ジェイソン・ステイサム主演の『ビーキーパー』を観た。自分が行った劇場には肩の辺りにファンシーな小動物のぬいぐるみを乗せたステイサムのパネルが置かれていて、上映前に1人の女性が写真を撮っていた。公式もステイサムでだいぶ遊んでいるんだなぁと思ったら、帰りに同じ場所を通った時にはそのぬいぐるみはなく、「あ、さっきの女性が撮影用に置いてただけか…」と気付く。そんなことはどうでもいいのだけれど、少なくとも現代は「ジェイソン・ステイサム主演作」というだけで箔が付く世の中になっていると思う。ステイサムに素直に憧れる人もいれば、ステイサムと可愛いものを同じ写真に収めてSNSに投稿する人もいる。何より「最近どんな映画観たの?」と映画に詳しくない人に訊かれた時に「ジェイソン・ステイサムの新作だよ」と答えても会話のリレーが続くくらいには、彼の名前は現代日本に浸透している。そんな彼が最新作で演じるのは、「養蜂家」である。
いきなりステイサムの話からスタートしてしまったが、私はアクション映画をあまり通らなかった人間なので、ステイサムについてそこまで詳しいというわけではない。彼の単独主演作よりもワイスピの印象のほうが強いくらいの凡庸な人間である。そんな私がこの映画を楽しみにしていたのは、ステイサムよりも監督のデヴィッド・エアーの最新作であるという側面が大きい。彼の監督作で有名なものを挙げるなら『フューリー』と『スーサイド・スクワッド』になるだろう。『フューリー』はブラッド・ピット主演で、戦車の一団の目線から戦争の悲惨さを訴える物語。結局ノミネートに留まったにも関わらず、「アカデミー賞最有力」という宣伝文句が躍り出たポスター画像が出回ってしまっている。実際鑑賞した人にも「タイガー戦(タイガーという戦車とのバトル)までは面白い」という烙印を押される始末。戦争映画としてのテーマは充分に描かれているが、どうにもテンポがおかしく、人にオススメするのは難しい映画である。もう片方のアメコミ映画『スーサイド・スクワッド』は、『マン・オブ・スティール』から始まったDCEUの3作目。マーゴット・ロビー演じるハーレイ・クインのビジュアルが話題を呼び、ウィル・スミスを主演にするなど、とにかく観る前の期待値は本国でも日本でもかなり高まっていた。しかし、いざ蓋を開けると目も当てられない結果となる。再撮影までする羽目になっためちゃくちゃで唐突なストーリー、明らかに無駄遣いされていくキャラクター。アメコミファンからの期待も大きかった分、とんでもない失敗作として人々の記憶に残る羽目になり、ただでさえ評価されづらいDCEUの黒歴史としての役割を担うことになる。
確かに一般的な評価は低い2作だが、それでもデヴィッド・エアー監督の手腕はしっかりと発揮されている。『フューリー』のタイガー戦は正に手に汗握る命の奪い合いで見応え抜群。『スーサイド・スクワッド』もキャラクターのビジュアルは素晴らしく、エンチャントレスの変身シーンなんかはアメコミ映画史上に残る演出と言えるのではないだろうか。そう、彼の真髄は陰鬱としながらもどこか心惹かれる映像のトーンや、さりげない演出、独特なキャラクタービジュアルなどにあるのだ。実はこの2作は脚本もデヴィッド・エアー自身が書いている。これは私の見解だが、デヴィッド・エアーは自身で脚本を書くよりも、他の人が書いた脚本を監督するほうが絶対にいい。人を魅了する映像を生み出すという一点においてはかなりレベルの高い監督だと私は思っている。そして本作『ビーキーパー』は、カート・ウィマーが脚本を執筆しており、少なくともクレジット上はエアー監督は関わっていない。そう、私の思う黄金比のデヴィッド・エアー映画が2025年の頭に公開されたのである。これが楽しみでないはずがない。
では脚本のカート・ウィマーが何者なのかという話をすると、直近では『エクスペンダブルズ ニュー・ブラッド』の脚本を務めている。それこそ昨年の年始に公開されたアクション映画なわけだが、ファンの評価はかなり低い。とはいえこれはシリーズ4作目というハードルの高さや、出演俳優への期待等が反映された上での評価なので、『リベリオン』や『ソルト』など、その他の彼の脚本作品に目を向けてもらえればと思う。ここで各映画について深く触れることはしないが、今回の『ビーキーパー』の脚本はかなり真面目だった。本当に真面目。紛れもない「養蜂家映画」。ここまで養蜂家であることに真摯な映画もなかなかないのではないだろうか。
アクション映画において、主人公の立ち位置や職業はかなり重要視される。なぜなら、それがそのまま映画自体の独自性に直結するためである。例えば『トランスポーター』は主人公が運び屋であるという設定で、ある女性を運ぶという奇妙な依頼が舞い込んできたところから物語がスタートする。アクションによって観客を楽しませる使命を持つアクション映画において、主人公の職業はその映画のカラーであり、このバリエーションだけで無数のアクション映画が世の中に存在していると言ってもいい。そんな中で本作が選んだのは「養蜂家」。私の知人には一人もいないため、「養蜂家」と口にしたことさえない。蜂を育てて蜂蜜を採取する職業だというざっくりした理解はあるものの、それ以上のことは分からない。そもそも養蜂家アクションなんて言われても全く思いつかない。くまのプーさんの著作権が切れたことにより世に解き放たれたホラー映画『プー あくまのくまさん』のラストでプーさんが蜂を操って人を襲うシーンがあるが、ステイサムにそれはできないだろう。しかし、映画の宣伝ではやけに「養蜂家」を推している。そもそも養蜂家映画にそこまでの訴求力はないと思うのだが…などと気になりつつも、それだけで観ない理由にはならないので鑑賞してきた。
結果、紛れもない養蜂家映画だったのである。デヴィッド・エアー監督の演出を拝むつもりだったのに、脚本の真面目さに思わず感心してしまった。『魔法少女まどか☆マギカ』で有名な脚本家の虚淵玄が、仮面ライダーシリーズに呼ばれた時に果物がモチーフと言われて悩み、「禁断の果実」というキーワードから大河ドラマ的でシリアスな物語を練った話があるが、本作の「養蜂家」もこれに匹敵するのではないだろうか。本作のステイサムは冒頭でしっかり養蜂家として蜂蜜を作っているが、彼にはもう一つの「養蜂家」としての顔があったのである。かつて彼は政府直属のある地位に就いており、その役目が社会に害をなす存在を秘密裏に葬ること。戦闘能力は非常に高く、人を殺すことさえ厭わない冷酷な存在。出来の悪い子どもを産むようになった女王を殺すこともある蜂になぞらえた、「養蜂家」と呼ばれる肩書きに彼は過去就いていたことが後半で明かされる。OPではキャストやスタッフのクレジットの背景で、蜂がもぞもぞと動く不気味なカットが挿入され、そこから神話の絵や、蜂の巣の区画の六角形を模した交差点や謎の図面などが登場する。一見かなり重いが実際は蜂からの連想ゲームでしかないような面白いOPに自分はデヴィッド・エアーの味を見出してしまいニヤニヤしてしまったのだが、最後まで観れば今回のエアー監督がどれだけ真摯にOPを作ったかが分かる。何なら、このOPに映画の全てが詰め込まれていると言っても過言ではない。『ミッドサマー』と同様、映画の内容を全部最初に示しているタイプのOPではないだろうか。人々を蜂になぞらえ、社会の動きを監視し、時に自ら手を下すという意味での「養蜂家」。しかもそれを物語冒頭で進めるのではなく、後出しするのだから非常に真面目である。
ステイサムが肩書きのほうの「養蜂家」を引退した後も普通に蜂が好きで養蜂家をやっていることが既にちょっと面白いのだが、情報が少ない序盤ではそれ自体がミスリードになっている。敵側が「養蜂家だと?」みたいな会話をするのも、「ただの養蜂家が何でそんなに強いんだ?」という類のやり取りかと思いきや、隠語としての「養蜂家」の意味で言葉を用いており、彼等が恐怖していた理由が後半になって分かってくるのだ。我々が期待していた養蜂家アクションとは、蜂を操るような荒唐無稽なものではなく、「養蜂家」という肩書を持った最強の男が暴れ回るアクションのことだったのである(それはそれとして、人に向かって蜂蜜を投げる場面はある)。まあちょっと馬鹿馬鹿しい設定ではあるのだが、それでもシリアスに描き続けるのがデヴィッド・エアー。この男はコメディを撮ることができない。とにかく暗く、耽美な世界を映像に表現する男。『ビーキーパー』なんてタイトルだったら「蜂の巣にしてやるぜ!」が決め台詞になるようなアホ映画でもおかしくないのに、本作のステイサムは唯一自分に優しくしてくれた女性の復讐のために戦うのだ。哀愁が滲み出るどころか哀愁丸出しの養蜂家アクション映画。題材が題材だけにふざけ倒すことだってできるはずなのに、一切気の緩みがない。突然ガトリングは出てくるし、何かと「燃やす」ことに執着するステイサムも面白く、いわゆる「ヒャッハー!」な演出も度々あるのに、ステイサムの背中には哀愁が重くのしかかっている。背中に受ける爆炎が、彼の心の影を更に濃くしているようにさえ思えてくる。
イメージとしては『ジョン・ウィック』がかなり近く、無口な主人公の出自が敵サイドによって明かされていき、彼自身は必要以上のことを語らず、ただ敵側がその正体に慄く様が描かれていく。邪魔するものは政府機関だろうが追手だろうが殺していくステイサムの非情っぷりがとにかく面白い。元々は自分に優しくしてくれた高齢の女性が詐欺によって全財産を失い自殺したことへの復讐だったが、相手の詐欺組織を深掘りすると大統領の息子に辿り着き、結果的に彼は引退したはずの「養蜂家」として、社会の害悪となった女王蜂=女性大統領にも手を出そうとする。ヘンテコな映画なのに政治の腐敗を描くことで社会的メッセージまで聞こえてきそうな勢いがある。敵サイドの詐欺師のクズっぷりも楽しく、何より詐欺師の拠点がいやらしいネオンでピカピカ光ってるのがもう面白い。人を騙すようなガキどもはオフィスまでピッカピカにするだろうみたいな偏見がモロに出ている。実際は知らないが、なんだか気持ちは分かる。あと、ステイサムの後任の養蜂家(女性)が何故かモヒカンみたいな髪型で派手なコート着てたのもよかった。絶対戦いづらいだろうに。ステイサムは素材の味をまんま活かしたような風貌なのに、他のキャラクターがいちいちデヴィッド・エアー風味になっている。
残忍で容赦のないステイサムの殺しをたくさん見られるからこそ、彼が女性に蜂蜜を届けにいく冒頭や、その娘の話をしっかりと聞く姿に後から好印象を抱くことになる。終いには、ホワイトハウスでFBIである娘から逃げているにも関わらず、軽く会釈をしてしまう優しさまで披露してくれる沼男っぷり。優しくしてくれた人には簡単に心を開くタイプなのだろう。大統領の息子という巨悪を倒してしまったわけだが、この題材なら2も3も作れると思うので、できれば監督続投のまま続いていってほしいところ。ちなみに自分の行った回は満席だった。お正月効果かな。