TVアニメ『デジモンユニバース アプリモンスターズ』感想

2016年から2017年に放送されたデジモンシリーズの新境地。設定を刷新し、「デジモンユニバース」の名を冠して、シリーズとの半ば強引な接合が図られた感のある本作『アプリモンスターズ』、略して「アプモン」。

確か第1話はリアルタイムで視聴した記憶がある。デジモンをベースにしながらアプリを題材に新たな作品を作ろうという試みに心を惹かれたが、当時の自分には第2話以降を視聴する意欲が湧かず、結局手付かずのままになってしまった。とはいえ関連玩具やゲームソフトがAmazonで叩き売りされているのは見ていたため、世間的には高評価を得たわけではないことは知っていた。正に「貴様の未来は検索済みだ!」状態である。だが、自身の目で最終回まで観て確かめないことには何も言うことはできない。今回、約1ヶ月を掛けて全52話を完走したその感想を書いていきたいと思う。

 

まずは良い点から。やはり「人工知能」というコンセプトがある点は特筆すべきだろう。思えばデジモンのアニメシリーズはそうしたテーマを中心に据えた作品がなかった。「パートナーの絆」や「冒険での成長」こそあるものの、それはデジモン以外の作品にも見られる王道の筋書きである。デジモンシリーズの独自性はパートナーというシステムと冒険、そして進化にあるのだが、『デジモンフロンティア』のようにパートナー制度を廃した作品も存在しているため、「デジモンと言えばこれ」という概念は意外と少ない。そんな中で新機軸のアプモンは「人工知能」という明確なテーマを据えた。2025年の今では社会問題にもなっており、放送当時の2016年でも耳にすることの多かったこのワードは、メインターゲットの子ども達にとっても聞き馴染みのあるものだっただろう。アプリをモチーフにしたモンスターがいて、その一つ一つが人工知能。そしてラスボスはリヴァイアサンという凶悪なAI。ハリウッドにもAIと人間が戦う作品は数多く存在するが、ホビアニで堂々とコンセプトに持ってくるのはかなり画期的だったのではないだろうか。コンセプトがあると作り手も物語を作りやすいだろうし、観ているこちらとしても設定の理解が早まる。「人工知能をテーマにした作品です」と一言で説明できるのは、アプモンの強みと言っていいかもしれない。

 

そして次にキャラクターの良さ。過去作では特定のキャラクター以外の扱いがかなり雑になってしまっていることも少なくなかったが、『アプモン』では選ばれし子ども達である5人がほぼ平等に扱われる。平等と言うと語弊があるかもしれないが、要は彼等一人一人がキャッチ―なコンセプトを持っていて、役割が存在しているのだ。「風は炎に! 氷は炎に!」と後方支援に回るのも決して嫌いではないが、一人一人が主役を張れるほどのエネルギーを持っているのはやはり嬉しい。ドッカンパンチや超ノレるなどの決め台詞も面白く、とにかく「分かりやすさ」を重視した今風な作りが楽しかった。アプモンの進化に関しても、誰一人あぶれることなく神アプモンまでの進化を果たし、最終決戦でも4体の神アプモンリヴァイアサンに挑む。こうしたキャラクターの扱いの丁寧さは、デジモン新機軸と銘打っただけあるなと思わされた。

 

また、アプモン関連のインタビューを読むと、シリーズディレクターの古賀氏がこんな発言をしていた。

 

古賀:“主人公と言えば熱血”という感じにもしたく無くて。面白いのはハルは年齢の高いスタッフたちから評判が悪いんですよ。みんな「主人公は熱血じゃなきゃいけない」って思いがあるようで、そういう方たちの意見を聞いていると「ハルって新しいタイプの主人公なんだな」ってこちらが気づかされる感じです。

 

確かに、ハルは過去のデジモンシリーズと比べてもかなり現代風なキャラクター。ちょっぴり内気で、読書が好きというインドア派。主人公になりたいと願いながらも、自分はその器じゃないと一歩引いて物事を見てしまう彼のキャラクター像は、やはり現代的である。それが反発されるというのも凄い話だが、そんな反発にも負けず新海ハルというキャラクターを主役に据えた製作陣には頭が下がる。熱血が悪いということではないが、これは裏を返せばそうした反対を押し切ってまで描きたかった物語があるということで、その熱意自体が既に嬉しい。それに、既存の枠に囚われない新たな主人公像としても素晴らしいと言える。そもそも『セイバーズ』の大門大がバイオレンスすぎたのだし、帳尻を合わせるためにもこういうキャラクターがいたっていい。

 

アストラが長編パートになると空気になってしまうのが悲しかったが、エリはアプリ山470がLコープ傘下であるという設定を利用して、後半でもアイドルキャラが上手く扱われていた。レイの弟を探すという縦軸もしっかりと物語を牽引していたし、何より引っ張りに引っ張った勇仁の正体が明かされるカタルシスはかなり大きい。キャラ設定に頼りすぎているような面もあるものの、要所要所で主要人物の特性を活かしたメインエピソードをキチッとやってくれるため、キャラクターの印象はしっかりと残り続ける。それぞれに得意な分野がある分かりやすさは、デジモンシリーズの中でもかなり珍しいが、素晴らしい試みだと言えるだろう。

 

そしてやはり語りたいのが終盤の盛り上がり。勇仁の正体がリヴァイアサンの作ったアンドロイドであったことが明かされ、彼に憧れ彼を親友だと思っていたハルが絶望する。そんなハルをバディアプモンのガッチモンが救い、それまで他の3組が持ち応え、満を持してハルが到着し、ガイアモンが登場する。勇仁の謎を引っ張っただけあって、かなりテンションの上がる終盤だった。特にリヴァイアサンとの戦いの演出は素晴らしく、ガイアモンのライダーキックには思わず鳥肌が立ってしまったほどである。3DCGの表現はそこまで好きではないのだが、凝った映像はやはりそれなりにテンションを上げてくれる。そして、人類を人工知能の管理下に置く人類アプリ化計画(映画『マトリックス』とほぼ一緒)に対して、ハルが「自ら決断すること」の意義を投げ掛け、最終的にリヴァイアサンに対しても優しさを持って接するという寄り添い方も素晴らしい。

 

脚本の加藤陽一は、放送時のインタビューでこのように語っている。

 

また、アプモンならではの最終的なメッセージもあります。それは優しさをもっていろいろなことを考えたいね、ということとか。ポジティブなこともネガティブなことも言われている人工知能をどうとらえるか、といったあたりのことです。

 

実際に最終回まで観ると、この終着点で綺麗に物語が終わっていた。人工知能を善とも悪とも受け取らず、ツールとして日常に寄り添ってもらうという考え方。コンセプトとテーマがハッキリしていて、単に王道ホビアニをやるだけでないというのは非常に好感が持てると思う。自分としてはそのコンセプトスタイルで合わなかったのが『テイマーズ』なのだが、『アプモン』は物語も分かりやすく、やりたいことも明確で、テーマに関してはかなり真摯な印象を受けた。

 

とはいえ、良い面もあれば悪い面もある。というよりも、自分としては終盤の盛り上がりこそよかったが、中盤まではかなり観るのが億劫になってしまっていた。リアルタイムでこれを追いかけるのはかなり厳しかったかもしれない。

 

まず単純に、物語の構造である。序盤はセブンコードアプモンを集めようという流れがあり、それを阻もうとするミエーヌモン達との戦いが繰り広げられた。ダンテモン復活後は勇仁が参戦した後、雲龍寺ナイトがLコープのCEOに就任し、アルティメット4との戦いに突入。と思いきやそれはあっさりと終わり、ハジメの奪還や最終決戦へと進んでいく。それぞれかなり露骨に伏線を張っているために、全話を視聴する意欲が消えはしないのだが、それでも進みの遅さと単発回の多さに辟易してしまうことが多かった。

 

何より辛いのが、アプモンの序盤が「リヴァイアサンによって感染したアプモンが暴走しちゃった!」で物語が進むこと。バディアプモンとの絆を示すよりも、「暴走アプモンの悪さ」を面白おかしく描くことが重視されており、自分としてはそれがかなり厳しかった。エリやアストラが入ってきて少々マシにはなったが、この物語のフォーマットだったら自分には合わないな…などと考えてしまったのである。おそらくは『妖怪ウォッチ』をベースにしているのだろうし、そもそも『妖怪ウォッチ』の脚本も手掛ける加藤陽一さんがメインライターを担当しているのだから似通うのは必然でもあるわけだが、打倒リヴァイアサンという縦軸がきっちりとある中で、アプモンの悪さがメインというのは非常に勿体なかった。玩具展開の点から言っても、アプモンチップをあれで集めたくなるかなというと、自分にはちょっと厳しい。とはいえ、このスタイルで大成功した『妖怪ウォッチ』があるわけで、マーケティング的には間違っていない気もする。ただ、デジモンシリーズに自分が求めているのはやっぱりちょっとした冒険要素なのだ。それに、アプモンの悪事が「ハルのおねしょが皆に晒されてる!」というような幼稚さで、誰かの命の危機を感じられなかったのも辛い。確かにアプリケーションが暴走すれば、生活の中にスマホが入り切っている現代でトラブルが起こるのは分かる。分かるが…その絶望がコミカルに描かれてしまうと、「止めなきゃ!」という気持ちを喚起する力はかなり弱いのではないだろうか。そういった違和感もあり、第18話の電車が暴走するという筋書きは見応えがあった。でもこれ『ロックマンエグゼ』のアニメでも同じことやってたな…という気持ちにもなってしまい、その辺が難しい。ただ、キャラクターをウリにしていくはずの作品で、シチュエーションに重点が置かれていたのはあまり好みではないなと思ってしまった。もちろん単発回でも良作はちょこちょこあるのだが、この作品の基本フォーマットが自分に合わなかったのは事実である。

 

次に、バディアプモンや進化という概念の弱さ。それぞれのバディはかなり好きだし、キャラクターも立っていてその辺は流石だと言えるが、この作品におけるバディや進化のカタルシスが非常に弱く、ノリきれないことが多かった。ハルに関しては、自分で進む道を選択して主人公になるからこそ、検索アプリのガッチモンが相棒だということが終盤で示されたが、例えばアストラとミュージモンの関連性は弱い。エリとドカモンも、バディとしては見ていて楽しいが、どうしてこの2人がバディなんだろうとふと立ち止まってしまう時がある。これはパートナーシステムを設定に組み込んだデジモンシリーズの宿命でもあり、過去作でもそこを丁寧に説明できている作品は少ないのだけれど、アプモンのいやらしさは、説明不足なのに「バディ」の良さを語ってくるところにある。特にグローブモンの初進化回、ピンチに陥り諦めかけたドガッチモンにハルが手を差し伸べるシーンはエヴァ風の演出こそ良かったものの、そもそもドガッチモンはガッチモンとナビモンがアプ合体した姿だし、お前のバディと言えるのか…?みたいなことを考えてしまった。難しいことを考えなくていいのは分かっているものの、バディの定義が弱いためにどうしても物語が脆弱に思えてしまうことが多かったのである。

 

また、進化に関しても既存のデジモンシリーズに倣いつつ極や神など新たな名称を取り入れているが、進化のカタルシスが本当に弱い作品だなと感じてしまった。暴走アプモンを倒し、アプモンチップを手に入れて、自分のバディとアプ合体させることで進化していくのだが…。このシステムなら普通合体させるアプモンとの友情を描いたり確執を取り除いたりするエピソードを設けないだろうか。1話前に手にしたアプモンが偶然にもバディを進化させられるアプモンで、「やったぜ!」という偶然のノリが連続するのはかなり厳しい面がある。また、最終決戦での要である神アプモンとの合体が、アルティメット4のチップを使うだけというのも酷い。強いアプモンを倒して自分のバディと合体させれば強くなるという無法地帯っぷりである。そんなのはモンスターハンターと同じ。共に戦ってくれる仲間との対話を通して進化を果たしてこそ、デジモンシリーズではないのか。既存の枠に囚われないという志は素晴らしいのだが、この辺りはしっかりと踏襲してほしかった。

 

更に言うと、アプリがコンセプトというアプモンの独自性が、神アプモンで完全に失われてしまったのも勿体ない。ガイアモン、ポセイドモン、ウラノスモン、ハデスモン。確かに神様の名前を使えば強さも表現できるが、どうして終盤にパズドラの手口で畳みかけてきたのだろうか。アプリの数だけモンスターがいるのではなかったのか。モンスターは神様の数も存在しているというのか。アルティメット4の時点でもかなり怪しかったし(マインドロールのアプリって何?)、そもそもガッチモンのモチーフである検索自体がアプリというよりアプリ内にある機能なのだけれど、最終進化で馬鹿みたいに神様を出すのはかなり気落ちしてしまった。しかも見た目が独創的でかっこいい分余計に…。自分は仮面ライダーシリーズも観ているので、コンセプトからかけ離れた最終形態というのに余計にガッカリしてしまうのだと思う。ライダーも色々と無法地帯ではあるが、さすがにフォームに関してコンセプトを放棄することは滅多にないので…。

 

アプリンクという換装システムがあるのに、後半からそれが全く使われなくなったのも気になってしまった。例えば敵が神アプモンでこっちは極アプモンだけど、うまくアプリンクを利用して敵の弱点を突くとか、そういう戦い方がもっと見られるとよかったと思う。それこそガッチモンの検索能力で敵の弱点を検索していく初期のやり方で何とか持ち応えつつ、手持ちのアプモンチップを有効活用していくとか。本来主人公キャラではない印象のハルが、アプモンチップの使い方に関してだけは才能があるとか、そういう設定でも良かっただろう。ハルが最終的に導き出した「決断の大切さ」はかなり好きなのだが、実際ハル自身は巻き込まれ型のキャラクターであったため、彼が何かを能動的にするということが少なかったのも勿体ない。キーワードの人工知能や勇仁の正体など、ある程度決まっていることは多かったものの、横道に逸れるエピソードが目立ってしまっていた。

 

総じて言うと、コンセプトやテーマには好感が持てるが、1年ものとしてはドタバタしたエピソードや綻びが多く、おかげで終盤の展開の切れ味も悪くなってしまっている印象を持った。キャラクターは素晴らしいのだから、1年間、各エピソードで何を表現するのかをもっと洗練してくれれば…とどうしてももどかしさを感じてしまう。コメディ回がほとんどで、終盤のシリアス展開でその無法っぷりが効いてくる作品も世の中にはあるが、アプモンはコメディ回の精度がイマイチなせいで「この回要らないだろ…」みたいな気持ちが普通に湧き上がってしまうのである。だが、終盤でもコメディチックなノリを忘れない庶民性は大好きなため、もっと縦軸をグングン進めつつコミカルなテイストを意識してくれていればなと。

ただ、自分は伝えたいメッセージなどがしっかりとある作品が大好きなので、決して作品に対しての評価は低くない。順位で言うと、『テイマーズ』や『クロスウォーズ』よりは好きかもしれない。思い出補正なしなら『フロンティア』にも勝てる。

 

結果的にはデジモンユニバースは現状本作のみに留まってしまい、実質『真・仮面ライダー 序章』みたいなことになっているが、今度デジモンカードゲームにもガッチモン達が出るそうで、しっかりとシリーズの1作品としてカウントされているのは嬉しい。キャラクター造形は良かったので、何かしらでまた彼等と出会える機会がないかなとも思っている。