漫画『BLEACH』死神代行篇 感想

BLEACH モノクロ版 1 (ジャンプコミックスDIGITAL)

 

2001年から2016年にかけて週刊少年ジャンプに連載されていた大ヒット少年漫画『BLEACH』。7月からはアニメの完結編となる『BLEACH 千年血戦篇-禍進譚-』が放送予定で、私はその最終回直後に続編やスピンオフなどの、何らかの新作の動きがないかと睨んでいる。仮に新たな発表がなくともアニメ完結編の放送は絶対であるが、正直私自身がそこまで『BLEACH』を読み込めているかと言われるとまったくそんなことはない。リアルタイムでもほとんど読んでおらず、TVアニメも破面との戦いの途中で視聴を止めてしまい、確かBLEACH展が開催される少し前に全巻購入して急ぎ読破したのが本格的に『BLEACH』を読んだ最初の記憶である。そのまま千年血戦篇アニメも観てはいたのだが、原作をざっと読んだだけのため記憶が曖昧で、ネットが想像以上のアニオリ描写に対し歓喜しているのを横目に、「これって原作にあったっけ…どうだったっけ…」とつまらない答え合わせばかりに時間を取られ、純粋に楽しむことができていなかった。おそらく一番ハマっていたのはTVアニメを毎週楽しみにしていた小学生当時。連載中は原作をじっくり読むことはなく、完結と聞いても「あ~終わったんだ」くらいの感想しか抱くことはできなかった。だが今、再び『BLEACH』に新たな終わりの時が来ようとしているのである。何かしらの新作を待っているとはいえ、これを逃せば『BLEACH』に本格的に向き合う機会はもう訪れないかもしれない。ということで、既にアニメ開始まで1ヶ月を切っているが、急いで少なくとも原作だけは読み込んでいこうと思い、記憶を定着させるためにも各篇毎に感想を書いていくことにする。

 

最初はもちろん死神代行篇。Wikipediaなどに則って、第1巻~第8巻に収録されている第70話までを範囲としている。正直ここに関しては漫画も何周かしておりアニメでも何度か観ているため、展開だけならほとんど憶えていた。だが、改めて読むことで見えてくるものもあった。まず言いたいのは「呪術廻戦ってBLEACHの影響が濃すぎるよね」ということである。

 

BLEACHと呪術廻戦

私は「一番面白い漫画って何?」と訊かれたら『ONE PIECE』か『呪術廻戦』のどちらかを挙げるくらい『呪術廻戦』を高く評価しているのだが、『呪術廻戦』には『BLEACH』の影響が色濃く見られる。実際、芥見先生が『BLEACH』に影響を受けているということはファンにとっては周知の事実で、公式ファンブックでも久保帯人先生との対談が掲載されている。そこでは東堂葵が『BLEACH』の更木剣八をイメージして生まれたというようなことも語られているのだが、私が『BLEACH』と『呪術廻戦』で似ているなと感じたのは、ストーリーの引き出し部分である。この死神代行篇では3度「これ呪術廻戦でやってたな」と思うシーンがあった。

 

まず1つ目は、第2話『Starter』で描かれる「力を持った一護がこれからどうするか」という問いかけである。第1話にて一護は虚に襲われた家族を護るためにルキアの提案通りに死神の力を手にする。ルキアの作戦では死神の力を半分分け与えるだけのはずだったが、霊力の高い一護はルキアの力をほとんど持っていってしまい、規格外の大きさの斬魄刀を出現させることになる。一護は小さい頃から幽霊が見え、幽霊と会話できる冷媒体質の持ち主ではあったものの、虚や死神のことは知らずに生きてきており、第1話で初めて戦う力を手にし、虚を斬る。これは運命づけられたものではなく、言わば突発的に戦う必要性に駆られて力を手にした形なのだが、『呪術廻戦』の主人公・虎杖悠仁も同様なのだ。彼も後にその奇妙な出自が明かされるものの、第1話の時点ではやけに身体能力の高い高校生でしかなく、呪霊や呪術師のことは一切知らなかった。そんな彼が先輩や伏黒のピンチにふと思い立って宿儺の指を飲み込むことで物語は始まる。

 

強大な力を手にしてしまい、上層部からは虎杖を処刑せよとの声も上がる。そんな窮地を五条悟の提案でどうにか脱出するも、結果的に虎杖は数少ない宿儺に耐性のある器として、散らばった宿儺の指を集めて食べ回るというミッションを課されることになる。そのために呪術高専への入学が決まるが、そこで出会った夜蛾学長に対して「何のために戦う」と問われ、「じいちゃんの遺言だから」と答えてしまい、それが「自分が死んでも他人のせいにするのか」と夜蛾の逆鱗に触れることとなる。つまり『BLEACH』と『呪術廻戦』は共に戦いに巻き込まれて戦う羽目になってしまった主人公に対し、その覚悟を問う流れを序盤で描いているのである。特別戦いにおける夢や目標を持った主人公ではない点も共通しており、彼等にとって戦いとは何なのかという現実的な問いを突き付ける。『BLEACH』の第2話、『呪術廻戦』の第3話はほぼ同じ構成となっているのである。なお、『BLEACH』は「覚悟はしてないが、受けた恩を忘れてヘラヘラしてられるほどクズでもない」、『呪術廻戦』は「宿儺を食うことは俺にしかできないから、生き様で後悔はしたくない」と主人公自身が戦いの動機が自分の意志にあることを見つける点も共通している。

 

2つ目は、兄弟論について。『BLEACH』の第5話『Binda・blinda』では、虚となって織姫を襲う彼女の兄に対し、一護が「兄貴ってのがどうして一番最初に生まれてくるか知ってるか…? 後から生まれてくる…弟や妹を守るためだ‼」と言い放つシーンがある。実はこの台詞とほぼ同じことを言っている場面が『呪術廻戦』にも存在している。それは第16巻収録の第142話「お兄ちゃんの背中」の一幕。兄弟含め一族の人間のほとんどを下に見る直哉に対し、10人兄弟の長男である脹相はこう答える。

デキが良かろうと悪かろうと
兄は弟の手本なんだ
兄が道を誤ったのなら
弟はその道を避ければいい
兄が正道を歩んだのなら
弟は後をついてくればいい
オマエが強いのは
オマエの兄が弱いおかげだったらどうする?
何故俺がしぶといのか聞いたな
教えてやる
俺には手本がない
何度も何度も間違える
それでも弟の前を歩き続けなければならん
だから俺は強いんだ

上手く芥見先生流に言い換えており独自性はあるが、内容は一護とほとんど同じである。兄という存在の意義が語られているという共通性も面白いが、そのアンサーも酷似している。また、これらが作品の根幹に置かれているわけでもなく、あくまでキャラの信条を表したセリフに過ぎないという点も同じである。

 

最後の3つ目は、1つ目とほぼ同様。『呪術廻戦』の第3話にて戦う理由に亡くなった祖父の遺言を持ち出した虎杖が夜蛾に責められる場面があるが、『BLEACH』の第7巻第57話「Unfinished July Rain」でもほぼ同じ場面が存在している。白哉達に倒され、ルキアを救うために急いで尸魂界に向かおうとする一護を浦原が止めるシーンで「死ににいく理由に他人を使うなよ。」と脅される場面がそれである。状況は異なるのだが、味方側に自身の弱さと無謀さを突き付けられるという意味では似通っており、何より戦う理由に他人の名前を出すなという部分が一致している。

 

意図的に芥見先生が模倣しているというよりは、彼の根底にあるBLEACHオタクっぷりが表出しているような印象だが、『呪術廻戦』好きとしては「呪術っぽい箇所がこんなにも!」と思えて非常に嬉しくなる。こじつけと言われても仕方ないのだが、読んでいる側としてはやはり芥見先生はBLEACHフォロワーなのだなと、『BLEACH』を読んで改めて感じられた。

 

 

 

 

設定の密度

せっかく『BLEACH』の感想を書こうというのに『呪術廻戦』との共通項をまとめるだけでは意味がないので、死神代行篇についても感想を書いていく。この序章から圧倒的な力を放っているのが、設定の密度だろう。密度という表現が正確なのかは分からないが、語彙の堅さとオリジナリティ、そして何より「そこまでギチギチに詰める必要あるか!?」というくらいに詳細な設定の開示こそが『BLEACH』の旨味なのである。

 

まずもって整(プラス)と虚(ホロウ)の設定。良い霊と悪い霊がいる、という設定はホラーに詳しくなくとも理解できるのだが、そこにわざわざ作品独自の呼称を与えて緻密な設定を積み上げていく。そのまま死神という存在はプラスを成仏させ、ホロウを退治する魂のバランサーであるとも説明され、膨大な量の専門用語が一気に流れ込んでくる。確かに説明過多な部分もあるかもしれないが、これが話が進むにつれてどんどん活かされていく。必要以上に緻密な設定をくどくどと説明されるからこそ、その抜け穴や裏道、またはそれらを上回る能力が登場した時の衝撃度が強大になっているのである。要するに久保先生は「フリ」が上手いのだ。だからこそ「オチ」が絶大なインパクトをもたらすように作られている。例えば第1話でのルキアの説明「私の力の半分を~」というのも一見要らないように思えるが、その後すぐ一護に力の全てを持っていかれてしまったことが語られる。ここで一護の霊力や能力がルキアの予想外のものであることが語られ、読者にも「この主人公強いんだ!」という感想を抱かせている。

 

それ以外にも「虚は背後から攻撃すべし」という必要かどうかよく分からないセオリーの理由が、「元々人間であるため一撃で倒しなるべく顔を見ないようにするため」と明かされたり、石田が死神を憎む理由が「魂のバランサーである死神が虚を葬ってしまう滅却師に迷惑し、皆殺しにしたから」と設定と結びついていたりと、とにかく設定の密度が半端ではない。怒りや悲しみといったキャラの心情を描写するだけでなく、それらをオリジナリティ溢れる設定と結びつける点は、やはり久保先生の実力であると言える。設定が強固に見えるからこそ、それを裏切る瞬間が輝くのである。『BLEACH』は何かとポエミーだと揶揄されることもあるが、余白の多いポエム的文章と密度の濃い複雑な設定説明が同じ作品の中で出されているという点を見逃してはならない。

 

 

 

 

スカッとしないバトル

何だか否定的な見出しに見えるかもしれないが、これは攻めの姿勢という意味でかなり褒めている。『BLEACH』の死神代行篇は単行本にして8冊もの量があるにも関わらず、敵を見事に倒してスカッとする気持ち良さが一切存在しない。バトルそのものよりも、バトルに関連する各キャラクターのドラマのほうを優先しているということがよく分かる作りになっている。順を追って説明したい。

 

第1話のフィッシュボーンD戦は、初陣ということもあって比較的すっきりする作り。とはいえフィッシュボーンDの出自は明かされないため、力を手に入れた主人公が襲ってきたバケモノをあっさりと倒すというスタイリッシュさが際立っている。第2話のヘキサポタス戦も、一護は難なく倒している。このバトルは前述の通り、バトルとしての面白さよりも死神代行となった一護の覚悟を試すような作りである。続く織姫の兄・アシッドワイアーだが、これは心を取り戻した織姫の兄が半ば成仏するような形で決着を迎える。チャドが少年の魂が入ったインコと心を通わせるシュリーカー戦は、最終的に地獄の門が開くため、一護の白星とは言えない。改造魂魄が大暴れするエピソードも、コンとのドラマに尺が割かれ、虚とのバトルはおまけ程度になっている。第3巻をまるまる使ったグランドフィッシャー戦は結局逃げられる羽目に。ドン・観音寺との共闘も、彼が間違った形で霊を虚にしてしまった後味の悪さが残るエピソード。織姫とチャドの覚醒はオリジンということもあって王道バトル漫画らしい読み応えだが、一護と雨竜の戦いに関してはメノスが逃げ帰るという決着の付け方になっている。そして一護は白哉に敗北し、そのまま修行編へと突入する。

 

振り返っても分かるように、『BLEACH』は死神代行篇の時点で「ただ悪い奴を倒す」だけの物語ではないことが示されている。むしろ意欲的に湿っぽいほうへと向かっていくような印象さえ受ける。そもそも、大きく分けて10のバトルが展開されるが、そのうち半分は敵に逃げられていたり負けたりという結果なのである。第1話や雨竜との戦いで一護が異常であることを示しておきつつも、実力的にどんな敵とでも渡り合えるほどではないと釘を刺しているような感もある上に、悪霊退治ものとして戦う敵はただ残虐なだけではないということにも触れている辺りの器用さ。この一筋縄ではいかない面白さを序盤に張り巡らせるところに、久保帯人先生の才能とこだわりが感じられる。

 

 

 

 

巻頭歌

単行本の巻頭に書かれているポエム、いわゆる巻頭歌についても触れておきたい。私は各巻頭歌は各巻の表紙に載っているキャラの心情等を表していると考えているので、一応自分なりに解釈を置いていこうと思う。

 

第1巻

我等は 姿無きが故に それを畏れ

表紙キャラは主人公の黒崎一護。早速で申し訳ないが、この巻頭歌は一護を表しているというよりも人間全体のことを言っているように思えた。我等というのは人間のことで、姿無きというのは死神や虚など、人間には見えない存在のことだろう。「畏れ」は「おそれ」と読むが、「恐れ」ではない。つまり恐怖の感情だけでなく、どこか敬うようなニュアンスが含められているのである。これはアニミズムを基調とした現代の日本人的な感性に照らし合わせると、霊体や見えざる者に畏怖の念を抱くごくごく自然な感性なのだが、それを独特な言葉で表している辺りがやはり凄い。「姿無きが故に」ということは、人間がそれらを畏れている理由は姿がないため、という解釈も可能であり、逆に言えば姿さえ見えてしまえばそれらは身近なものになるとも受け取れる。死神が人間臭い存在であったり、虚が元々人間であったりという設定を包括しているようにも思える。

 

第2巻

人が希望を持ちえるのは 死が目に見えぬものであるからだ

第2巻にしてものすごく嫌な歌である。対偶を捉えれば、死を意識すれば人は希望など持てやしないということになる。ただこれは人間の普遍的な感情を表しているのではなく、表紙のルキアの考え方に通ずるものがあるのではないだろうか。この後の物語に触れることになるため多くは語らないが、ルキアは親しき存在の死を知ってしまっている。つまり「死を見た」ものなのである。そもそも死神なので人の死を見ることは通常の人間より多いのだろうが。そして彼女はそれゆえに、自分が生きていることに罪の意識を感じてしまっている節がある。これは以降の物語でしっかりと語られることではあるものの、実際死神代行篇でもルキアにとって希望であると言えるようなものはほとんど出てこない。設定を説明し、一護をサポートはするものの、彼女自身がどんなものを抱え、何を目標に過ごしているのかは不明なままなのである。死神代行篇だけでは何とも不可解な巻頭歌ではあるのだが、ルキアの過去を考えると彼女の心情を表していると取ることができる。また、2巻に収録されている、生まれてすぐに廃棄の日取りが決まったコンの暗喩とも受け取れるだろう。

 

第3巻

もし わたしが雨だったなら
それが永遠に交わることのない
空と大地を繋ぎ留めるように
誰かの心を繋ぎ留めることができただろうか

これはもう織姫巻頭歌と言って差し支えないだろう。兄と死別してしまったこと、そして第3巻に収録されている一護と母親を殺したグランドフィッシャーの戦いのこと、それらをうまく表した歌と言える。雨が空と大地を繋ぎ留めているという解釈力も凄まじいが、「できただろうか」の寂寥感も悲哀の雰囲気がたっぷりと出ており、半ばナレーション的な前2冊に比べて、はっきりと心模様を表しているのが印象的。

 

第4巻

ぼくたちは ひかれあう
水滴のように 惑星のように
ぼくたちは 反発しあう
磁石のように 肌の色のように

表紙が雨竜であることを考えると、死神と滅却師の確執を表しているのだと思う。「水滴のように」はよく分からないのだが、「磁石のように 肌の色のように」はすごく詩的に感じた。磁石は反発だけでなく引き合う性質も持っているし、肌の色での反発は本来起こるべきではない。つまりここで「磁石」と「肌の色」を引き合いに出す時点で、雨竜のアンビバレントな感情を鋭く突いているのである。その反発は必要なものか? 実はひかれあうことの裏返しではないか、と。

 

第5巻

剣を握らなけらば おまえを守れない
剣を握ったままでは おまえを抱き締められない

チャドの力を「剣」になぞらえているため、『BLEACH』という作品全体のテーマとも読み取れる力作。巻頭歌の中でも1,2位を争う有名どころである。強靭な体を手に入れたチャドだが、それゆえに周りからは異端者として見られてきた(この辺も尸魂界行ってから詳細が出るところだが)。しかしその強靭な体こそが一護という親友との出会いを生み、結果的に彼を守る力に繋がっている。だが、あまりに強い力を持った人間は、人を抱きしめられるのか…という悲しい問題提起。チャドがそこまで強いかどうかは置いといて。

 

第6巻

そう、我々に運命などない
無知と恐怖にのまれ
足を踏み外したものたちだけが
運命と呼ばれる濁流の中へと
堕ちてゆくのだ

またまた凄味のある鋭い巻頭歌。冒頭の「そう、」が良い味を出している。物騒な歌ではあるが、この言葉は口にした者の信条それ自体であるというか、決して揺るぐことのない価値観なのだろうなと感じさせてくれる。表紙が浦原のため普段との口調の違いに戸惑うが、口調さえ変えれば浦原さんが普通に言いそうでもある。作中でも屈指の知能派である浦原さんなら「無知」に対してここまで冷酷になることくらい普通にあり得る。

 

第7巻

我々は涙を流すべきではない
それは心に対する肉体の敗北であり
我々が心というものを
持て余す存在であるということの
証明に他ならないからだ

モロに朽木白哉。もちろんこの第7巻の時点ではそもそも白哉がどういう人間かさえ分からないわけだが、今後の展開を知っている人間からすると白哉が心に掲げていることなのだろうなと想像がつく。こういう、理屈でどうにか感情を押し殺そうとする辺りがどこまでも白哉である。

 

第8巻

錆びつけば 二度と突き立てられず
掴み損なえば 我が身を裂く
そう 誇りとは
刃に似ている

「THE BLADE AND ME」のタイトルを冠した第8巻の巻頭歌として刃を登場させるセンス。表紙が斬月のおっさんなので、彼から一護への警告とも受け取れる内容。

 

 

 

 

総括

ざっくりした感想になってしまったが、死神代行篇はやはり序章でありながら『BLEACH』が只ならぬ作品であることを雄弁に語っていると言える。設定や筋書きの異質さに加えてキャラクターの掛け合いも面白く、ここから70巻越えの長寿連載になるのも頷ける出来。一方で、後半の展開を知る身からすると、まだ作品の良さは出し切れていないなとも思う。更にキャラクターが増え一人一人の心情が無数に交差する様、そして攻守の入れ替わりが激しい独特なバトル。そういった種の面白さはまだ温存されており、死神代行篇に漂う他の漫画とは一線を画すセンスは氷山の一角にすぎない。漫画を読んだ後はできれば旧アニメ版なども視聴したいところだが、数百話あるアニメを観る余裕を如何に捻出するか。とりあえず、マイペースに漫画版の感想を書いていきたいと思う。