最終章のアニメ放送に向けて『BLEACH』の原作を読み直し、アニメを観返している。今回は原作第9巻から第21巻にかけて収録された尸魂界篇についての感想を書こうと思う。
前回の死神代行篇はこちら。
端的に言うと、面白すぎる。『BLEACH』で一番脂が乗っている時期と言っていいかもしれない。王道少年漫画の色が濃くなりつつも、キャラクター数の増大によって独自性が激増しており、読者の興味を牽引していくストーリー構成も見事である。単行本をペラペラとめくるだけでも明らかに多いと分かる巻頭カラー、そして第19巻に収録されたフルカラー回で、この頃の『BLEACH』が覇権を握っていたことは明らかと言えるだろう。絵も死神代行篇から更にスタイリッシュになっており、一護や白哉等、以前から登場していたキャラクターは、比べるとかっこよさが段違い。そして何より、死神代行篇から続いていた物語、母親を失った時から一護の心に降り続けていた”雨”が止むという素晴らしい落としどころに驚嘆する。正直、この尸魂界篇は、何度読んでも「この世にこれより面白い漫画なくないか…?」と呆気に取られてしまうのだ。普遍的でありながら独創的で、死神代行篇の時はまだ粗削りだった諸々が、この尸魂界篇で見事に結実している。
個人的には大絶賛の尸魂界篇、こちらについてより詳しく書いていきたい。
圧倒的なキャラクター数
まず触れたいのは圧倒的なキャラクター数の増加である。ルキアの処刑を食い止めるために尸魂界へ突入することを決めた一護達。舞台が変われば当然登場人物にも変化が訪れる。事前に示唆されていたことではあるが、尸魂界篇には護廷十三隊が存在しており、空席もあるとはいえ、単純計算でその隊長・副隊長として26人が登場する。恋次と白哉は既に一護と会っており、剣八とギンも顔見せは済ませているが、それを除いても22人(既に亡くなっている海燕を除くと21人)。だが、新登場するのは隊長・副隊長だけではない。三席以下のキャラクターも次々と一護達の前に姿を現す。一角や弓親、花太郎にマキマキなど、総勢40人近い新キャラが登場し、しかもそのどれもが個性的なのである。『BLEACH』のキャラクターは自分なりの美学を持っている人物が多いため、自然と個性が生えてくるというか、少しキャラが描かれただけで一気に存在感を確立してしまうのだ。派手な人物の中では必然地味な人物も目立ちやすくなるし、何より見た目の描き分けが素晴らしく、「あのキャラに似てるな」というビジュアルがほとんどない。意図的に似せたであろう一護と海燕のような相似はあるが、死神はほぼ全員が似た服を着ているというのに似通ったキャラクターがいないという点に、久保先生の海のように深い創造性を思い知らされる。
更に凄いのはビジュアルや性格だけでなく、それぞれの関係性まで踏み込んでいる点。例えばギンに関して言えば三番隊の隊長でありながらも、かつて六番隊副隊長の乱菊と親しくしていたという過去が語られている。また、かつては五番隊の副隊長、つまりは藍染の部下であったことも描かれているのだ。その他にも恋次と雛森と吉良が学徒時代に親しかったこと、雛森が流魂街時代から日番谷を知っており「シロちゃん」と呼んでいたこと、狛村と東仙の友情、総隊長と浮竹・京楽の師弟愛、射場と一角の関係性など、とにかく様々な人間模様が描かれ続けており、キャラクターがこの世界に息づいていることが実感できる。読者である私達は一護と同じく尸魂界側のことを何も知らないはずなのに、死神達の醸し出す空気感に親しみを感じられるようになっているのだ。しかも久保先生の更に凄い所はレスバ力(れすばりょく)。ほどんどのキャラクターがレスバに強いため、会話劇に不自然さが一切ない。その自然さが世界観の確立に役立っているのだろう。
もっと言うと、キャラクターの個性や関係性にとどまらず、『BLEACH』では斬魄刀の姿、名前、解号、能力までもが差別化されている。しかも隊長・副隊長レベルになればその力それぞれが格付けされており、「如何に凄い斬魄刀か」がこれまたそれぞれ別の形で語られる。とんでもないアイデアの物量がとんでもないスピードで襲い掛かり、それでいて物語は歩みを止めないという恐るべきバランス感覚。破面篇以降は「今回はこいつとこいつのバトルです」という枠がしっかり設けられているために若干間延びしてしまうこともあるのだが、尸魂界篇は常に物語が進行し続けるため、久保先生の真髄が拝めると言っても過言ではないだろう。破面篇以降つまらなくなったのではない。尸魂界篇があまりに完璧すぎるのだ。
ルキア奪還と藍染殺害事件
キャラクターの数だけでなくストーリーにも触れておきたい。一護に死神の力を譲渡した罪で死刑囚となったルキアを奪還するため、一護達は尸魂界へと向かう。そして立ちはだかる護廷十三隊の面々と戦うことになる。だが、尸魂界篇における縦軸はこれ1本ではない。死神達による、五番隊隊長の藍染惣右介の死の真相を追う物語も並行して展開されていくのだ。正直、護廷十三隊の面々はほとんどが初登場で、どれだけ個性豊かでも読者が彼等を好きになれるかはまた別の話。ましてルキアを救おうとする一護達の前に立ちはだかれば、どうしても"敵"のイメージがついてしまう。しかし、『BLEACH』はそんな逆境をものともしない。一気に登場した護廷十三隊の面々がきちんと活躍できるよう、一護達とは異なる縦軸を追わせるのだ。
藍染惣右介は隊長格の中でも人一倍優しく柔和な男だった。誰にも恨まれなさそうな彼がある朝無惨にも殺されてしまう。偶然にも市丸ギンと彼の会話を聞いていた日番谷はギンに目をつけるが、流魂街時代からの友人である雛森は、藍染の遺書に「日番谷が犯人だ」と記されていたと語る。ギンの部下である吉良イヅルもどこか様子がおかしく、日番谷は雛森を騙し傷つけたギンに敵意を向ける。隊長格の死亡は一護達にとってもメリットになっており、彼等が重要参考人と見做されたことで殺されずに済む運びとなった。
初見では「このキャラの濃い人たちは誰?」の連続であるはずなのに、藍染殺害の真相を追っていくうちにどんどんキャラを好きになっていく。本来一護達の敵であるはずの面々が、まったく別の問題に手を焼き、主人公のいないところでドラマが展開していく大胆な構成が素晴らしい。更に恐るべしはその真相。ミステリー小説では「最初に見つかった遺体が実は生きていてその後犯行に及んでいた」というオチもあるあるだが、久保先生は少年漫画で見事に読者の虚を突く。ギンというスケープゴートを用意し、しっかりと読者をミスリードさせた上で、一番予想外の裏切りを見せてくれるのである。しかも、ルキアの処刑それ自体が藍染の策略だったことが明かされ、尸魂界篇の2つの縦軸が遂に重なるのだ。
本性を表してからの藍染は完全にノリノリである。今やネットミームとして独り歩きしている言葉しか発さないため、インターネットのオタクに見えてしまうのが本当に勿体ない。それでも、原作にして7~8巻分ほど引っ張った彼の死の真相が、そもそも彼自身の計画だったという意外すぎるオチは完璧だった。尸魂界突入前の浦原の言葉の真意も明かされ、この謎の開示のためにここまでの『BLEACH』の物語はあったのだという作者の強い意志さえ感じられる。ルキア奪還が王道のバトル漫画だとすれば、藍染の縦軸はミステリー/サスペンス要素を担っており、これによって読者の興味を更に惹きつけることに成功していたのだろう。オシャレさが取り沙汰されることの多い『BLEACH』だが、物語の構成力も尸魂界篇においてはずば抜けている。ただ、浦原が一体いつルキアに崩玉を埋め込んだのかが明かされなかったのは致命的だったかもしれない。
疑似能力バトル
そして尸魂界篇において遂に登場する『BLEACH』の醍醐味と言えば、やはりキャラクター同士の本格的なバトルだろう。死神代行篇における一護VS雨竜、一護VS恋次、一護VS白哉は更に発展し、壮大な戦いへと移り変わっていく。それぞれが特別な力を持つ斬魄刀を手に戦う死神とのバトルは、一見すると能力バトル(異能バトル)に思えるが、私は『BLEACH』を能力バトルとは解釈していない。これは、そもそも能力バトルの醍醐味が「敵の怪奇な能力を如何に攻略するか」に焦点が当てられるためである。『ジョジョの奇妙な冒険』や『HUNTER×HUNTER』が代表格だが、敵の能力を探るところからスタートし、自分の能力でその弱点を突く方法を模索するのが能力バトルの真髄。しかし、『BLEACH』は違う。個々のキャラクターがそれぞれ能力を持っている点は共通しているが、その能力の隙を突く戦い方ではなく、基本的に敵の力を上回れるかどうかが勝敗を分けるのだ。瞬歩で高速移動し、無数の刃となった千本桜で攻撃を仕掛ける白哉に対しては、それよりも素早く動くことで勝利できる。敵の体に毒を仕込み行動不能にさせるマユリに対しては、霊子で人体をマリオネットのように無理矢理動かすことで対応できる。要は、勝利へのロジックがかなり特殊なのである。現在持てる力で相手の能力を上回れるかどうかが勝敗の分かれ目であることが、『BLEACH』の独自性に繋がっている。
これまでの虚とのバトルでは虚の能力にフォーカスすることは少なく、一護VS石田はメノス・グランデの登場によって結局2人が実力で雌雄を決することはなかった。現世での恋次や白哉との戦いに関しても、一護の敗北という点が最重要であり、能力バトルとは違っていた。だが、尸魂界篇では多くのキャラ・斬魄刀が登場することもあり、個性豊かな能力が次々と一護達を襲ってくる。具体的には尸魂界篇の中盤からこの”疑似能力バトル”的な面白味が充満してくるのだが、せっかくなので各バトルに関してまとめていきたい。
一護VS兕丹坊
小学生の時、この回のアニメを観て非常にがっかりしたのを憶えている。せっかく尸魂界に突入し、これから物語が更に面白くなるんだろうと期待していたのに、初手で田舎者の大男が登場してしまったためだ。ルッキズムと指摘されれば仕方ないのだが、少年漫画でこの手のキャラが出てきた時は間違いなくかませである。もちろん全ての漫画でそうではないのかもしれない。ただ、小学生の私は兕丹坊に対してはっきりと「雑魚」という印象を持ってしまい、「いやもっとまともな敵を出してよ…」と子どもながらに思ってしまった。
この戦いは一護の修行の成果の顔見せ程度のものだろうが、それでも他者からの評価で兕丹坊の格をこれでもかと上げる久保先生。「兕丹坊がいるから大丈夫だろう」「4つの門のうち、兕丹坊が守る門だけは破られたことがない」など、所謂”フラグ”を立たせまくる辺りのこだわりがさすがである。この門の設定のディティールの細かさも素晴らしく、大人になった今でも兕丹坊との戦いに別に魅力を感じることはないのだが、久保先生がこの正直別にあってもなくてもなバトルに対し全力の御膳立てをしていたのだなというのがビシビシ伝わってくる。
一護VS一角、岩鷲VS弓親
瀞霊廷内での初バトル。この戦いはまだ疑似能力バトル味は薄い。だが、『BLEACH』を最終巻まで読み終えた今だと、一角はよくもまあこんな斬魄刀で頑張っていたなと心から思う。多くの死神が強大な能力を持つ斬魄刀で戦う中で、槍かと思ったら三節棍でしたで相手の意表を突こうとする姿が同情を誘う。実際、力任せな当時の一護にあっさりとやられているのが悲しい。ただ逆に言うと特殊能力系の斬魄刀じゃない分、一護の初陣としては良かったのかもしれない。それにこの割と素直な斬魄刀で十一番隊の第三席まで上り詰めているのだから、実力は相当なものなのだろう。
岩鷲VS弓親に関してはバトルの良さというよりも、岩鷲の覚悟を読者にしっかりと示す意図があったのだと思う。『ONE PIECE』のウソップのバトルをもっと希釈した感じというか、バトル展開が薄めなので、あまり興奮はなかった。
石田VS慈楼坊
可愛げのあった一角や弓親に対し、ビジュアルも態度もまったく可愛くない慈楼坊。兕丹坊の弟とは思えないほど丁寧な口調で喋る卑怯者で、だからこそ石田とのバトルには(無駄な)緊迫感が生まれている。劈烏を見て生き延びたものがいないという発言も相当怪しいが、他の死神と戦うようなタイプではないのかもしれない。いや、織姫を先に狙ったように、常に卑怯な戦法を取っていた可能性すらある。というかコイツの飛び道具使いに対する並々ならぬ執着は一体何なのだろう。そしてこの慈楼坊がなかなかにクズなおかげで、一つ一つの発言に対する石田のレスバが気持ち良い。「殺意の籠った攻撃がお望みかい?」「鎌鼬雨竜なんて名前、いいとは思えないけどね」、こういう台詞が出てくると「『BLEACH』を読んでるぜぇ!」という感が強まってくる。
一護VS恋次
現世では白哉の介入により決着が明確についていなかった2人がここで再び激突。それなのに恋次とルキアの過去が明かされ、恋次から彼女への想いが描写された後なので、負けた敵との再戦ではなく、やたら哀しい戦いに見えてくるのが面白い。ここは一護の修行の成果を更に引き出しつつ、一護は副隊長クラスとも渡り合えるようになりましたよという説明をする戦いにもなっている。思えば蛇腹のように形を変える蛇尾丸の能力も、ほぼ一角の鬼灯丸と変わらないかもしれない。このレベルで副隊長にまで上り詰めた恋次はやはり凄い。
チャドVS円乗寺
読み返すまで円乗寺の存在をすっかり忘れていた。登場から2ページでチャドにやられてしまうので憶えていないのも無理はない。ここで問題にしたいのは、やはりチャドの活躍が少なすぎる点である。作中屈指のネタキャラとされるチャドだが、その理由はおそらく、一護からの評価がかなり高いのに読者からすると戦績が酷すぎる点にあるのだろう。一護とは中学時代の付き合いで、彼と共に他校のヤンキー達と激闘を繰り広げていたために、チャドが弱いなんて考えにすら及ばないのだろうが、読者からすると印象的な活躍がほとんどない。これは彼の一撃必殺的な能力も関係していると思う。強力な右腕で敵を殴れば格下はほぼ必ず粉砕できるが、応用が利くわけではないため格上相手にパワー負けした場合はほぼ詰みなのである。そのため、勝利も敗北もあっさりとしており、彼自身が無口ということもあってどうもバトルが印象に残りにくい。むしろ彼こそ、他のキャラと組んで戦って活きるキャラクターな気がする(味方に時間を稼いでもらい、隙を突いて一撃を入れるなど)。
チャドVS京楽
円乗寺を倒して即隊長格と戦うことになってしまったチャド。結局、技は全てかわされ京楽に一撃で倒されてしまう。同時並行で一護が剣八と戦っていたこともあり、「やっぱ隊長はこれくらい強いんすよ」という絶望感を出すのに一役買っている。そこから「チャドの霊圧が消えた」という流れも含めて。他のメンバーが傷を負いながら順調に敵を倒していく中で、初めて味方があっさり負けるというのもアニメを観ていた当時は衝撃だった。今読むと「いやチャドが勝てるわけないだろ…」と思ってしまうが。
一護VS剣八
第13巻をほぼ丸々使った一護と剣八の死闘。ここでは剣八の規格外の強さ、そして斬魄刀の名前を知らないなど、死神としても隊長としても異質ということが示される。斬っても傷一つ追わない剣八を一体どう倒せばいいのか。能力バトルというよりも、単に一護が霊圧を解放できるかどうかの試練になっている。結果的に再び精神世界に導かれ、斬月のおっさんや内なる虚によって更にパワーアップする一護。戦闘狂の剣八がこの後から一護のメンターとしての役割を持つようになっていくのが面白い。初登場の時はギンに包帯でぐるぐる巻きにされていてかわいかったのに。
岩鷲VS白哉、夜一VS白哉
遂にルキアと対面を果たした岩鷲。しかし彼女こそ自分の兄を殺した死神だった…というドラマ性もさることながら、白哉の強さが改めてはっきりと打ち出される気持ちの良いエピソード。それでいて、その白哉の後ろを取れる夜一の強さも示される。この「勝ったと思ったら敵が一枚上手だった」を無限に繰り返すのが『BLEACH』後半の独特さなのだが、このバトルはそれの先駆けと言ってもいいかもしれない。4ページくらいで終わるなんて今じゃ考えられないだろう。何なら後ろの取り合いで1巻分費やすことだってあるのだから。
石田VSマユリ
慈楼坊もそうだが、どうして雨竜はクズとばかり戦わなければならないのか。よりによって自分の師匠である祖父を殺した男とは。もうここは徹底的にクズムーブをしているマユリが面白すぎる。ビジュアルの時点で相当おかしかったが、中身まで古臭い悪役マッドサイエンティストなのが凄い。そして人の命を何とも思っていないこんな頭のおかしい奴が隊長になっている護廷十三隊への信頼も揺らいでいく。これまでに登場したギンや白哉、京楽や剣八が隊長としての格をしっかりと持っていたのに対し、こいつはクズっぷりだけでのし上がったのではないかと思えるほどのクズ。部下を爆弾にするわ滅却師で人体実験するわ自分が作った人形(娘)のネムをひたすら痛めつけるわ。絶対に許しちゃおけねえということが馬鹿でも分かるキャラクターになっている。
だが、こういう相手と対峙した時こそ、雨竜のレスバは最高潮に達する。「逃げても良いと言ったかネ?」に対して「追っても良いと言ったか?」と返す完璧な流れ。雨竜は本当に相手の言葉を使って相手を煽るのが上手すぎる。手芸や料理や滅却師の才能だけじゃなくてラップの才能もあると真面目に思っている。
そして、作中で初登場する卍解。よりによってマユリがトップバッターになるというのが非常に面白い。しかも夜一が卍解の必要性を一護に説いた後の流れで、雨竜が決死の覚悟でその卍解を一撃で打ち破ってしまうのだ。なんだろう、この絶対マユリが最初じゃないほうがよかったよね感。卍解自体も金色のデカい赤ちゃんという気味の悪いものだし。また、金色疋殺地蔵は致死毒を霧状にして撒き散らすという驚異的な能力を持っているのに、全力の矢を放ってマユリごと一撃で倒すというアンサーをやっている辺りが、いかにも”疑似能力バトル”らしい。『BLEACH』では敵の能力云々よりも、単純に力の強さが勝敗を分けることがままあるのだ。そして液体になって逃走するマユリ。ムーブの全てが悪役なのだが、そういうところも含めて私はこのキャラが大好きである。また、このバトルの更に凄いところは、滅却師の力を失ってまでマユリに勝利した彼が満身創痍で階段を上がると、そこに東仙が立っていた…という形で幕を閉じる点だろう。もう戦えない雨竜に対して今しがた戦った相手と同等クラスの敵をサラッとぶつけて絶望感を演出するこのセンス。初めてアニメで観た時からこのシーンの東仙への恐怖がずっと拭えない。東仙自体ちょっと薄気味悪いところがあるが。
日番谷VS雛森、日番谷VSギン
遂に隊長バトル…!低身長だけど実力者でちょっと生意気という、属性盛り盛りで大人気も納得の日番谷が、関西弁の糸目男というこれまた人気要素で固められたギンとバトル。その前段となる雛森との戦いも、手紙によって仕組まれたものという悲しさがあって良い。一護達と直接戦わないメンバーもこうして斬魄刀の力を見せつけられるという意味で、やはり藍染の死の謎を追う縦軸の存在は非常に重要だったなと。正直この2人のことを全然知らないのに、隊長格同士のバトルというだけで異常にテンションが上がってしまうのが凄い。
恋次VS白哉
恋次、初登場の時はノリノリでルキアを連れ戻していったのに、こんなにも処刑が嫌だったなんて…。隊長と副隊長の上司部下バトルという構図だけでは飽き足らず、恋次と白哉の卍解が続けざまに登場し、心の中の小学生が大喜び。ここからどんどん卍解が登場してくれて本当に嬉しい。「失念している訳ではあるまいな…私にも…卍解があるということを」、それはそうなのだけれどあまりにも無慈悲というか。これ以降の『BLEACH』の複雑性を考えると、戦いが始まった時点で「恋次が負けるのだろうな」とすぐ分かる作りは斬新かもしれない。いや、これ以降のどっちが勝つかずっと分からないままのバトルがおかしいのだが。千本桜景厳はそこまで強いようには思えないのだが、演出のスタイリッシュさで格を醸し出している気がする。小学生時代は見えないくらい小さな無数の刃で攻撃するというのがあまりよく分かっておらず、魅力的には見えなかった。ただ、この戦いの真髄は一護と恋次でページを分割した「魂にだ!」にあると思っている。尸魂界篇からはコマ割りや演出もずば抜けてくるのだ。
剣八VS東仙・狛村、一角VS射場、弓親VS檜佐木
やちるやマキマキも含めて、十一番隊が完全に仲間になってるのが面白すぎる。そして東仙や狛村がその実力に驚く場面で、剣八ってマジでヤバかったんだ…というのが伝わってくる構成も凄い。2人共容赦なく卍解を発動するが、それさえも剣八は凌駕してしまう。バトルがどんどん大味になっていき、ますます面白さに磨きがかかっている。敵味方の構図が入り乱れる様も素晴らしい。この数巻前には三節棍だぜで読者の意表をついていたのに…。一角と射場の関係性が垣間見える会話も面白く、弓親が周りに斬魄刀の能力を隠していたという設定も良かった。この「実は力を隠してました」系エピソードはここからの『BLEACH』では頻発する設定なのでその走りとも言えるだろう。恋次の「現世では力が制御されてる」とかもそうだろうか。こういう「以前はフルに力を発揮できない理由があった」という流れが久保先生は本当に好きなのだろう。そして私も好きです。
浮竹・京楽VS総隊長
一護が双極を破壊してからの流れは何度読んでも痺れる。実にスムーズにとんでもないバトルが展開されていく様が圧巻なのだ。その一つがこのバトル。まず、総隊長の頑固ジジイっぷりが最高。そして浮竹と京楽が共に二対の斬魄刀使いという漫画らしい設定も素晴らしい。決着こそ着かないが、バトルの導入としてはほぼ完璧に近いのではないだろうか。大してバトル描写がなく、何なら準備段階のレベルなのに、もう充分にワクワクさせてくれる。バトルそのものではなく見せ方や演出、構図にこそ『BLEACH』らしさは宿るのである。
夜一VS砕蜂
強いのは分かったがまだ謎多き猫化する色黒女性でしかない夜一と、元々彼女の部下だった砕蜂による女性対決。デカい卍解でガツガツ戦う大味バトルの後に、しなやかな肉弾戦が開幕するメリハリの付け方。小学生当時は女性キャラ同士のバトルに面白味を感じられなかったが、今読むと久保先生の多彩さに驚かされる。それでいてこの2人のバトルにはドラマ性も組み込まれている辺りが凄い。特に前振りのなかった関係性を急にバトルの中で出してきてドラマとして昇華しているのも久保先生独特の味な気がしている。何より、砕蜂が名前すら付いていないと自信満々に繰り出した奥義に対して「名前なら在る」と同じ技を繰り出す夜一…!このハッタリ感、読者の予想の斜め上をいくスタイリッシュさこそが『BLEACH』の醍醐味だろう。あと回想の砕蜂が可愛すぎる。この可愛さが転じてクールレディになってるのは逆に可愛すぎるだろうが。
一護VS白哉
死神代行篇から始まった因縁がここで遂に決着。実質尸魂界篇のラストバトルでもあり、正にクライマックスといった壮大な戦いが繰り広げられる。丸々1話カラーページのエピソードがあるというだけで、この頃の『BLEACH』が如何に凄かったかが伝わってくる。月牙天衝、千本桜景厳、天鎖斬月、殲景・千本桜景厳、そして一護の虚化…。能力バトルとは程遠いのに、手数の多さでとにかく読者を惹きつける。月牙天衝の名前を聞いて即「天を衝くか…」と漢字まではっきりと頭に浮かんでいる白哉が結構ツボ。
このバトルは本当にかっこよさの極致としか言えない。『BLEACH』らしい手数の多さ、敵も味方も常に相手の背後を取っていくバトルの流れ、絵のスタイリッシュさ、レスバトル。そう、これまで『BLEACH』が培ってきた個性の総決算のような戦いなのだ。尸魂界篇の最終決戦にして見事なクライマックス。あまりに見事で、構成の妙だけで泣けてきてしまう。そしてこの戦いこそが、これ以降の『BLEACH』の下地になっているような気もしている。ここから先は更に能力が複雑怪奇になっていくが…。それゆえに、王道を突き詰めた形で展開していくこのバトルは、『BLEACH』史上でもベストバトルと言えるかもしれない。
吉良VS乱菊、日番谷VS藍染、恋次VS藍染、一護VS藍染
明らかにクライマックスモードの白哉戦が終わった途端に正体を現す藍染。この種明かしの凄味も前述した通りだが、ここからの怒涛のバトル展開も凄まじい。斬魄刀の特殊能力と説明が面白すぎる吉良。一撃で卍解を破壊される日番谷。この時点で久保先生はもう大ゴマ大喜利を完全に自分のものにしたと言えるだろう。見開きでとんでもない技を出させた直後にそれを即破壊される流れは、以降の『BLEACH』の定番となっている。また、この場面で面白いのは「藍…染…⁉」「敵…だと…⁉」「雛…森…」と、このリズムを多用するようになってしまった日番谷。「なん…だと…⁉」に代表されるこの驚き4文字システムこそ『BLEACH』の醍醐味である。
その後、恋次を圧倒し一護相手にも余裕で勝利し、駆けつけた狛村も一撃で倒す藍染。これまで全員が拮抗したバトルをしていたのが恥ずかしくなるくらいのインフレっぷり。ギンに殺されかけたルキアを白哉が庇い、護廷十三隊が集結するという幕引きも最高である。ストーリーの構成力が半端じゃない。二度と掟を破らないと決めた白哉が一護に敗北し、身を挺してルキアを庇うという流れには自然と感動してしまう。尸魂界篇とは朽木白哉の物語でもあったのだなと、ここでようやく気付くことができるのだ。藍染の圧倒的な強さを見せつけられて終わるという、絶望的なエンドなのだが、ルキアの奪還には成功し、物語は爽やかに幕を閉じる。
巻頭歌
単行本の巻頭に書かれているポエム、通称巻頭歌も、死神代行篇から更に洗練されている。
第9巻
ああ おれたちは皆
眼をあけたまま
空を飛ぶ夢を見てるんだ
空鶴の言葉と解釈すると「空を飛ぶ」が「花火になって打ち上がる」に変換されるのが素敵。「空を飛ぶ夢」は自由の象徴とされることも多いように思うが、ここでの使われ方はネガティブで、どこか現実を直視できていないようなニュアンスが入り込んでいる。堅い言葉を使わずとも一個人の心の繊細さを紡げる辺り、相変わらず久保先生のセンスに脱帽してしまう。
第10巻
俺達は 手を伸ばす
雲を払い 空を貫き
月と火星は掴めても
真実には まだ届かない
空鶴の弟、岩鷲が巻頭キャラの第10巻。9巻同様、兄である海燕を失ったことへの悔しさややるせなさのようなものが滲み出ている。月や火星などの普通ならたどり着けない惑星と、すぐ隣にあるかもしれない”真実”を横並びにさせるこの対比っぷりが堪らない。
第11巻
届かぬ牙に 火を灯す
あの星を見ずに済むように
この喉を裂いてしまわぬように
恋次から白哉に対しての想いを端的に言い表した名文。尊敬すべき隊長で自身の上司で、流魂街で生まれ育った自分にとっては貴族である彼は憧れの存在。けれど、幼い頃から共に育った仲間であるルキアを、養子とはいえ自分の妹である彼女の処刑を執行しようとする白哉を理解できない恋次。それでも、実力差は埋まらず彼を止めることはできない。巻末の「ルキアを助けてくれ」の凄味が一層増す一句。
第12巻
我々が岩壁の花を美しく思うのは
我々が岩壁に足を止めてしまうからだ
怖れ無き その花のように
空へと踏み出せずにいるからだ
他のキャラだったとしたら「いい事言うなあ」くらいにしか思わないが、これが藍染の思考かと考えると鳥肌が立つ。岩壁の花を美しく思うような自分の凡人さに憤っているのかもしれない。あるいは愛や情に流されやすい人間や死神達を完全に見下げていることを表現しているのだろうか。空へと踏み出せもしない屑共を心底嫌っているというニュアンスが滲み出ていて実に藍染らしい。
第13巻
誇りを一つ捨てるたび
我等は獣に一歩近づく
心を一つ殺すたび
我等は獣から一歩遠退く
『BLEACH』において「誇り」は何より重要視される最強の概念なのかもしれない。命や愛よりも「誇り」が大切であることは何度も強調されている。自分で母の仇を打ちたいと言った一護もそうだし、海燕の死も「誇り」のためであった。そんな「誇り」こそが人間を人間たらしめているということなのだろう。獣には心があるというセンスも凄い。
第14巻
軋む軋む 浄罪の塔
光のごとくに 世界を貫く
揺れる揺れる 背骨の塔
堕ちてゆくのは ぼくらか 空か
巻頭キャラは山田花太郎。これは花太郎の心情というよりは、尸魂界の混乱をただ見ていることしかできない一隊員のことを表しているのだと思う。ただ、花太郎の言葉だと思うと「堕ちてゆく」に「ルキアを見殺しにする」が含まれているようで感慨深い。自分では手が届かないような上の人々達のことを空としているのだろうか。そんな”空”が堕ちているのか、それともその決定を受け入れることしかできない”ぼくら”が堕ちているのか。
第15巻
ぼくは ただ きみに
さよならを言う練習をする
他の巻頭歌に比べると非常に簡素な印象。尸魂界篇ではイマイチ掴みどころのないキャラになってしまっている吉良が巻頭キャラで、そうすると「きみ」というのは雛森なのだろう。自分の道は誤っているかもしれないが、それは何より大切な雛森を護るためであって、だからこその「さよならを言う練習」なのかもしれない。「練習」の部分に、今はまださよならを上手く言えないという意味合いが含まれていてこの歌も非常に奥が深い。
第16巻
降り頻る太陽の鬣が
薄氷に残る足跡を消してゆく
欺かれるを恐れるな
世界は既に欺きの上にある
日番谷の思想だとしたらかなり凄味があるように思う。「鬣」からは前髪を上げた日番谷の姿が、「薄氷」からは彼の斬魄刀の能力が連想されるが、「欺かれる」には藍染に騙され引き起こされた一連の事件のことも掛かっているのだろう。そして日番谷は世界や周囲は既に「欺きの上にある」という思想の下、行動している。要は疑い深いのだろう。それが彼の経験によるものなのかは分からないが、天才児の考え方として、そもそも周りを簡単に信用していないというのは凄く彼らしい。その上で、雛森や乱菊達を信頼しているような描写もあるので更に旨味が増す。
第17巻
血のように赤く
骨のように白く
孤独のように赤く
沈黙のように白く
獣の神経のように赤く
神の心臓のように白く
溶け出す憎悪のように赤く
いてつく傷歎のように白く
夜を食む影のように赤く
月を射抜く吐息のように
白く輝き 赤く散る
赤と白を執拗に繰り返す形式だが、2フェーズ目で既に凡人の理解を越えた比喩が投入される。「孤独のように赤く」とは、一体…。韻を踏んだ「赤く」と「白く」の繰り返しの心地良さから一歩踏み出てラストは「白く輝き 赤く散る」で結ぶセンスが素晴らしい。完全に名曲のラスサビ部分。巻頭キャラの夜一らしいという部分が自分にはまだ見えていないのだが、言葉の並べ方それ自体に感動できる歌になっている。
第18巻
あなたの影は 密やかに
行くあてのない 毒針のように
私の歩みを縫いつける
あなたの光は しなやかに
給水塔を打つ 落雷のように
私の命の源を断つ
砕蜂が表紙にいるのなら、「あなた」は必然夜一ということになるのだろう。1人置き去りにされた彼女の孤独を「寂しい」「悲しい」という言葉を使わず情景描写と比喩だけで組み立てていくザ・ポエムな歌。「毒針」や「落雷」も彼女らしい言葉選びだなあと。
第19巻
そう、何ものも わたしの世界を 変えられはしない
1巻に続いて2度目の一護表紙。今回は卍解状態の一護だが、この巻頭歌はどちらかというと一護に協力する斬月のおっさんの口調ではないだろうか。何より一護が自分の世界というものに固執しているようには思えないし、そもそも一人称は「わたし」ではない。もちろん巻頭歌が必ずしも表紙キャラの心情を表しているとは限らないが、斬月の卍解という意味で斬月のおっさんポエムというなら理屈は通る。まるで悪役のような考え方だが、この意味が分かるのは『BLEACH』を最終章まで読んだ時…ということだろうか。
第20巻
美しきを愛に譬ふのは
愛の姿を知らぬ者
醜きを愛に譬ふのは
愛を知ったと驕る者
こちらもこの時点での市丸の言動からは真相を読み取りづらいというか…。愛などくだらないと考えていそうな男の心情だと受け取ることもできるが、この歌の真価が発揮されるのは原作後半なのだ…。
第21巻については破面篇から登場するキャラが表紙ということでまた次回。こう並べていくと、刊行当時はまだポエミーでしかなかった巻頭歌が、後の展開でキャラの心情に思いっきり重なっていくということもままあるのだなあと改めて思う。自分はリアルタイムで単行本を集めていなかったので巻頭歌に注目する機会がなかったのだけれど、細かく連載を追っていたら「そういうことか!!!」と接続する機会に溢れていたのかもしれない。本当に惜しい。
ということで『BLEACH』尸魂界篇の感想でした。キャラが増え、一護サイドではどうにもならないような強敵も多数出現したことで、緊迫感が爆増。自分は『BLEACH』のサスペンス部分=緊張感部分が一番好きなので、この尸魂界篇は本当に大好物だった。矛盾を引き起こしがちなこの漫画のミステリー性も、まだ巻数が少なめなのでそこまで致命的なものはない。むしろ破面篇以降がなかなか苦しい言い訳を並べて来たな…と何度も思ってしまった記憶がある。それもこれも読者を楽しませるためではあるのだろうけど、細かい整合性への配慮が欠けているというか。
さて、次はアニメの尸魂界篇を2回に分割して感想を書く予定。いやあしかし『BLEACH』、面白い…。




