映画『ビートルジュース ビートルジュース』ネタバレ感想 続編以上に”延長”的な2作目

 

ビートルジュース』の続編が36年ぶりに公開と聞いても全くピンと来なかった人間なのだが、ティム・バートン監督と知って急いで1作目を観た。1作目はティム・バートンの溢れ出る才能をそのまま垂れ流しにしたようなカオスさに満ちていて、カルト的な人気を誇るのも納得。面白いかどうか以前に、個性を見せつけられたという強い衝撃があった。死後の世界をコミカルに描き、セリフも下品で低俗でグロテスク。手弁当感たっぷりの合成は時代を感じさせるが、矢継ぎ早に独創的なあれこれが登場するおかげでチープだと思う暇がない。キャラクターも美術も、細部にまでティム・バートンらしさが詰まっているのだ。もちろんティム・バートンの作品でファンタジー色が濃いものは大体そうなるのだが、『アリス・イン・ワンダーランド』世代の私にとっては、CGではなく特撮でそういった演出が成されていることが新鮮で、思わずときめいてしまった。

 

反面、ストーリーは滅茶苦茶である。肝心のビートルジュースの出番はそこまで多くなく、物語を進めるのは偶然にも死んでしまった平凡な夫婦。ビジュアルからして他のキャラクターに明らかに負けているのが辛い。夫婦が自分達の自宅に引っ越してきた新しい家族を追い出すためにあれこれと策を企てるもののうまくいかず、彼等はビートルジュースを呼び出すことに。しかしビートルジュースは現世に復活するために少女リディアとの結婚を目論む。いつの間にか物語は夫婦の視点からリディアの視点へと切り替わるが、そうした構図もかなり独特。何というか、計算された映画というよりも偶発的に生まれてしまったかのようなライブ感を感じるのだ。そこには、ティム・バートンが脚本よりも役者陣のアドリブを重視した結果が反映されているのだろう。物語の方向性はなかなか見えてこず、大海原で自由に舵を切り航海するような奔放さが映画を満たしている。しかしそれでいてリディアの家族のドラマには芯が通っており、霊が見える彼女が両親に反発し自立・和解するまでを丁寧に描いているのが面白い。

 

そして続編の『ビートルジュース ビートルジュース』だが、想像を超える「続編」であった。家族ドラマとしての見心地も、何だかまとまりのない脚本も、独創的なビジュアルやキャラクターも、どれもが1作目と地続き。何より嬉しかったのが、ビートルジュース達お馴染みの面々が当時のキャストで再集合しているというのに、そこにドヤ顔が一切なかった点である。36年熟成させた続編には余計な誇張演出など必要なく、まるで1作目の1週間後にはこの映画が公開されていたのではないかというくらい、世界観にどっぷりと浸ることができる。余計な足し引きなどされておらず、正に純然たる1作目の続編と言えるだろう。オリジナルキャストの面々よりも、むしろ新メンバー達のほうがじっくりと時間を掛けて描かれていたくらいである。何という贅沢な続編だろうか。

 

まとまりはないが、好きなシーンはかなり多い。まずはビートルジュースの元妻・ドロレスの登場シーン。バラバラになっていた体が少しずつ集まっていき、その度に彼女はホッチキスで各部位を繋ぎ合わせる。グロテスクだがどこかポップで、ゆったりと彼女が完成していく様は圧巻だった。また、ウィレム・デフォー演じる俳優刑事のウルフも面白い。絶対このキャラクターがいなくても物語は成立するのに、ウィレム・デフォーの顔面力でそこに必要性を見出さざるを得ない作りになっているのだ。もっとビートルジュースを追い詰めたりしてもいいはずなのに、大した活躍もなく終盤いきなり教会に登場し、果てには氷漬けにされてしまう。どこがいいのかと聞かれると難しいが、何故か存在感だけが漂っている。こういう愛しさがこの映画の良いところだろう。キャラクターがたとえ不要に思えても、その存在は世界観に確実に寄与しているのだ。アストリッドの命を狙い復活を企むジェレミーも良かった。ドキドキハラハラな展開で、ザ・幽霊譚でもある。映画が一番盛り上がるのは彼のシーンかもしれない。アストリッドとリディアの親子の物語(そこに祖母のデリアも絡んでくる)は無難だがうまい具合に着地してくれた。最後のミュージカルはどう考えてもカオスが過ぎるのだが、そんな可笑しさもティム・バートンらしさと言えるだろう。まさに悪ふざけの極地のような映画であり、まるで心地良い悪夢を観ているかのような感覚に襲われる。

 

ティム・バートンは死や人体破壊などのグロテスクさやシリアスさを、いとも簡単にポップに味付けしてしまう。しかもそこには露悪的な印象もない。シリアスをシリアスとして描くことは簡単だが、彼は暗い題材にこれでもかと光を当て続けるのだ。シリアスやグロテスクを題材にここまでポップな映画を撮れる監督はなかなかいない。そして、彼の持つ独創性が遺憾無く発揮された作品が、この『ビートルジュース ビートルジュース』なのではないだろうか。監督やキャストの悪ふざけがそのまま映像になってしまったかのような、ドロレスの顔のホッチキスの跡のようなツギハギ的な物語は、正直若干退屈ではある。しかし何が起こるか分からないドキドキは1作目と変わらず残されており、物語の根幹ではリディア達家族が1つになる様が描かれている。親への反発というティーンエイジ特有の悩みをこんなにも綺麗に映像に反映させられる66歳はなかなかいないのではないだろうか。

 

3度名前を言ってはならないという作中のルールに則るのなら、次回作『ビートルジュース ビートルジュース ビートルジュース』もあって良いと思うのだが、続報は流れてこない。さすがに次がまた36年越しの…とはいかないはずなので、今作で満足するしかないのだろうか。監督・キャスト・スタッフがとにかく楽しんで映画を作っていることがよく分かる仕上がりは、ともすれば内輪ネタになりかねないギリギリのライン。しかしティム・バートンという男の圧倒的な魅力がその「内輪」の範囲を拡げていく。普遍的な家族ドラマの中に蠢く狂気はどれも愉快で、ユーモアに富んだ彼のセンスを存分に堪能できる、正に『ビートルジュース』の理想的な続編。いや、もはやこれは前作の「延長」と言ってもいいかもしれない。36年という時間の流れを感じさせない(劇中でも相応の時間が流れてはいるが)、素晴らしい作品だった。