそれこそ無限大な夢のあとのように放心状態になるくらいだ。そんな作品の感想をわざわざまとめようと思ったのは、これから数か月掛けてデジモンのアニメシリーズを全部観ていこうというデカい野望を持ってしまったためである。無印の視聴を4月下旬から始めたが、仕事等を加味した計算では今のペースだと9月までかかる予定。それくらい果てしないシリーズだということを痛感すると同時に、1作目にしてこんなに面白いものが出来上がっていることに改めて驚嘆した。自分はこの無印を永遠に好きでいられるのであろうという確信がある。仮に認知症になって何もかもを忘れてしまっても、太一達のことは忘れたくない。そう思わせてくれるくらいに素晴らしい作品なのだ。
『デジモンアドベンチャー』の感想などインターネットに山ほどあるかと思ったが、さすがに1999年放送開始の作品ということで、まとまった感想はそう簡単には見つけられなかった。とはいえ、中にはデジモン全作を各エピソードごとにまとめた個人サイトもあり、それほどの熱量を持つ人を作ってしまう程の驚異的なコンテンツなのだということもよく分かった。そして、まとまった感想がないなら自分が書けばいい。Stayしそうなイメージだらけのぎこちない感想になるかもしれないしおそらくかなり長くなるがきっと飛べる。
とはいえ何から書こうか…と迷うくらいに書きたいことが豊富な作品。ひとまず冒頭の「デジモンサバイバル」に関して書いていきたい。
子ども向けアニメであり、玩具の宣伝を兼ねた所謂ホビーアニメでもあるこの作品だが、物語における最大の特徴は、主人公7人(のちに8人になる)の目的が「家に帰る」ことだという点だろう。大会で1位になりたいとか、悪いやつを倒したいとか、そういうザ・ホビアニ的な思いではなく、突然異世界に飛ばされた子ども達が帰る方法を探すというのが物語のスタート地点なのだ。いつ帰れるのかは分からず、周りには人間もいないどころか未知の怪物デジモン達が蠢いている。もちろん意思疎通はある程度できるし、パートナーもいるし、一人ではない。食料もある程度確保できるため恐ろしいほど過酷な状況ではないが、それでも小学生7人には充分に試練である。サマーキャンプに来たはずなのにいきなりサバイバルに巻き込まれるのだ。ホビアニだからこそ強調されないが、彼等の旅路は常に死と隣り合わせであり、更に言えば彼等はいつ帰れるのか、本当に帰れるのかも分からない。ただ、その「帰りたい」という思いを共有できる仲間達と支えてくれるデジモン達がいること、それだけを拠り所にして彼等は前に進んでいくのだ。ホームシックに陥った子ども達の歩みを、「アドベンチャー」だなんてそう簡単に言うことはできない。
また、「帰りたい」というリアルな思いが根底にあるためか、子ども達のキャラクターも非常にリアル。ホビアニなのだからもっとぶっ飛んだキャラクターがいてもいいはずだ。大食いとか中二病とか呆れるほどのおバカとか特徴的な口癖とか。まして序盤から7人もいるのだからそれくらいのキャラ付けをするのは全然アリだと思う。なのに、していない。彼等はどこまでも「普通の小学生」なのである。もちろんフィクションなので光子郎の知識が大人を余裕で超えていたり、小学生らしくない語彙がセリフに挿入されることはあるが、それはあくまで誤差の範囲。憧れよりも共感を生んでくれるキャラクター造形は、大人になった今でも私を感動へといざなってくれる。悩みや葛藤を乗り越えることがデジモンとの絆を育むことに繋がり、それはパートナーデジモンの進化として目に見える形で表れ、物語の推進力となる。その積み重ねが『デジモンアドベンチャー』のキモであり、最も面白い部分と言えるだろう。
しかし、この「サバイバル」が中盤から「アドベンチャー」へと変わっていくのだ。8人目を探しに東京へと向かったヴァンデモンを追いかけて現実世界へと戻ってきた選ばれし子ども達。そこで彼等は遂にそれぞれの家へ帰ることとなる。この時には既にヴァンデモンを止めるという別の目的が生まれているのだが、久々に両親と再会した彼等はそれぞれ帰宅できた喜びを強く噛み締める。東京中を暴れ回るデジモン達と戦い、見事ヒカリを8人目として覚醒させ、ヴァンデモンを撃破する子ども達。しかしその平和も束の間、デジタルワールドの歪みが現実世界にも影響を及ぼしており、今すぐに食い止めなくてはならないと知る。あれほど望んでいた現実世界への帰還。しかし彼等は自らの使命を自覚し、デジタルワールドへと今度は自らの意思で足を運ぶ。もう巻き込まれた戦いではない。彼等にとって大切な世界を守るための戦いへと、自主的に身を乗り出すのだ。その能動的な思いから生まれる旅と戦いは正に冒険であり、彼等のこれまでのサバイバルをもアドベンチャーへと変えていく。全ては悲劇でも無駄でもない。デジモンや仲間と共に過ごした時間は、彼等にとってかけがえのない大切な思い出になっていた。自分達の世界と仲間達の世界、そしてそれぞれの未来を守るためにデジタルワールドへと向かうシーンは、虹の柱という幻想的な映像と涙を誘うBGMのおかげで、より一層感動的なものになっている。
そして最終回、彼等は夏休みの間ずっとデジタルワールドに居ようとまで言い出すのだ。しかし、アポカリモン撃破の余波によって現実世界とデジタルワールドの時間の流れは一致してしまい、デジモン達と共に過ごすどころか残ることすらできなくなってしまう。いきなり訪れたパートナーデジモンとの別れ。54話も掛けて彼等の絆を描いてきたというのに、こんなにあっさりと別れることになるとは…。知っていても毎回泣いてしまう。巻き込まれただけの戦いだったのに、いつの間にか価値ある時間に変わっていた…その変遷は正に全54話を総括するものであり、自然と涙が流れるのだ。
サバイバルに始まった物語がアドベンチャーとして意味づけられていく。それこそがこの『デジモンアドベンチャー』の真髄であり、最大の魅力だろう。設定に関しては揺らぎも多いし脚本によって細かい部分やキャラづけが変わったりと決して盤石な土台の上で作られた作品ではないのだろうけれど、その緩さこそも全てが愛しくなる。神アニメなんて言葉では言い表せないほどに素晴らしい。
全体的なことについては触れたので、ここからはボスごとに区切って全54話の感想を書いていきたい。
まずはデビモン編から。
第1話~第13話がこれに当たる。ファイル島編でもあり、黒い歯車で他のデジモンを操るデビモンとの戦いが描かれている。第1話がパートナーとの出会いであり、その後も計7話分が各デジモンの成熟期初進化回と、序盤ということもあって毎話話題に事欠かない。私が好きなのはギャグ脚本家として名を馳せ、現在『名探偵コナン』でも猛威を振るっている浦沢義雄の初担当回である第6話「パルモン怒りの進化!」である。サブタイトルの通りトゲモンの初登場回。他のデジモンが怪獣然としているのに対し、デフォルメされたようにシンプルなトゲモンのビジュアルにマッチしたちょっとおかしな物語になっている。巨大な熊のぬいぐるみのような姿をしたもんざえモンがおもちゃの町の町長を務めており、黒い歯車の影響で子ども達をおもちゃのおもちゃにしてしまうというカオスな回。汚くて弱いヌメモンが出てくる回でもある。正直何が好きかと言われると困るのだが、やはり最後のもんざえモンと太一のやり取りの浦沢節が印象的なのだ。「思い上がってました…」と行動を反省するもんざえモンに対し、「もんざえモンが思い上がってしまったのは黒い歯車のせいだったんだ!」と気付く太一。このセリフの違和感こそが浦沢脚本。普通めでたしめでたしのこの流れで、しかも当人の目の前で「思い上がってしまったのは」なんて言わない。まして小学5年生のセリフではない。この絶妙なセリフのチョイスが妙にツボで、すごく印象に残る回になっている。
次点で第8話「闇の使者デビモン!」。デビモンと選ばれし子ども達が初めて対峙する回である。子ども達を弱らせるためにデビモンはなぜか幻の食糧やお風呂を用意する。何ならベッドは糊も張った上で本物を用意してくれている。倒せるタイミングはいつでもあったのに束の間の夢を子ども達に提供してくれるデビモンは、実はそんなに悪いやつではないんじゃないかと思ってしまう。しかしその強さはやはり圧倒的であり、他のデジモンを操るという能力も恐ろしい。何よりここまで進化すれば順当に敵と戦えていたパートナーデジモン達が、進化さえできずにあっさりとやられていくのが辛い。そのまま子ども達が分断されるというのも非常にシリアスで、デビモンの優しさ(?)と強さを印象付ける見どころのある回になっている。言ってしまえばデビモン編は導入なのでこれくらいにしておこう。
エンジェモンの活躍によってデビモンを撃破した子ども達を待っていた次なる刺客はエテモン。ここからはエテモン編の感想に入っていこうと思う。
デビモンがその声や佇まい、明らかに異形のものと分かる腕の長さと冷酷さからとにかく恐怖を掻き立てる悪役だったのに対して、今度は着ぐるみのような猿。しかもオネエ口調というとんだ変わり種がやって来る。しかしこのエテモンがかなり強い。そして何より恐ろしいのが、エテモン自身が前線に赴き、積極的に選ばれし子ども達を抹殺しようと向かってくるのだ。
このエテモンのせいなのか分からないが、私はとにかく「主人公サイドを直接襲ってくるタイプのボス」が今でも恐ろしくて堪らない。大概こういう時の中ボスは部下などを次々と派遣するものだと思う。その部下を一体ずつ退けるというのが大概のバトルものの定石と言えるだろう。もしくは何か大きな野望を持っていて、それを主人公サイドに度々邪魔されるというのがお約束になっている。しかしこのエテモンに関しては登場期間こそ短いものの、とにかく自分で子ども達と戦おうとするのだ。完全体であるためその強さも圧倒的であり、子ども達の頭にも「エテモンに見つかったら終わり」という恐怖が深く刻まれる。この見つかったら終わりというシチュエーションがとにかく恐ろしく、何なら私は幼い頃エテモンが怖くてたまらずいつもこの辺りで視聴を止めてしまっていた。そのためにデビモン編まではかなり内容を記憶しているのだが、ヴァンデモン編以降は結構曖昧な部分もある。それくらい私にとってこのエテモンは恐怖なのである。猿の着ぐるみみたいな姿をしているというのに…。
そしてエテモン編と言えば何と言っても太一の成長だろう。勇むあまり間違った進化を促してしまい、アグモンはスカルグレイモンになってしまう。パートナーを傷つけた後悔と、あれほどまでに深かった太一とアグモンの結びつきが一瞬で壊れたかのような暴走はかなりメンタルに来る。その直後の浦沢脚本回で「やいジジイ!」と太一が間違った進化をゲンナイのせいにしているのがちょっと引いてしまうくらいに辛い回である。しかし空を助けるという気持ちと向き合った第20話で見事メタルグレイモンへの進化に成功。『デジモンアドベンチャー』は8人全員が主役と言える作品だが、エテモン編の7話分に関してはかなり太一寄りの作劇になっているようにも感じる。
続くはヴァンデモン編。一人だけ東京に戻った太一達がデジタルワールドに戻ると、仲間はバラバラになっていた。ピコデビモンの暗躍によってそれぞれが葛藤し、それを乗り越えることで完全体への進化を果たしていく。そして舞台はデジタルワールドから現実世界へと移り、ヴァンデモンとの激しい戦いが繰り広げられる一編。第21話から第39話までが該当する。
第21話は言わずと知れた細田守回。特徴的な作画だけでなく、物語のテンポも素晴らしい。何よりやっと帰ってこれた太一が仲間を救うために再びデジタルワールドへと戻るというのが泣ける。最初の劇場版との連動も見え始め、いろいろとギミックが楽しい回である。その2話先の第23話「友よ!ワーガルルモン」は私の大好きな回。無銭飲食によってタダ働きを続けさせられる丈と、不器用な彼に苛立ちを募らせるヤマトの回である。何をしても失敗してしまう丈に思わず笑ってしまうが、それが自信の喪失に繋がり、何より早くタケルを助けにいきたいヤマトの荷物になっているという引け目になっているのが泣ける。丈は不器用な人間だが思いやりが強く、年長者ゆえに責任感も強い。だからこそ自分が足を引っ張ってしまっているという気持ちには耐えられないのだろう。しかしヤマトも優しいがゆえに丈を見捨てることができない、それなのに失敗を繰り返す丈に苛立ってしまい、そんな自分を嫌悪することになる。そしてやり場のない怒りを丈にぶつけてしまうのだ。挙句の果てにピコデビモンから丈がわざと失敗を繰り返していると告げられ、仲間さえも信じられなくなる。しかし真相を知った時、ヤマトの友情の紋章が輝きだす…という筋書き。ベジーモンとデジタマモンなんて大して強くもなさそうなデジモンなのに、物語があまりに面白い。丈の気持ちもヤマトの気持ちも痛いほど伝わってくるシンプルさ。ワーガルルモンのパンクなデザインも堪能でき、お気に入りの回である。
続いて第26話「輝く翼!ガルダモン」。幼い頃は女キャラクターなんてまるで好きじゃなかったし、空やミミの回が来るとちょっとげんなりしてしまっていた。しかしこの第26話、今ではボロボロ泣いてしまう。自分の紋章の意味が愛情だと知った空。彼女は何故か他の子ども達の前に現れずひっそりと彼等を救っていた。その理由は、愛情が自分に似つかわしくないと感じていたため。華道の家元に生まれるもサッカーを優先していた空。そんな空を型にはめようとした母親から、彼女は愛情を感じることができなかったのだ。そのために自身の紋章が愛情だと知り、光らせることは不可能だと思い込む。しかし身を挺して自分を守ろうとするピヨモンに対して母親と同じ言葉を使った時、母の真意が愛情だったということに気付く。そして空の紋章が輝きだしバードラモンはガルダモンへと進化していく…。親子の物語としてあまりに美しく、涙が止まらなくなる。これはきっと自分が親になったりすれば更に涙の量が増すことになるのだろう。
飛んで第33話「パンプとゴツは渋谷系デジモン」。面白い、面白すぎる。こちらも浦沢脚本回なのだが、まず「パンプとゴツ」とモンを省略する形でデジモンを呼ぶセンスが既にずば抜けている。むしろ何故ここまでずっとモンをつけていたのかと疑問を持ってしまうくらいである。ヴァンデモンの部下でありながら遊び人の二匹が渋谷に繰り出すという物語。ヤマトとタケルもどうにもこの二匹を憎むことができず、戦闘パートはあまりない。デジモンアナライザーですら「今夜は渋谷で思いっきり遊ぶつもりだ」などとパンプとゴツの今夜の予定を話し出す始末。それくらいぶっ飛んだ回なのに、終わり方はかなり苦い。浦沢脚本でまさか死者が出るとは…。ヴァンデモンに見つかったパンプとゴツはヤマト達の前で処刑されてしまうのだ。正直ここまで目立った活躍がなかったヴァンデモンに対して初めて抱く感情が「よくもパンプとゴツを殺しやがって…!」だとは思ってもみなかった。その後ウィザーモンが命を落とすことになるが、それよりも先にパンプとゴツのことが頭をかすめる。
このヴァンデモン編は7人が現実世界へと戻るということもあり、それぞれの家族の物語が順に描かれていくのが楽しい。そしてそのどれもが共感を呼び、とても美しいのだ。離婚したヤマトとタケルの両親の物語、養子だと本人に伝える光子郎の両親、単身デジモンに突っ込んでいくミミのパパと心配するママ、自身に向けられていたものが愛情だと気付いた空と母親のやり取り、言葉の重みがやけにずっしりとしている丈の兄。家族という繋がりが随所に描かれることで物語は広がりを見せ、そして8人は更に成長していく。そしてはじめにも述べた通り、世界を救うために彼等は今度は自らの意思でデジタルワールドへと突入していくのだ。
そして訪れるダークマスターズ編。メタルシードラモン、ピノッキモン、ムゲンドラモン、ピエモンの4体と戦い、デジタルワールドを取り戻すことになる物語。彼等もエテモンと同じく選ばれし子ども達を積極的に狙いに来るタイプの敵であるため恐怖も大きい。そして何より彼等の手によって、太一達がこれまでに出会ったデジモン達の多くが命を奪われる。レオモンやオーガモン、ホエーモンやピッコロモン。彼等が身を挺して子ども達を守り繋がれたバトンは8人に責任として重くのしかかっていくのだ。これまでは帰るため、自分達を襲い来る敵を倒すための戦いだったが、ダークマスターズ編は世界や命、仲間を守るための戦いになっている。
ダークマスターズ編で最も重要なのはやはりヤマトだろう。最終章とも言えるこのダークマスターズ編では、子ども達個人の意思がこれまでよりも尊重されていく。これまではとにかく一緒にいよう、離れたら危険、分断されたら合流しようという思いでまとまっていた8人が、遂に別行動を取るようになるのだ。そしてそれもまた彼等の成長のためには必要なのである。元々彼等は別々の個性を持つ8人。だからこそ紋章も異なるのだろう。彼等にとってダークマスターズの撃破が共通のゴールではあるが、その道程は1つではない。いつも一緒にいることが正しいとは限らない、人には人の進み方やペースがあるというのを教えてくれるのがこのダークマスターズ編なのだ。
ジュレイモンに唆されたヤマトは太一をライバルだと見なして戦いを挑む。太一達からしたらそんな時間はないのだが、ヤマトにとってこれは必要な戦いなのだ。そして戦いが終わり、皆の前から姿を消すヤマト。実に6話近くヤマトは太一達と別行動を取ることになる。そして合流する第51話がこの『デジモンアドベンチャー』という作品の中で私の最も好きな回である。
洞窟に迷い込んだヤマトは弱気になりガブモンに対して本音を漏らす。兄だからこそタケルには自分が必要だと思っていたのに、それはむしろ逆だった。自分にタケルが必要だったんだと。タケルには皆がいるし、太一のほうがよっぽど兄貴らしい。だから太一に嫉妬してしまうし、劣等感を抱いてしまう。自分なんかいらないと弱気になるヤマトにガブモンが「ヤマトはこの世界にたった一人なんだ!」「オレはヤマトをずっと待っていたんだ!」と檄を飛ばす。泣ける。泣け過ぎる。このやり取りだけCDにして通勤中にリピートしたいくらいに素晴らしい。気の利いたセリフを言っているわけではないし、文学的な表現がされているわけでもない。ただ、誰よりも背伸びをしてしまっていたヤマトの弱音に対し、パートナーデジモンのガブモンが怒りを帯びた励ましで応えているだけなのに死ぬほど泣ける。
ヤマトは他の子ども達よりも心が弱く脆いのだろう。理想の自分とのギャップに悩み続け、その理想に自分よりも太一や他の子ども達の方が近いことに苦しんでいたのだと思う。これを踏まえると第9話で「タケルは俺がいないとダメなんだ…」と太一と殴り合いになったのも、表面以上の意味を持ったやり取りだったのだろう。そして丈が皿を割り続けた時にも、丈を信じ切れなかったことを強く悔やんでいた。なりたい自分が明確にあるからこそ、その理想とのギャップが彼を苦しめているのだ。嫉妬や劣等感という醜い気持ちで誰かのことを考えてしまうような自分が、仲間達に受け入れてもらえるはずがないと感じてしまうのだ。友情を重んじる彼は人を認めることができ、それゆえに自分を低く見積もり苦しむことになる。しかしそんなヤマトを救ったのもまた、ガブモンとの友情なのである。ヤマトをずっと待っていた存在、いつもヤマトのことを思ってくれる存在。そんなガブモンの存在がヤマトに道を示し、ヤマトは一人じゃないと気付かせてくれるのだ。もうこの51話のやり取りを思い出すだけで泣けてしまう。その後にヤマトを見つけた丈の「自分の信じる道を歩いていけば大丈夫だって言い聞かせて歩いてきたんだ」というセリフも素晴らしい。そしてヤマトが同じように暗闇に囚われ、責任感に駆られる空を救うという流れも満点。「俺達のやっていることは義務じゃない。やりたいからやるんだ」。このセリフはすごく印象的で、何よりヤマトは本来誰かを救えるほどに強い人間なのだ。そしてようやく合流したヤマトと太一。傷ついた太一が「絶対来るって信じてた」とヤマトに言うのも完璧。いやこの51話だけやけに泣けすぎないかというくらいに泣ける。51話も観たらそりゃあちょっとのことでも泣くようにはなっているのだけれど、それにしても強火である。そんな導入から始まるピエモン戦では太一とヤマトがあっさりと人形にされタケル回へと移り変わる…少し残念ではあるがそのギャップもまたこの作品の魅力の一つだろう。
最後にアポカリモン編。ちょっと第51話への感想が長くなってしまったのだが、このラスト2話もかなり泣ける。アポカリモンはラスボスであり、進化の先で淘汰された存在…つまり太一達がこれまでに倒してきたデジモン達の集合体である。それゆえに今までの敵デジモンの技や能力を全て使うことができるというチートスペック。しかしこのラスボスを倒すことこそが、8人の旅路を意味あるものへと昇華することに繋がっていくのである。
進化とは現実世界に則して言うのであれば世界への適応である。移り行く世界で生き残るために生物は進化を繰り返す。その道中で淘汰され絶滅してしまう存在がいるのは光子郎が言っていた通り、仕方のないことでもあるのだ。しかし作中における進化とは、デジモンと子ども達との心の結びつきを示すものである。子ども達の心の成長がデジモンの進化に繋がっており、そしてその進化がまた新たな成長を生む。つまりは8人のここまでの道程、それこそが進化の過程なのだ。進化を否定し、デジモン達から戦う力を奪うアポカリモンに対し、8人は自らの紋章を心に輝かせて戦いを挑む。それは彼等の個性が輝いているのではなく、彼等8人の8つの個性がそれぞれ結びつき輝いているのだ。個性とは人との関わりの中で輝くものであり、勇気が太一以外にないわけでも、友情をヤマトしか持っていないわけでもない。8人はそれぞれたくさんの個性を持っており、その中で一際強いものを紋章として手に入れていたのだ。旅の中で繋がり、共鳴し合い、互いを受け入れて成長した彼等はタグと紋章なしでもデジモン達を進化させ、最終決戦へと挑む。
いわば怨霊でもある「消え去ったものは無駄だというのか?」というアポカリモンの問いに対して、「全ては無駄じゃない。自分達の成長の糧になった」というアンサーで返すのが素晴らしい。巻き込まれた出会いと戦いであり、最初は仕方なくだったけれども、その全てが彼等の成長に繋がっているのである。だからこそこの物語は「アドベンチャー」なのだ。サバイバルに始まったとしても、これは8人にとってひと夏の冒険なのである。
最後に劇場版2作にも触れておきたい。
『デジモンアドベンチャー』は第1話放送開始の前日に公開された作品。劇中でも語られた4年前の光が丘でのグレイモンVSパロットモンが描かれる。太一・ヒカリとデジモンの初めての出会いであり、選ばれし子ども達が選ばれたきっかけとなった事件。細田守監督と吉田玲子脚本によって紡がれる物語は、その絵柄の独特さもあり、かなり恐怖とワクワクを掻き立てる仕上がりになっている。何より印象的なのは怪獣映画的な構図になっている点。瓦礫を被ったグレイモンやパロットモンの羽根が舞う演出。怪獣レベルのデカい存在が団地で戦うのがメインのストーリーなのだが、かなりインパクトがあるのだ。第1話放送直前ということもあり、同時上映の他作品を観に来た子ども達への宣伝も兼ねているのだろうけど、それにしては映像が本格的すぎる。アグモンがTVサイズよりかなり大きいのにはビビるし、意思疎通もままならない存在であるため少し怖い。アグモン達の詳細も語られず、ただ深夜に怪獣バトルが巻き起こり街が破壊される物語は強烈なインパクトを残したのではないだろうか。
そして『ぼくらのウォーゲーム』。言わずと知れた名作である。細田守監督の代表作として挙げられることも多く、無印好きならきっと誰もが絶賛するであろうと言えるほどに完成度が高い。だが改めて観るとこの物語は無印の世界観としてはかなり異質である。舞台は最終回のその後だが、公開時期にはまだ無印が放送中ということもあり、アグモン達と太一達との再会はネタバレを避けるためなのか劇的なものにはされていない。むしろ一刻も早くネットワークに侵入してきたデジモン達を倒さなければならないという焦燥と、吉田脚本の真髄であるスピード感のあるセリフの応酬がメインとなっている。これまで現実世界もしくはデジタルワールドで戦ってきたアグモン達だが、今回の舞台は現実世界のネットワーク。無印があまり触れてこなかった「デジタル」の部分を深く掘り下げた作りになっており、ネットワークやPCについての用語も飛び交う。突然デジタルと向き合った作品なのにこんなにも絶賛されているのは、やはり独特の世界観だろう。今では『サマーウォーズ』のほうが有名になってしまったかもしれないが、やはり私にとって細田守のネットワーク演出と言えば圧倒的にこちらである。TV版とはかなり違う作画は特別感もあるが、どことなく恐怖心も煽ってくる。私は細田監督は結構ホラー畑の人だと思っており、この『ぼくらのウォーゲーム』でも「もしもしもしもし」のシーンなどに狂気を垣間見ることができる。
また、デビモンやアポカリモンなどの暗黒や闇と戦ってきた子ども達が、この映画で目的とするのは核ミサイルの爆破阻止。凄く現実的である。PCに向かって語りかける太一達というのはかなり新鮮であるはずなのに、これまでのTVシリーズの延長戦であることを強く意識させられる。その上でオメガモンというサプライズまで登場するのだから、テンションが上がらないわけがない。これはもう復活のフュージョンなのだ。突然デジタルの話をし始めたのが功を奏したというか、かなり独特な味わいになっているのにちゃんとデジモンをやっているのが凄い。しかも数十分の作品なのにちゃんと笑って泣けてピンチがあってアクションが満載という宝箱っぷり。全54話の後にこんなご褒美用意されたらそりゃあもう涎が出まくる。
長くなってしまったが、以上で『デジモンアドベンチャー』の感想を締めくくりたいと思う。きっと私にとってこの無印は、一生忘れられない素晴らしい作品になるはずだ。思い出補正以上のものが作中に詰まっており、とにかく泣ける。もし懐かしくなった人がいたらぜひ観てほしい。数年前はレンタルDVDすら存在せず視聴が難しかったものの、今はサブスクにもあるため時間さえ確保すれば簡単に観ることができる。今夏にはデジモンアドベンチャー展も東京で開催されるようなので、楽しみだ。